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雨の冠  作者: 桃宮
8.金の鎖、銀の鎖
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5 糸(1)

 もし単にうちのお風呂がワープ装置だったという事なら、話は早い。

 私はあの持て余していたドレスをバスタブに突っ込んで、その後二度と自宅のお風呂を使わなければよかっただけだ。

 でも、そんな単純な事情ではなさそう。


「泉から出てきた時からずーっと、夜になるとふよふよふよふよ糸が見えるんですよ。色は銀色っぽくて、触ったりはできません。風で煽られる感じもないです。で、壁とか扉とか突き抜けて浮いてます」

「物質的なものではなさそうなんですね」

「はい」

「どの辺りにあるんですか?」

「ええと……」


 私はベッドを降り、水読に見えるよう糸の場所を指差した。

 私が動くと長さが縮む。でも方角は変わらないように見える。ドアの向こうだ。どこに続いてるんだろう。外?

 カーテンを閉め切った長窓に近付くと、水読が止めにきた。


「不用意に開けては危険ですよ」

「でも、こんなに暗いのに……」

「星明かりで十分見えます。誰が覗いているかわかりません」


 窓の向こうはこの「離宮」の庭で、塀に囲まれ外からは見えないようになっている。それでも水読は、隅のクローゼットから被り物を持ってきた。髪だけじゃなく、顔半分ほどまで覆えるベールだ。それを被って庭へ出る。

 今日も澄んだ星空の下、ひんやりした夜風に花の香りが混じっている。こちらの方が春が遅いらしい。

 銀の糸は、ゆるやかに波打ちながら壁を超えて続いていた。


「あっちに続いているみたいです」


 私の言葉に、水読は唇に人差し指を当てて微笑んだ。すぐ部屋に戻り、カーテンを元のように整え呟く。


「城の方角ですね」


 糸の先には城がある。


「ミウさんの懸念については、私も同感です。三度目が無いとは言い切れません。ここを開けて匿うのも、そう何度も使える手ではありませんしね


 水読は私が帰ったら、離宮に集めた全てを無かったことにするつもりらしい。水読が連れて来て閉じ込めたとした「想い人」は、架空の人物だ。きっとその時は適当に飽きたとか気が変わったとか言って、遠くへ送り返した事にでもするんだろう。

 元々実体がないんだからその辺は有耶無耶になり、後には水読の醜聞だけが残る。それを極々些細なことと払い除け、水読はどうしても“悲恋”を取り戻したい。


「“悲恋”の幻って、水核にあればいつでも会えたんですか?」

「そうですね。夜なら会えましたね」

「彼女は泣いてるだけなんですか? 何か、今回の事に関係しそうな話をしたり、しませんでしたか?」


 暗い部屋で向かい合うと、私から伸びた銀の糸が水読の胸の辺りを貫く。


「彼女に関する情報なら、どんなに小さな事でも知りたかった。ですから、隅々まで探し回りましたよ。この世界で彼女に最も詳しい人物は僕でしょうね」

「……できれば、私にも教えてほしいんですが」

「お望みなら」


 水読はあっさりと頷くと、壁際の椅子に腰掛け話し始めた。


「初めて彼女を目にしたのは、僕がまだ幼い頃ですが――」


 ――それは、あまりに鮮やかな幻だった。

 どこまでも水ばかりの空間で、自分のほかに「人」の姿がある。

 地上にはない長い黒髪の圧倒的な存在感と、次々と涙を零す黒い目に、当時の水読は一目で魅入られた。


 一体これは、誰なのだろう?

 自分だけが目にすることができる、この悲しげで無垢な少女は、終なるうみに宿る女神か、精霊か。


 もし水読がその他の人間のように無知でいられるならば、いかようにでも想像しただろう。

 しかし水核は、膨大な情報を蓄える記録装置レコードである。

 彼女が何者なのかは、意識に昇ると同時に水を伝って知れる。

 谷を走る清流を意味する「サワ」という名、そして“悲恋の乙女”の異名。

 いつの時代の人物で、何の為にここにおり、自どう扱うべきなのか。


「――私はすぐ、地上の全ての水を調べました。そして、彼女が既に存在しない人物だと知りました。今の時を生きる人間には、そのような“黒”を揃えた容姿の者はいませんでした――彼女と直にまみえることが出来たのは二代前の水読で、僕ではなかった。そこにある彼女はもう、決まった言葉しか言わず、決まった姿しか見せない、単なる“記憶”でした。幻に過ぎなかった」


 それでも水読は、可能な限りその幻の構成に携わる情報を求めた。

 水の筋を辿り読み取ると、彼女の悲痛なまでの帰郷の念と、懺悔がこの姿を形作っているらしい、とわかった。

 「水読」と呼び謝罪を繰り返す声。

 周囲の水に、淡く過去の「水読」の想念の残滓が漂う。


「時を同じくした先々代は、彼女の願いを叶えるため総力を尽くしたようです。後代も同様に尽力するよう、幻の維持に関する強い思念を残しました。これは先々代の死の直後にはより色濃く残っていたようで、彼の直接の後継である先代に多大な影響を与えています。証拠に、先代もこの“悲恋”の幻を守り残された“引力”を保つことに生涯を捧げましたから」


 今代である水読は、水核の目には見えない波からそれらを感じ取った。


「水読は代が変われば当然別人ですが、水核の管理を引き継ぎますから、そこに何か特殊な形状で知識が蓄えられていれば思想や感情を共有することもあるでしょう。水というものは、感情や情報が溶け込むものなんですよ」

「…………」


 私は小さく頷いておく。

 今の最後の一言は、言葉が通じなかった時に既に聞いた内容だ。もう一度口にしたということは、やっぱりあの時の話は伝わっていない前提でいるんだろう。


「先々代の水読は、死後の名を『鉗梏けんこく』と言います」


 一度だけ、平仮名で書き取ったことがある。あの日記帳を開けば残っているはずだ。

 口に出すと、自動翻訳によってぼんやり意味が感じられた。なんか、あんまり良くない意味だったような?


「首枷手枷で束縛する、という意味ですね。罪人を表します」

「えっ。すごい名前ですね……何かしたんですか」

「そうですね、兵を含む神官を20人程殺しましたかね。王族の縁者も一人か二人死んでいますから、そういった名前になったのでしょう」


 ちょっと待て。いきなり物騒だな。


「なんでまた……」

「サワ姫の帰郷を巡って、大立ち回りをしたようですね。兵の武器を奪い、邪魔した者を端から斬り殺したらしいですよ。水読が斬りかかってきても斬り返す訳にはいかなかったでしょうから、当時の方々は大変でしたねー」


 いやいやいや、怖い怖い。「大変でしたね」どころじゃない。

 先々代には、恐怖の大殺戮が二度と起こらないよう封印的な意味を込めて、そういった名前が付けられたらしい。過去の水読の名前であまり良くない意味が宛てられた人物は、何か不吉な事件を起こした可能性が高いそうだ。

 そういえば、由来がよくわかんない普通の単語っぽい名前もあったけど、ネガティブな名前もあったな。「罪過」とか。


「もしかして、その大事件のせいで塔や城は帯剣禁止なんですか……」

「あ、ご名答です。塔の方の決定打は確かそうでしたね。城は城で当時物騒でしたから、あちらも色々あって禁止令が整ったはずですが、きっかけにはなったかもしれません」

「うわぁ……」


 私こっち来ちゃったの、せめてこの時代で良かったかも。


「その程度のお話なら、いくらでもあるんですが……サワ姫を含む“泉の乙女”周辺の出来事は、水核にも殆ど残っていませんでした。水核に無いということは地上にもありません。これは。少々特殊な事態です」

「どういうことですか? 書物におかしいほど残ってないっていうのは聞きましたけど」

「本や記録書であれば、“泉の乙女”に関するものが何者かの指示によって全て処分された、ということもあり得ます。一つ残らずとなると並大抵の仕事ではないでしょうけれど、不可能ではありません。でも、そういった事を行ったという記録も記憶の名残もないというのは変ですね。まして水核にも残っていないならば、これは常人の仕業ではありません。水核は、あらゆる情報が水と共に流れ込みたゆたう場所。たった100年前の出来事が、これ程までに跡形もなく存在しないのは」


 水読はうっとりと、溜息と共に言った。


「きっとサワさんが、何かなさったのでしょうね」




  ◇



 結局、糸のことは何もわからなかった。“悲恋”とは関係ないのかな。

 かと言って、問題にしないのは楽観視が過ぎるだろう。


 翌日、夕暮れから夜に変わった頃、私は水読と初めて離宮の外に出た。

 私の格好は、金髪のカツラにベール付きの神官服だ。神官服はダレルさんに持ってこさせたものを元に、水読が離宮付きの女性神官全員分を仕立てさせたものだった。シルバーグレーの生地で、縁に黒い線が入る。長いベールは、様式としては一昔前のものになるらしいけど、そこは水読の趣味ということで処理された。

 予備の2,3着から拝借して変装し、もう一人女性神官を同行させ水読のお供を装った。


「この辺りも、数本切ってください」


 女性神官が返事をしランプを置くと、白いフリージアとライラックのような花を鋏で切り取る。私は切った花を抱え、黙って付いて行く。

 水読は、恋人の為に今晩寝室に飾る花を摘みに来たのだ。そういう設定だ。

 しかし工作の必要があるのか疑問なほど、夜の花園は静かで人の気配がない。芳しい香りだけが溢れかえり、その中で時々水読が振り返ってこちらを見る。

 私は銀の糸の方向を確かめては、視線で水読に教えた。

 離宮を出て動きまわっても、糸は方位磁石のように同じ方向を示し続ける。明かりの灯る巨大な影。

 城だ。




「辿ってみたいんですけど」


 部屋に戻ってから、私はベッド脇に立つ水読に言ってみた。水読は、繊細な手つきで花を活けていた。


「とても危険ですよ。僕と離宮に仕える取り巻きが歩き回っておかしくないのは、せいぜい塔の庭までですから」

「……そうですよね」


 ストンと椅子に座り息をつく。わかってはいたけど、がっかりだ。水読と新参の女神官が好き勝手うろつけるほど、城は理由もなく開放されているわけではない。一応あれ、国家の中枢だし。

 しかし口調から、水読も方法を探している事が窺えた。無視できないと思っているのは同じなのだ。

 ただリスクの割にメリットが……今回の私の出現や“悲恋”、“泉の乙女”の秘密と関係があるかどうかが不明なので、踏み切れない。


 どうしてこうなってるんだろう。

 満月まで、ただここに隠れて済めばいいのに。


 襟元から自分の胸を覗き込むと、金の鎖が揺れる。それを引っ張り出して外してみても、銀の糸は消えない。胸の真ん中に、指先で押したような赤い丸い跡がある。これは、ペンダントのように取り外すことは出来ない。

 ――何とかしないと。

 理由はわからないけれど、これを見るとそう思う。

 きちんと、跡も糸もない、最初の状態に戻らなければならない。そうじゃないと、またきっとこっちに来てしまう。

 サワも手紙で言っていた。

 『力を持ってはならない』。


「水読さん、一つ案があるんですけど」

「はい。なんですか?」

「城側にも、協力者がいないと無理だと思うんです」


 銀色の目がゆっくり振り向いた。空気の揺れに花が香る。


「本当に、信用できるたった一人だけでいいので」

「例えば?」


 私の思う人物と、水読の予想する人物は一致するだろうか。

 味方は少ない。この状況で助けを求めるなら、あの人しかいないだろう。


「クラインと、こっそり接触できませんか」


 彼なら、必ず秘密を守ってくれる。


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