4 夜道は怖いよ
「ほら、行くぞ」
いつの間にか手を離していた私へ、ぶっきら棒に手が差し出される。 月が照らす開けた地は終わり、道は暗い森の中へと続いていた。
態度は基本刺々しいけど、この子は意外に面倒見が良いタイプなのかもしれない。その左手を見ながら、私は整理しきれない感情を一旦心の奥に仕舞い込んだ。
後のことは後で考えろ。
アルス王子のその言葉は、この状況の指針としては正しい。まずは、無事に城まで辿り着くのがベターだ。
うん、気持ちが少し楽になった。とりあえず、アルス王子は城まで届けてくれるって言ったし。頭弱いとか役立たずとか色々言われてちょっと腹立ったけど……。
手を出そうとして、私の中でちょっとした悪戯心が顔を出した。人の悪い表情を意識し、ニヤリと笑って言う。
「実はアルス王子の方が、一人だと怖いんでしょう」
「あっそ。じゃあお前一人で帰れ」
アルス王子はにべもなく手を引っ込め、スタスタ歩き出した。
くっ……可愛い顔して、可愛げの欠片もないお子様め! 軽い仕返し、じゃないや憂さ晴らし、じゃなかった、心和ませる大人ジョークじゃないか。
「嘘です、冗談ですって……や、やだ置いてかないでくださいよ!」
立ち止まる気配がなく、慌ててその背を追う。その袖をはしと掴んだ時には、道はもう森に差し掛かっていた。危ない危ない、こんな中を一人で歩くなんて絶対無理だ。夜の森の中は、想像以上に暗かった。これ……熊とか出ないよね? あと異世界だからーとか言って、ファンタジーにありがちな魔物とか出てきたりしないよね? 頭が3つあって凶暴などでかい犬とか、人間丸呑みサイズの大蛇とか。
「お前の国には、そんな化物がいるのか?」
「いや、いませんけど」
「じゃあなんで聞くんだ」
「いそうじゃないですか!」
「いねーよ」
「そ、そうですか。それならいいんです」
そう言われても、正直あまりこの世界を信用できない。街灯も民家の灯一つもない、という光景が私には異様だ。本当に、モンスター的なモノとかいないんだろうな、歩いても歩いてもずーっと同じ景色で永遠に森から出られない、とかもないんでしょうね……?
その時、さっと頭上を何かがよぎった。
「ひぃーっ!!」
情けない声を上げて身を縮める。
「今の何ですか今の、いっ」
「コウモリか鳥だろ」
頼みの綱は冷めた声だ。
「コウモリとかってこんな普通に飛んでるものなんですか!?」
「夜んなって暗けりゃ飛ぶだろ。……おい、あんまりくっ付くなよ。歩きにくい」
「か、か噛みますか!?」
「噛まない! 密着するな!」
ビビりまくってしつこい私にそう言うと、彼は軽く腕を振る。
「やだああぁ振り払わないでくださいよおおぉ!」
「あぁもう、だったらもう少し離れろっつってんだろ!!」
アルス王子は、怒りつつ動揺しているようだ。しかしそれは私も同じだ。だって頭ギリギリを生物が掠めるとか……っていうかコウモリって血とか吸うんじゃないの? ホントに噛まないの?
「あのなあ、俺は別にお前の味方になった訳じゃないんだぞ! 城までだ城まで! 今後も俺は自分のためなら、お前の犠牲は厭わないつもりだからな!」
「わかってますって、でもそんなのは後で考えます! 今はとりあえず敵でも味方でも誰でもいいから、この場に人間が存在してくれればそれでいいんです!」
「お前、本当に日和見な奴だな……」
「しょうがないじゃないですか、いきなりこんな知らないとこ来ちゃったんですからー!」
小手先の処世術を笑うものは後で泣くんだぞ! 使えるものはなんでも使って、私は無事に日本に帰るんだい。
度々奇声を発してしがみ付く私を引きずり、アルス王子はげんなりした様子で歩き続けたが、案外我慢強いらしかった彼も遂に堪忍袋の緒が切れたのか、物音にギャーギャー喚きながら腕を絞め上げた所で不意に立ち止まった。不審に思って目を上げれば、不機嫌そうな顔が肩越しにこちらを見ている。
「……ど、どうしたんですか?」
まさか、何かヤバい物を見つけたとか言わないよね? ……ヤバいものって何? うわ、ヤバイヤバイ。自分の想像がヤバイ。抱え込んでいた腕に一層力を入れる。
「離せ」
「ええっ!?」
ここで!? だから無理!
速攻で拒否すると、アルス王子は向き直り説教してきた。
「お前な……油断しすぎなんだよ」
「いや、油断してられないからこその、この状況なんですけど!」
「そういう事じゃない。俺は味方じゃないって言ってんだぞ、意味分かってんのか。もっと……警戒したらどうだ」
「は? 警戒?」
苛立ちの見える声で言われ、聞き返す。
「まあ確かに、殺されかけた相手ですけど。仲間になった訳じゃないってのは、もうさっき聞きました。今は同行してるんだからいいじゃないですか! それより早く進んでくださいよ……立ち止まってると、何となく背後が恐いんですよ」
「うるさい」
彼は今度こそ腕を振り払った。
ちょ……! も、もしかして本気で置いて行かれる!? パニックになりかけていると、ガシッと顎を掴まれ上を向かされる。口がタコみたいになってるんですが。と抗議しようとして、ありえない近さで大きな猫目と目が合った。
綺麗にカールした、瞬きしたら音がしそうな程長い睫毛がそこにある。闇の中でも瞳のブルーが透けて見えるのは、私の髪のせいだ。鏡のような無駄なツヤが、零れた月光を反射させている。
――吸い込まれそうな青。
不覚にも、私は一瞬、その瞳に魅入られた。
深い海の底のような青、冬の夜空のような青だ。立ち入る事の出来ない、他人を寄せ付けない孤高の色彩。
驚きつつもじっと見ていたら、視線が外され、ハッと我に返る。
「あ、の……?」
何か?
と尋ねたいが、距離が近すぎて声を出しにくい。
そーっと体を引こうとする間に、青い視線はゆっくりと下へ降りていく。唇に親指が触れた。それは感触を確かめるように、数回弧を描いてなぞる。
そこでやっとわかった。
これは、キスの距離だ。
顔にカーっと血が昇り、私は手を振り解き、盛大に狼狽えて一歩後ずさった。心臓がバクバクいっている。……なんだこれ。なんだなんだ!
「…………!」
「分かったか、バカ。少しは考えろ。慎みを持て。一応女だろ」
アルス王子は、くるりと前を向き歩き出した。私はしばし、呆然とそれを見送った。
頭の中は大混乱だ。
「警戒しろ」とはつまり、そういう事なのか。一応男だから、という方向性か。
正直言うと、アルス王子の事は全く異性と思っていなかった。お子様だと思っていました。そういう感じがプライドに障ったのか……いや、慎みを持てとも言われたな。私が品無くしがみついて、挙げ句叫びまくるからキレたのか。やんごとないご身分の彼からすると、見ていられない醜態だったに違いない。……なんか、年上と思われなくて当然のような気がしてきた。凹む。
それにしても、弱冠15歳にしてさっきの色気はなんだろう。雑誌モデルも真っ青な見た目の上に王子様だから、きっと随分とおモテになって、私の思う15歳とはかけ離れた世界で生きてるに違いない。可愛げがないワケだ。
あ、因みに私の恋愛経験は、ずばり「普通」です。
全く無縁ではないけど、よく知らない人にいきなり至近距離で覗きこまれて平然とできるほど場数も踏んでない。そんなに肝が座っていたら、多分今頃もっと色々上手く立ち回ってる。
心の中であれこれ言い訳している間に、その背中はかなり遠くなっていた。周囲の森は暗く、ひたすら不気味だ。
私は急いで追いかけ、服の肘の辺りを掴んだ
「…………」
アルス王子は少しだけ振り向き、すぐにまた前を向いた。
若干歩調が緩められた事に感謝しつつ、私はひとまず大人しくしておこうと心に決めた。ここで見捨てられたら本気で泣ける。




