6 花束
「はっ」
私はベッドの中で目を覚ました。
すっかり明るくなった窓の外から、鳥の鳴き声が聞こえてくる。……うん、普通だな。ぼんやりする頭を振って、薄い上掛けを剥ぎ起き上がる。
さて、水読を起こすには?
塔に行って手を握る。
私には“引力”があるから起こせる。
起きたらそのとき、雨について教えてもらう。
「よし、ちゃんと覚えてる」
記憶を確認してベッドから降りると、洋服掛けを開いて適当なワンピースを引っ張りだす。寝間着を脱いで頭からそれを被り、早足に寝室を出た。
「あら、ミウ様。おはようございます」
隣では、アプリコット――リコが窓を開けていた。昨日私に愛称を教えてくれた彼女は、私がサニアを助けようとした事を聞いてから、よりはっきりと親しみを見せるようになった。元々愛想は良かったけど、あれはあくまで仕事の顔だったらしい。ニコッと笑うとえくぼが出来る頬は、私が今朝は自分で着替えたことを見とって、少しだけ残念そうに下がる。
でも今は、そんな場合じゃないのだ。
「おはようございます。あの、今から塔へ行きたいのですが」
「今からですか? ……申し訳ございませんが、護衛の者をお連れになりませんと、お部屋からお出しすることは出来ませんわ」
「えっ」
そういえば、王様にそんなこと言われたっけ。仕方がない、物騒なことがあったばかりだし。
「その、護衛の方というのはいつ頃来てくれそうですか……?」
しかし簡単には引き下がれない。私は今すぐ水読のところへ行きたい。サクッと起こして、雨降らせてもらって、日本に帰る方法を知ってるかどうかも聞きたいし――さっきの夢が本当のことだと、今すぐ目に見える形で確認したい。内容が重要すぎて焦ってしまう。
ソワソワと落ち着かない様子の私に、リコは困ったように眉を下げる。
「どうしても今すぐという事でしたら、陛下にお伺いして参りましょうか。もう起きておられるはずですから」
「すみません、ぜひお願いします」
彼女はすぐにサニアを呼んで言伝を託し、王様の元へと向かわせた。朝っぱらから申し訳ないけれど、是非とも早く護衛という人を連れて帰ってきてほしい。
「ではミウ様、その間に御髪を結いましょう?」
リコは私を鏡台へ誘導し、いそいそと髪飾りや櫛の入った化粧箱を取り出す。それからサニアが帰ってくるまで、私は半分以上うわの空で鏡の前に座らされていた。
程なくしてノックが響いた時、複雑に髪を編みこまれた私は、さらにリボンやら造花やらを取り付けたがっているリコから穏便に逃げ出し、ドアへ駆け寄った。
しかし護衛らしき人物はおらず、サニア一人きりが部屋に入ってきた。
「戻りました。ミウ様、すぐに兵が寄越されますので、それまで少々お待ち下さいませ」
「はい、わかりました。ありがとうございます」
まだもうちょっと待つのか。内心焦れつつ、すぐと言う言葉を繰り返して気持ちを落ち着かせる。
「それから、こちらを預かって参りました」
「……何ですか?」
手に白い布の包みのようなものを持っていたサニアは、それを解いて私に差し出した。
中から現れたのは、芍薬のような大きな桃色の花だった。三本束ねてリボンで結ばれている。
「こちらも」
もう一方は白い封筒だ。口は蝋で閉じられ、鷲のような鳥を象った印が捺されている。
「これは……?」
王様からの言伝てだろうか?
「クライン様からのお届け物です」
「えっ」
……まさか。
思わぬ名前に、私は花を持ったまま硬直した。その様子には気づかず、リコが横から感嘆の声を上げる。
「まあ、綺麗ですこと! ミウ様、この時世ですから、お花は大変貴重なんですよ。きっとこれは城の温室のものですわね」
「三本ですから、お見舞いの花束ですね。こちらのお花は根が薬になりますから、『お体を気遣われますよう』というお心遣いでしょう」
驚く私をよそに、二人は色めき立っていた。興奮気味にクラインの心配りや趣味の良さを褒め称える。私はぼんやりそれを聞いたあと、二人に花束を預けた。花にもびっくりしたが、もう一つ渡されたものが気になっていたのだ。
「……手紙、開けてきます。お花をお願いしても良いですか」
「かしこまりました」
口を揃えて返事する二人を残し、私は寝室へ引っ込んだ。そのままアンティークな書き机に向かい、引き出しからペーパーナイフと文字表のメモを取り出す。
心臓が奇妙な動きをしていた。
中身を早く見たい。でも見るのが怖い。
慎重に蝋印を開けると、中からはカードが一枚だけ出てきた。伸びやかな美しい文字で、ごく短い文が綴られている。私はいつものように、表を頼りに小さく声に出して読み上げた。
「……『無事で、喜ぶ』……いや、『嬉しい』かな? 『待っている』、『いつも』、『来てください』、……『ヒ』、『ミ』……」
”ヒミツキチ”へ。
「…………」
不覚にも泣きそうになった。
このカードや花に込められた心遣いに感激した、という訳ではない。
月明かり。
猫のような大きな目と、鼻に掛かる少し甘い声。
――クラインは信用するな。
アルス王子の忠告が重い。
私は、クラインの静かで誠実な話し方を思い出してみた。時折見せた、はにかむような控えめな笑顔。やけに気が合って、すぐに打ち解けたこと。友達だと言って、魔法のように信頼関係が生まれたこと。
その全部が偽物で、私を陥れようとしていた、なんて告げられて、何も思わずにいられるほど鈍感でもない。あの綺麗な彼の庭も、心細さを癒してくれたあの時間も、今や疑念によって塗り替えられている。
私はもう一度、カードに目を落とした。彼らしい優美で丁寧な筆跡と、短く平易な文章がまだ読み書きの不得手な私への配慮だと思い当たると、胸がぎゅっと締め付けらる。
クラインは一体、どういう意図でこれをくれたんだろう。
私が偽りに気づいているとは知らないから? でも……。
――接触があっても、騙されるな。上辺だけだ。
警告する声と、この差し出し主を信じたい気持ちがせめぎ合う。
どれが本当だろう? 誰が嘘をついている?
「…………うーん」
多分知られたら、警戒心が薄いとか脳天気とか、そういう風に言われると思う。
でも本心を言ってしまうなら、私には誰も嘘など言っているようには見えなかった。私には確かに、二人がそれぞれに真心を傾けてくれていたのだと感じられた。
私はこの手のカードを、とても破り捨てる事ができない。




