4 離宮の娘
やっぱり私、若干選択ミスったんじゃ。
翌朝部屋に並んだ女の人達の揃いも揃って蒼白な顔を見て、私は大いに不安を覚えた。
アンダレルさんが連れてきた中から、水読が選定したという女性神官。私の身の回りの世話をする為に、急遽ここへ勤務することになってしまった人達だ。
年齢はバラバラで、アンダレルさんの家、リバー家の関係者だという点だけが共通している。
「ご苦労様でした」
検品済みの衣類の山を寝室に運び込ませながら、水読はひときわ青い顔をしているアンダレルさんににっこり微笑んだ。
「かろうじて及第点です。昨夜の今朝ですから、まあ、この程度でも仕方がないでしょう。細かい注文は後で言い渡しますので、そのつもりでお願いしますね。それから、そこの貴女」
ネチネチ文句を言った後、水読は一人の女性神官を指名した。私より少し年下と思われる、この中で一番若い女の子だ。小柄で、何となく親近感を覚える容姿をしている。
「貴女は身代わりです。いざという時には、この方の代役を務めてください」
「えっ……!?」
水読の言葉で、私を含む全員がギョッとした。
「一度はご帰郷なさった“泉の乙女”ですが、さるお役目により人知れず再来を果たされました。半月程滞在されたのちに、お帰りになるご予定です」
確認するように言われ、私は頷いて見せる。
「しかし塔に蔓延る俗物達は、私欲の為にそれを阻むでしょう。“泉の乙女”の帰路を遮り、軟禁すら厭いません。我が国の救い主に対して、信じられない暴挙だと思いませんか? ――そこで、貴女方の出番です。秘密の共有を許された、栄誉ある水仕え達。これより一丸となり、“乙女”を守る砦となって頂きます。大丈夫ですよ、たった半月の間ですから。出来ないなどという事はありません。ね?」
水読がにこにこ愛想よく言ったにも関わらず、誰も「よーし頑張るぞ!」みたいな明るい表情にはならない。特に身代わりを言い渡された女の子は、カタカタ震えて今にも倒れそうだ。
気の毒すぎて「まあまあそんなに厳しく締め付けるのも……」とかフォローしたくなったけど、私はぐっと我慢して黙っていた。この人達には、秘密厳守を徹底してもらわなければ困る。安易に緊張を解かない方が良さそうだ。期間限定だし、耐えてもらうしかない。
「水門らしい、秘匿の美学を期待しますよ」
「よろしくお願いします」
私がお辞儀をすると、全員が動揺しつつ承諾の礼を返してきた。
それを見届け、水読がこちらを振り向く。
「ミウさん。これから窮屈な思いをさせてしまうかと思いますが、安心してくださいね。私が必ず守って差し上げます」
「……よろしくお願いします」
「任せてください」
にっこり微笑み、水読は私の頭に用意させたカツラをぽすっと被せた。
波打つそれは灰色掛かった金髪というかミルクティベージュというか、こっちでよく見る淡色の髪だ。私は今城下町で流行っているという一般的なドレスを着ているから、後ろから見たら普通の町娘に見えると思う。本物の人毛でできてるっぽいし。
それから、身代わりの女の子の髪とよく似ている。
「ふふ。なんだか不思議な感じですね」
「……似合わないでしょう」
人生初の金髪ですけど。まさか、これで仮装して過ごすことになるの?
「お似合いですよ。元の色合いの美しさには及びませんが。……さて、ではこれだけ残して、他は染めさせましょうか。黒に」
水読が今思いついたみたいに言うと、アンダレルさんが慌てて帳簿に書き留めた。
◇ ◇ ◇
――水読が、とうとう妻を娶るらしい。
噂が出て数日。信憑性は増す一方だった。
数十年ぶりに水晶宮を開放し、町から攫ってきた娘を住まわせているという。
「本当に、只の噂ではないのか?」
「はい。水晶宮に現在、10名前後の女性神官が仕えているようです。身の回りの物も揃え、水読自身も連夜通っていると」
報告を聞くと、若き国王は椅子に背を預け息をついた。
重厚な執務机を挟んで直立する彼の弟――クラインは、兄が自分同様、解せないと感じている事を察した。
「どういう心境の変化だろうな」
クラインは黙って僅かに俯くに留める。
当人のほかに答えられる質問ではない。実際、答えを求めての言葉ではなかったのだろう。
今代水読といえば、内部ではその奔放さで知られる。
礼拝に訪れた女性神官に手を出すのは日常茶飯事。巧妙に相手を選び、身を汚さぬ立ち振舞いには塔も随分手を焼いていた。
確かに、時には町へ忍んで行くこともあったようだ。しかし未婚の娘を連れ帰るような事は、これまで無かった。
その水読を射止めたのは、平民の若い娘。
中流の水門・リバー家の使用人らしい。雇われたのは最近で、職を求めて遠方から越してきたという。素性の割に、職業斡旋所の世話になった形跡がないのは少々違和感があるが、無い話ではない。
移住後の、塔都参拝の折にでも見初められたのだろう――神官の間では、専らそう囁かれている。
水読の一声で、雇い主であるリバー家の人員が離宮に駆りだされた。
「適当に纏まってくれて、面倒事にならなければそれで良いが」
「黒く染めさせた婦人物の鬘を持ち込んでいるそうです」
クラインが言うと、彼の兄は面白そうに片眉を上げる。
「悪趣味だな。まさかその娘、黒眼ではあるまいな?」
例え辺境の片田舎であっても、この時世“黒”を持つ年頃の娘がいるはずがない。万が一いたとしても、のこのこと都市へ出ては来ないだろう。
兄の冗談に首を振り、クラインは退室の旨を告げた。
月光のような金の髪が、廊下の仄かな灯りに鈍く光る。
自室に戻りながら、彼は考えていた。
余程なのだろう、と。
黒い鬘というものは流通しない。容姿を偽る意味が、あまりにも不謹慎だからである。
それをわざわざ幾つも作らせて、離宮に閉じ込めた娘に宛がっていると聞けば、城、塔問わず顔をしかめる者は少なくない。
件の娘の容貌は伝わっていない。水君が一切人目に触れさせず、決まった神官以外には会わせないという。後見のリバー家は、あらゆる事情を口止めされているらしい。よって塔や学会では娘に関して様々な憶測が飛び交っている。大層な美女とも、平凡な娘とも。
――余程、彼女に似た者を見つけてしまったのだろう。
クラインは、自らの中でそう結論付けていた。
当時、水読が言葉通り彼女を帰した事を意外に思った。偽物を手元に作る虚しさは、塔の主とて承知の上だろう。それでも尚、そうせざるを得なかったのだ。
必要以上の詮索をするつもりは無いが、閉めきられた水晶宮にどのような娘が住まうのか気になった。
◇ ◇ ◇
「離宮」での生活は、なんとも静かなものだった。
特にあのカツラを被ることもなく、身代わりが必要になる機会も今の所ない。
ただ、退屈すぎてヤバい。閉じこもってひたすら待つならどうにかなるだろうと思ったけど、死ぬほど時間が過ぎるのが遅い。だからといって、外に出ようとは思わないけどね。
女性神官達はみんな恐る恐るといった感じで私に接し、リコやサニア達とほのぼのやってた以前の居候生活とは雰囲気が違う。かろうじてダレルさん……アンダレルさんのニックネームらしい……とは会話ができるが、おしゃべり要員に確保する訳にはいかない。
あーあ、文字が読めたら読書で時間を潰せるのにな。
水読はといえば、日中は午後に二時間ほど顔を出す。そして夜は必ずここへ泊まる。
最初の夜は、水読やダレルさんが色々な手配や偽装工作でバタバタしているのを尻目に寝室に篭って、どうにか一人で眠れた。
二日目の夜からは、水読が寝支度で部屋まで入ってきたから大分焦った。
「まさか、同じ部屋で寝るとか言いませんよね?」
「世間は僕の妻問いで持ち切りなんですよ? 別々の部屋で夜を過ごしたら変じゃないですか」
ヒィー!
「どうせ内部の事は漏らさない約束なんですから、応接間で寝ようがお風呂場で寝ようが大丈夫だと思います!」
「あははは。敵を欺くにはまず味方からです。神官達がうっかり、僕が寝室を閉めだされていたと口外しては拙いですからね」
ないだろ。そんなうっかりがあったら厳罰だって、散々全員を脅してた癖に。
いざとなったら、遠慮なくドアの外に助けを求めよう。
パジャマの上から厚手のガウンをしっかり巻きつけ、私はベッドの上、垂れ幕の隙間から水読を窺った。水読は、真向かいの両開きのドアの前へ椅子を運んで、ゆったりと腰掛ける。
いや、なぜ座る。
「本気でそこにいる気ですか。寝れないんですけど」
「どうしてですか? 大丈夫ですよ。――僕が安全だと、貴女はちゃんと分かっているでしょう?」
クスリと笑って、水読は手にした燭台の火をふうーっと吹き消し床に置いた。
「薄暗いと、見間違えてしまいそうですけどね」
懐かしむような声が言う。私は天蓋から下りる幕をそっと掴んだ。
「間違えられたら困ります」
「そうですね。そういうことが無いよう、心がけますよ。それに、近くで見たらきっと、暗くてもミウさんだと分かると思いますから」
「……似ていますか。私は」
「ええ。とても」
“悲恋”。
石置さわ。
水読がただ一人愛する、100年前の異国の巫女。
「水核から、サワ姫が消えていました。今は、ミウさんがお持ちなんですね」
「……多分」
寝室に入る前、水読は以前のように私の手を額に当てて「読んだ」。だから、分かっているはずだ。前に私がこちらにいた時からずっと、水読は“それ”を読み、常に存在を確かめていた。
水核を通って帰る時、小さな花びらのような破片が私の体から剥がれ落ち、“悲恋”の幻影になったこと。
再度こちらに来た時、“悲恋”の姿がまた花弁に戻り、私の体に吸い込まれたこと。
「“悲恋”は、私のお祖母ちゃんの、そのまたお祖母ちゃんの妹さんだそうです。無事に元の国へ戻って、普通に暮らしたみたいですよ」
「そうですか。それは良かったです」
「あの泣いている幻は何なんですか」
闇に目が慣れて来たが、虹彩に踊る銀の粒が見えない。水読は瞼を伏せている。
「水核に穴が開いていても、水をこちらに留め置くための“装置”です。動かない“二の月”の代用ですね。サワ姫が作られたので、彼女の姿を残しています」
あれが。
水読と、“二の月”ともう一つ、水漏れ防止のアイテムがあったと前に聞いた。“悲恋”が作ったものだったのか。……“泉の乙女”って、そんなものが自作できるの? 私無理ですけど。100年前の人なら結構現実味というか、身近な人間感あったんだけどな。
「どのようにかは存じ上げませんが、力を賭して構成なさったようです。動力には水読の力を使うように出来ています。ですから、私達は代が変わっても、サワ姫の幻の持つ役割と保持の手法については理解していました。水核に刻まれていましたからね。しかし“装置”は生成から77年目にひび割れ、100年目にして砕け散りました。砕けた欠片は水核を通り抜け、水と共に異国へ流れ去りました。尤も、こちらの者にとっては異国ですが、サワさんにとっては祖国ですから」
“悲恋”によって生み出されたそれは、私の世界に戻ってきて、一番馴染みやすい場所に落ち着いた。
私の体だ。
「血族の方だろうとは、予想していましたよ。ミウさんと彼女は声も背格好もそっくりでしたから」
「でも、別人です」
「ええ」
声に動揺は見られない。念を押すまでもなく、水読にとって私と“悲恋”は全くの別物なんだろう。
私が今回水読を信用していいと思ったのは、ここだ。
私と“悲恋”が似ているとしつつ、約束通り帰してくれた。今もこうして匿ってくれている。寝室からは後で絶対叩き出すけど。
「ミウさんが初めてこちらへいらした時、私が水と一緒に、偶然汲み上げてしまったとお話ししましたね」
「はい」
「実際は、逆だったんですよね」
「あー……」
そうじゃないかと思っていた。
水読は“悲恋”の幻の欠片を取り戻すため、体を眠らせ深く深く潜り、異世界から探しだして私ごと掬い上げた。漏水の回収はついでだった可能性すらある。
そして水読は、ちゃんと知っていた。私の体に取り込まれた“悲恋”の幻影を再び取り出す為には、私が向こうへ帰る時、生身で水核を通過する時でなければならないと。
「サワ姫は、ご帰国なさる際に“力”を残して行かれたんです」
“泉の乙女”の力……いや水読の力? よくわかんないけど、この手の不思議な力というものは、基本的に繰り返しを好むらしい。一度起きた事が二度起きるには、条件というか方向性が同じである事が結構重要なようだ。
……とそこで、私は超重要なことに気づいてしまった。
これまで勝手に、一回向こうに帰ったらもう大丈夫だと思っていた。“悲恋”は別にもう一度こっちに来たとか聞かないし、普通に。
でも私は二度目があった。
ということは、三度目もあるかもしれないという事だ。せっかく苦労して潜伏して無事向こうに帰っても、次また同じような状況になるかもしれない。その時、今回みたいに上手く隠れられるとは限らない。
原因を突き止めて対策しないと、とても危険だ。
「水読さん。今、顔の横に糸が浮いてるの、見えませんか」
「糸、ですか? どんな糸です?」
聞いてみると、水読は首を傾げて辺りを窺う。今まで全く無反応だったから予想してたけど、水読には見えていないらしい。
銀の糸。
暗い部屋に、あの銀の糸が漂っている。
私の胸の辺りから始まって、水読を通り越しドアの向こうへ続いている。昼間は日光でよく見えないが、暗くなるとその存在が消えていないのがよくわかる。
……明らかに怪しいよね、これ。
だって、前までは見えなかったものが見えてるわけじゃん? しかも今回水読が呼んでないのに私ここへ来ちゃって、そのタイミングで見え始めたじゃん?
絶対、なんかあるやつじゃん……?




