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雨の冠  作者: 桃宮
4.美しき雨
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4 乙女の協定(2)

 気が付けば太陽は沈み、部屋は徐々に薄暗くなってきていた。そろそろ城中の使用人達が、ランプや蝋燭に火を点している頃だろう。


「では、お前は今から“泉の乙女”だ。――“乙女”の受けし神託により、アルス・イレギア=ミナ・メルクリウスの助命が下された」


 しんとした部屋に、どこか芝居がかった調子の台詞が響く。底で渦巻くような恐ろしさは身を潜め、王様の口調には幾分明るい雰囲気が漂っている。

 ……うん、多分空気を変える為におどけて見せてくれたんだろうけど、その役者振りが板に付きすぎて笑えない。この人、普通にどこから見ても文句なしのムービースターだ。そのままスクリーンに映しだされても何ら違和感ない。

 真剣な表情を崩せない私に、王様は「ダメ?」とでも言いたそうにちょっと首を傾げた。それがやけに似あってて、何故だか微妙に腹立たしい。……ただの嫉妬である。


「お前は、これから堂々と“泉の乙女”を名乗れ。周囲は俺が適当に取り仕切る。また明日以降、改めて護衛の者を手配しよう。どこへ行く際も必ず共を連れるように。それから農水対策も、早速明日からだ。まずは我々のみで作戦会議だな。今後様子を見て、大臣達との会議にも出席して貰うことになるだろう」

「は、はい」

「後は、そうだな。もしまた水読から伝言があれば、俺か神官長に報告するように。勿論、雨を降らせられそうなら遠慮はするなよ?」

「……はい」


 付け加えられた言葉に、私は胡乱な目つきで頷いた。出来るなら即刻やりますとも。


「さて。ではそろそろ失礼するとしよう。晩餐にもご同伴願いたいところだが、それはまた次の機会に。生憎まだ立て込んでいてな」


 王様はそう言って立ち上がった。やっぱり表情はどこか晴れやかだ。私も返答して、ドアまで見送ろうと席を立つ。

 しかし、そのまま二、三歩歩いた所で不意に立ち止まり振り向いた。


「ミウ」

「は、はい!」


 驚く私を、きらっと光る瞳が捉える。


「お前、何だか普通になったな」

「……はい?」


 普通って? 変なことを言う。今まで私、普通じゃなかったってことですか?


「いつも俺の前では、大げさな程びくびくしていただろう。辺境の農民でも、流石にあれ程縮み上がらないぞ。やましい事でもあるのかと思うだろう」

「な、無いです。無いですけど」


 私は慌てて首を振った。変な疑いはもうたくさんだ。しかし農民強いな、この目に見据えられたら、大体の人は萎縮すると思うけど。私の反応の方が普通だよ絶対。

 今も、その視線の威力を感じている。しかもほんの半歩先だ。威圧感控えめとはいえ、正直この距離は厳しいものがある。心臓引きつりそう。


「あ、あんまりじっと見ないでください」

「何故?」

「……ものすごく、緊張するんです。ご自分がどれだけ迫力あるとお思いですか」

「ほう」


 たまらず訴えると、美麗な目が興味深そうに瞬く。これじゃただの恨み言だ。王様は気を悪くする様子もなく、ニヤッと笑った。


「そう言う割にははっきりと物申すな」

「う……嘘吐くなって、仰ったじゃないですか……」

「ははは、そうだった」


 王様は声を上げて笑った。屈託のない表情に一瞬息が止まる。一目で万人を魅了しそうな、華々しい笑顔だ……う、うーん、これはこれで、あまり直視しないほうがいいかもしれない。


「緊張する、か。俺からの助言としては、そうだな……」


 何か対策でもあるんですか。

 顔を上げると、美貌がにっこりと微笑む。


「慣れろ」

「…………」


 それが可能なら、もうとっくに解決してます……。

 全く役に立たないアドバイスにげんなりする私の肩をポンポンと軽く叩き、王様は優雅にドアへと消えた。


 緊張感から開放され、私は再びソファに沈み込んだ。

 何だか、どっと疲れた。

 でも一応、修羅場は去ったかな……? アルス王子の件はどうにかなったと思う。多分。代わりに別の課題が湧いたけど……雨を降らせるよりは、現実的だと喜ぶべきなのか。しかも当初は王様を完全に味方に出来るとは限らなかったので、マシといえばマシな結果と言えるかもしれない。

 でも、いくらそう考えても、私の不安は晴れなかった。

 今は良くても、見放されるのは時間の問題ではないだろうか。“泉の乙女”を名乗ると決めたのに、奇跡は起こせないし、王様の求める期待に応えられる気がしない。


「今夜こそ水読さんが夢に出てきますように……」


 私は祈るような気持ちで呟いた。しっかり食べて、寝て、前向きにのポリシーもさすがに砕け散りそうだ。今一番頼りになるものは自分の見る幻だなんて、心許なさすぎて泣けてくる。




 しかして、願いが通じたのか。

 その夜、私は遂にあの青い空間に浮かぶ夢を見た。ぼんやりする視界の中で、恐る恐るその名前を呼ぶ。


「み、水読さん……?」

「――はい。美雨さん」


 ……おおぉ!

 声と共にもやが晴れて、待ち望んだ姿が現れた。

 透き通るような長い髪と、白い肌。たなびく長衣。


「み、水読さあぁぁん」


 うわああ良かった、出てきてくれてよかったー!

 私は思わずその袖にすがりついた。


「わあ、美雨さん。そんなに会いたがってくれていたんですか」

「はい! それはもう!!」


 思い切り首を縦に振って答える。


「嬉しいですねー」


 フワフワする水の中で、水読はそう言って私の両腕を優しく掴まえた。呑気な口調すらも、最早ありがたい何かに感じる。水中だというのに、目から涙が滲みそうだ。

 しかしそのありがたさを上回る衝動に駆られ、私は水読の胸ぐらに掴みかかる勢いで尋ねた。


「何で、昨日出てきてくれなかったんですかっ!! のち、のちほどっていったのに……!」

「すみません。昨夜もお話したかったんですが、美雨さん随分お疲れだったようで。眠りが深くて干渉できませんでした」


 半泣きで理不尽な訴えをする私に動じること無く、水読はよしよしと宥めてくれた。その穏やかな声が響くと、驚くほど気持ちが落ち着く。さすが宗教的指導者と言ったところか。カウンセラーとかに超向いてそう。

 私が落ち着いたのを見て取ると、水読は尋ねる。


「アルス殿下の件は大丈夫そうですか?」

「……はい、当面は平気だと思います」

「そうですか……ありがとうございます。よく頑張りましたね」


 そう言う声が優しくて、今度は別の意味で泣きそうになる。


「ああ、泣かないでください。大変だった事は知っていますよ」


 水読は私をふわっと片手で抱き上げると、もう片方の手で頭をそっと撫でた。かなりの至近距離だが、不思議と嫌ではない。この人は背も高いし男性だけど、どちらかというと母性的な穏やかなものを感じる。

 そして何故だか、とても感情を揺さぶられるのだ。懐かしさに似た何かが胸に満ち溢れる。

 私は感極まって泣き出さないように、深呼吸をして気持ちを整えた。水の中で深呼吸って変だけど、むしろ清涼な空気をたっぷり吸い込むような感覚で非常に心地良い。


 水読は穏やかに微笑み、ずっと私の髪を撫でていた。

 いつも閉じられていた目は、近くで見るとガラス玉のような泡のような、不思議な透明感があった。恐らく髪と同様に薄い水色をしているのだと思うけど、この空間がそもそもぼんやり青いので本来の色は分からない。底に星が沈んでいるみたいな神秘的なきらめきを宿している。顔立ち自体も、男性とも女性とも言いがたい謎めいた雰囲気だ。

 そして額には、涙型を逆さにしたような小さな印が付いていた。まるで発光するかのように、他の皮膚より一段明るい色をしている。


「何か珍しいですか?」

「……あ、ごめんなさい」

「いえ。いいんですよ、やっとゆっくりお話できましたから」


 その優しげな声が、辺りに夢のように響く……実際、夢だけど……っていうか、これって何なんだろう。


「水読さん、ここはどこでしょう。夢なんですよね? 何で私達、ここで会えるんですか?」


 兼ね兼ね疑問に思っていたことを口にすると、水読は髪を撫でていた手を止め、私を正面に抱え直した。水中らしく、少し力を加えられれば体は容易く浮遊する。


「ここは、メルキュリアの大地の中核――または深層部ですね」

「…………?」


 大地の中核? 水中じゃなくて?

 柔らかく微笑み告げた瞳を、私はじっと覗き返した。


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