1 意気込み
黒目黒髪の“泉の乙女”。
やってやろうじゃないか。
クラインと知り合った時は、助けてもらえるとホッとした。だけどもう、それじゃ駄目みたいだ。自分の力でどうにかしないと。そして、あわよくば他人も助ける。打つ手がなければ無理やり作る。受け身で待つばかりじゃなくて、攻めの姿勢で切り込んでいかなくちゃ。
この目的意識が、優柔不断な私に腹をくくらせた。うん、俄然やる気が出てきたぞ。
「お前、別にそこまでしなくても良いんだぞ。城に着いたら自分の事だけ考えろ」
密かに意気込む私に、アルス王子は戸惑い気味に言う。
「いえ、ついでですから。私、あなたに死なれると困るんです。単なる利害一致ですので気にしないでください」
「……あっそ。それならいいけど」
「わたくしはご協力致しますぞ!」
「頼りにしてます!」
わからない、といった顔で後ろに姿勢を崩すアルス王子とは対照的に、ブロット氏は思い切り前のめりだった。私の言葉を聞くやいなや足を揃えて跪き、神に祈りを捧げるかのごとくしっかと手を握られる。感激に潤んだ瞳には、左右一文字ずつ「希」「望」と書かれていた。センシティブなおっさんである。
「……なら、とっとと城へ帰るぞ」
間をおかず、アルス王子がむっつりとした様子で立ち上がった。そのまま荷物でも拾うように、私の腕を掴んで引っ張り起こす。それにはブロット氏も慌てて立ち上がり、つないでいた馬の紐を解きに行いった。利害一致とか言ったせいか、アルス王子はちょっと機嫌が悪そうだ。年の割には大人っぽいと思ったけど、その辺は思春期の少年相応にプライドが高いらしい。あと、結構すぐ態度に出るタイプだな。
「“泉の乙女”様はどちらに?」
「俺が連れてく」
「あの、ミウって呼んでもらって構いませんので」
おずおずと馬を引く氏にそう答える。彼はどちらにも恭しく承諾を示すと、アルス王子に二頭のうち一頭の手綱を渡した。それは、夜空のような青毛の馬だった。凛とした賢そうな目をしていて、艶々の毛並みとしなやかな肢体が美しい。
「……これは俺の馬なんだ。名前はミナ」
しげしげと眺める私に、アルス王子の機嫌は少し戻ったらしい。その頬を撫でてやる表情は、動物好きなんだろうな、と思わせる明るい雰囲気だった。今まで常に怒ってるか呆れてるか軽蔑したように笑うかのどれかだったので、ちょっと新鮮だ。こういう顔なら、健康的でとてもいい。
それにしても、ミナとは随分可愛らしい名前だ。
「女の子ですか? そういえばアルス王子と『ミナ』って言葉って、確か何か……」
「俺の名前をやったんだ。こいつも黒髪だから」
「ああー」
思い出した。何とか=ミナって彼の名前の真ん中辺だ。
「お前も黒髪だ。そういえば名前も似てるな……喜べよ、特別に乗せてやる」
そう言ってニヤッと笑うと、アルス王子は馬の背に手をかけて、ひらりと飛び乗った。私はそこに、あの煉瓦の壁を越える軽やかな身のこなしの正体を見る。そして彼は、そのまま馬上で上手いこと後ろ向きに座り直した。
「ほら」
そう手を差し伸べられて戸惑う。乗れって事だろうけど、どう。
「……あの、私馬乗ったことなくて」
それどころか触った事も、こんなに近づいた事もない。
「ああ? ま、女だしな。じゃあ、まずはそこに足をかけろ。そう。で、この辺を掴め。反動で乗るんだ。ちゃんと跨れよ、落ちるから」
「は、はい」
簡単に言われたが、意外と高い。大丈夫か私。ブロット氏も不安そうにオロオロしている。
「あ、あの、お手伝いしましょうか?」
「いい。引っ張り上げるから、とりあえずよじ登れ」
出来れば申し出をありがたく受けたかったが、アルス王子が勝手に断ってしまった。仕方がないので言われた通りに手と足を掛け、地面を蹴る。二の腕をぐいっと引かれ、なんとか上に跨った。パンツならともかく、今はロングスカートだから大変だ。あ、そういえば結んでいた裾をほどかないと、脚が丸出しになりそう。
「よし。ちゃんと座ったか?」
「はい。あの、裾を解くので……」
腰を落ち着けたところで、両腕を支えるアルス王子に声をかける。しかしそこで、重大なことに気づいた。
視界を占めるのは、ひしゃげたシャツの襟元と濃い影が落ちる鎖骨だった。それから人の熱を帯びた空気。更に視線を上げれば、すぐそこにはツンとした鼻と赤い唇、そしてこちらを見つめる、猫のような大きな青い目。
「げ」
「っ!」
近っ! ぎょっとして、慌てて顔を逸らす。こちら向きに馬に乗った人に、手を引っ張られて鞍に上がり……ってそりゃこうなって当然だった。至近距離での鑑賞に耐えうるのはあちらのみなので、見つめ合うのは勘弁したい。
何故かアルス王子も大いに驚き、仰け反った拍子にバランスを崩してわたわたした。
「う、わっ……ミナごめん!」
予測出来ていただろうに、何やってるんだ。因みに私なら確実に落馬しているであろう危うい状況だったが、彼は見事な反射神経で立て直していた。凄い。あと慌てない馬が偉い。
結局、彼はそのまま器用に馬上で座り直し、私と同じ方を向いて落ち着いた。
「……『げ』ってなんだ。ぎょっとする相手で悪かったな」
背中が向けられての第一声はそんな文句だった。
細かいことに突っかかってくるな。スミマセンでした、と小さく返しておく。揺れるし、密着せずには座っていられないので、私もそれなりに気まずい。うーん、さっきの森でのことさえなければ、もうちょっとマシだったと思うんだけどな。
「……腰に掴まれ」
「は、はい」
私は言われるまま腕を伸ばす。どの程度にすればいいのかわからず軽く添えていると、「それじゃ落ちる」と手首を取られてしっかり回させられた。腕の内側に、締まった細い胴と体温がたちまち伝わる。……それでその、微妙に恥ずかしい。バイクの後ろに乗って、彼氏に抱きつくアレだ。アレの馬バージョンだ。日本に居たら、まずしない体験だろう。
「じゃ、行くぞ」
その声にぎゅっと体に力を入れると、馬がゆっくり走りだした。初の乗馬体験で分かったのは、馬上は結構揺れるということ。お尻が弾んでちょっと痛いし、気を抜くと落ちそうで怖い。脚の筋肉がめっちゃいる。……城に帰ったら、筋トレとかしたほうがいいかな。普通の人間が異世界で生き抜くためには、何よりまずスタミナや筋力が必要な気がしてきた。もし他にもトリップしている現代日本人がいたら、ぜひ忠告差し上げたい。運動不足は命取りかもよって。
速度が安定した辺りで、頭部のやり場がなくて困った。キョロキョロした後、私は仕方なく目の前の背中に頬を付ける。しなやかでまだ華奢なそれに少年らしさを感じた。
白いシャツ越しの体は随分熱を持っているようだった。こちらはまだ長い夏が続いているが、夜はいくらか涼しくなる。体勢にも開き直り、冷えた風が当たるようになると、その温度はむしろ心地良かった。人肌にしがみ付いて安心する、子供みたいな自分がどこかに存在している。
「……わたくしも一応、存在しているんですけれどね。忘れてらっしゃいますよね。いえ、結構ですとも」
そう離れていない場所で漏らされた陰気なぼやきは、とりあえず私の耳には届いていなかった。ごめん。




