2 帰城
いかほどか馬を走らせ、私たちは遂に城へ帰り着いた。
初めて外から見る王城は松明が灯され、威風堂々であり幻想的でもあった。日本と違いすぎて、本当に別の世界へ来てしまったんだなと心細さが増す。
私達は城の裏手に周り、裏口のような所から中へ入った。馬を降りると、ブロット氏が相変わらずの不安げな目で言う。
「わたくしは、厩へ寄ってから塔へ戻ります。お部屋までもくれぐれもお気をつけください。城の兵をつけて行くのが宜しいかと……」
「ああ。そうだな」
「塔の事情が分かりましたら、明日以降すぐにご報告致します。今夜はひとまずお休みくださいませ。国王陛下がお戻りになられるのは、明日の晩のはずですので」
そうだ、王様は今、城に不在だった。というか、不在時を狙っての今回か。
氏と別れてから、アルス王子は流石王子様と言う慣れた感じで近くにいた見張り兵にお供を命じ、私はその兵士2名とアルス王子に付き添われて部屋へと戻った。城はもっと物々しい雰囲気かと思ったが、案外いつもと変わらず静かだった。
部屋の近くへ行くと、私はアルス王子と小声で挨拶を交わした。
「……じゃ、そのうち知らせを遣る。あんまり無茶すんなよ。せっかくここまで連れてきてやったんだから」
「はい。アルス王子も」
これからが勝負時だ。私の故郷のためにも死ぬんじゃないぞ。
そんな気持ちを込めて青い目をじっと見つめてから、私は部屋へ入った。
「ミウ様!」
結構いい時間なのに、中ではアプリコットもサニアも寝ずに待っていてくれた。サニアなんかちょっと泣きそうだ。そういえば私、この子と一緒の時に拉致されたんだよね。お互い無事でよかったなぁ。
束の間再会を喜んだ後は、すぐにお風呂と着替えを勧められた。何しろ私は塩湖上がりの自然乾燥で、全身に塩がこびりついている。今までは節水のためお湯で布を絞っては体を拭く日が殆どだったけど、今回ばかりはたっぷりお湯を張ったバスタブが用意されていた。ちょっと、いやかなり罪悪感があるが、久々のお風呂はかなり嬉しかったので、ありがたく使わせてもらう。お風呂上がりには食事も勧められたけれど食べる気が起きず、お茶だけ貰って寝室に引っ込んだ。
そして月は天頂を通り、丁度日付も変わった頃。
窓辺で少し風に当たって、そろそろ寝ようかとベッドに潜り込んだその時、隣で何やら話し声のようなものが上がる。
こんな時間に何だろう。
聞き耳を立てていると、それはすぐ、寝室のドアをノックする音に変わった。
「ミウ。寝たか?」
男性の声だった。深く艶やかで、印象的な。これは……。
「……王様!?」
慌てて返事をすると、僅かな音をさせてドアが開き、思った通りの声の主が顔を出した。彼はサニアから差し出されたランプを断り、一人きり入室した。ドアを閉めると、窓からの光に均衡の取れた美しい輪郭が浮かび上がる。
帰ってくるのは次の晩じゃなかったのか? 本人からも確かに聞いていたのに。
彼は数歩でベッドの脇まで来ると、困惑しつつも慌てて布団から這い出ようとする私をやんわりと押し留めた。棚の横から椅子を一脚引き寄せ、枕元に座る。窓から差し込む強い月光で、照明の無い部屋の中でもはっきり顔が見えた。くっきりとした、男らしくも優雅な目鼻立ち。魅惑的なその口元は、いつものように微笑んでいる。
「休んでいた所悪いな。体は平気か?」
「は、はい、大丈夫です」
体調はともかく、こんな格好でいいんだろうか。おもむろに口を開く王様に私は、せめて姿勢を正して答えた。
彼の口から次いで出たのは謝罪の言葉だった。
「報告は受けている。弟が愚かな真似をした。弁解の余地もない」
「い、いえ……それより、お仕事は?」
「一日繰り上げた」
そう言った王様は、少し疲れているようだった。続きがあるのかと黙っていたが、それきり何も言わない。ただ一つ深く息を着いて、背もたれにゆっくりと体を預ける。窓枠の織り成す幾何学模様の影が、シーツの上を通過して金の髪まで差し掛かっていた。
「……アルス王子は、どうなりますか?」
「死罪だな」
思い切って尋ねると、王様は俯いたまま淡々と答えた。
「お前を――“泉の乙女”を、手に掛けようとした罪は重い」
死罪。
予想は出来ていたのに、断言された言葉はずっしりと胸にのしかかる。そしてそれは、答えた本人にとっても同じようだった。僅かに上げられた目は窓の影を映しているが、実際には何も見てなどいないのだろう。
「助けることは……」
「無理だな」
何故とは聞かない。
王様はゆっくりと目を伏せ、再び深い溜息を吐き出した。
「俺には、あの子の考えが分からない。“呪い”は消せずとも、せめて罪人のように命を奪うことは避けてやりたかったのに。……我が弟に生まれながらの咎など無い。俺はずっとそう言って来た。これからも譲るつもりは無かった」
語る声には、濃い疲労が滲んでいた。
気がつけば、唇の微笑みは消えている。この人のこんな様子を見るのは初めてだ。瞳を閉じ憂いを帯びた表情をすると、彼はその弟達と確かによく似ていた。いつも満ち溢れている威圧感は影を潜め、彫刻のような物静かな美しさだけがそこにある。
私は何の言葉も掛けられずにいた。軽々しく口を開くことが憚られた。
「――さて、もう行くよ。夜分に失礼をした」
「いえ……」
重苦しい沈黙をしばらく味わった後、王様が椅子から腰を上げた。手ずから椅子を元の場所に戻す。
「お前に大事が無くて何よりだった」
見上げた顔には、いつもの微笑が戻っていた。
「……あの」
立ち去る前に、先ほどアルス王子と取り決めた内容を話すべきか。
しかし、上手く伝える方法を探る私に王様は、今夜はおしまいにしよう、と言った。
「全ては夜が明けてからだ。お前からも、改めて詳しい話を聞かせてもらいたい。日暮れ以降になるかも知れないが、また出向こう。悪いが明日は部屋に居てくれ。塔に行くのも暫く控えた方がいい」
「……はい」
できれば水読の様子を確認しに行きたかったけど、仕方ないだろう。大人しく返事をすると、彼は私の頭に手を伸ばした。
「いい子だ」
二度三度、軽く撫でる。
ゆっくりお休み。
そう言ってベッドを離れ、部屋から出ていく影を見送ってから、私は枕に倒れこんだ。
ぐったりと沈み込む手足に、自分が心身ともに疲れ切っていることを再確認する。話は明日にして良かったかもしれない。この様子で駆け引きに挑むのは無謀というものだ。
長い息を吐くと、耳に残った豊かな声と、閉められたドアの音の余韻が合わさって頭の中でゆらゆら揺れた。そしてそれらが消え去らないうちに、私は深い眠りに落ちていた。




