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雨の冠  作者: 桃宮
8.金の鎖、銀の鎖
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3 まさかのまさか

 ヤバい。

 駄目だ。

 も、もう一回潜ってみよう。

 骨髄反射で足元に飛び込んだら、ゴッと頭をぶつけた。痛い。ひどい。嘘だ。

 青い光は収まりつつある。縋る思いで手を伸ばしたが、やっぱり以前と同じようにみるみる水位が無くなり青い光も消滅し、私はただの岩の窪みに立っていた。


「……ちょっと水、水!! 戻ってこーい!」


 誰もいない洞窟で叫ぶ。こんなことってあるか!

 しかし泉は枯れたまま、髪も肌も濡れていない。水っ気皆無だ。なんでこんなことに……っていうか、また全裸なんですか。若干寒いんですけど。


 基本無人のこんな所にまで常夜灯はなく、泉の光が消えた今、辺りは真っ暗だった。

 だから何も見えない。

 ……はずだったのに、私は妙なものが見えて目をこすった。


 銀色の糸のようなものが、フワフワ空中に浮いている。


 なんだアレ。

 ひとすじの煙のようなそれは、なにやら私の胸の真ん中辺りから始まって、壁の向こうで途切れている。

 ――途切れているというか。

 暗闇の中で恐る恐るそれを辿ってみると、壁で消えていると思いきや、糸は上方へ上っていた。糸が見える所は岩の中ではなく、空間だ。つまり、そこには階段がある。

 糸は地上に続いているのだった。


「…………」


 ……上がるしかないのかな。

 地上に出るまでに、風邪引かないといいんだけど。




 すべすべの石段は足裏にはまぁまぁ優しく、しびれるほど冷たくもない。

 銀の糸が何なのかわからないまま上っていくと、無事に出口に到着してしまった。糸はドアを透かして向こう側に続いている。

 少しだけ押し開け顔を出すと、塔の制服を着た兵が一人で番をしていた。突然内側から開いたドアと私を見て、見張り番は幽霊にでも出くわしたような顔をした。


「……こんばんは」

「えっ!? ふ、ひ、フィ……!?」


 はい、「“泉の乙女フィニアヴェラ”がどうしてここに!?」ですね。お気持ち分かります。

 塔兵の顔は、よく見ると見覚えがあった。帰る時ここに立ってて、王様に名前を聞かれていた人だ。ええと、確か……。


「アンダレル・リバーさん」

「は……な、何故名前を……あ、いえ! 申し上げました……!」


 向こうも当時のやり取りを思い出したらしい。


「驚かしてすみません、あの、誰か呼んでもらえますか。あと、服を貸してもらえると助かるんですが……」

「はっ、はい只今!」


 小声で頼むと、アンダレルさんは大急ぎで上着を脱ぎこちらに差し出した。ありがたく受け取って羽織り、全てのボタンを首まできっちり留める。


「着ました。助かりました」

「よ、よろしゅうございました! では、誰か上の者を呼んでまいりますので……」


 威勢よく返事をすると、通路を駆け出す。

 あ。


「待って!! やっぱり、呼びに行くのはちょっと待ってください!」


 慌てて叫ぶと、アンダレルさんはたたらを踏んで振り返った。

 私は必死に考える。

 誰か上の者と聞いて、思い浮かんだのは神官長の爺さんだ。そうじゃなければ、その部下のちょっと偉い神官。私の所在をめぐって、大臣達と言い争っていた人達。

 ……ということはなんだ。危ないぞ、超危ない。

 私がこっちに来た事を、城より先に塔に知られたらかなり拙い。軟禁されて城側からの接触を断たれ発言を騙られる、というパターンが成立可能となってしてしまう。

 じゃあ、現状で私が取るべき最善は。


「――水読さんを、呼んでください。誰にも知られないように、水読さんだけに私の事を伝えて、ここに来てくれるよう言ってください」

「は……それでしたら、やはりまずは高位の神官を……私ではお目通りが」

「駄目です」


 知られる相手は最小限にしなければならない。この人ですら、信用できるか危ういのに。なんとかして言う事を聞いてもらわなければ。


「イワオキが、用があると」

「…………?」

「水読に、そう伝えてください。イワオキと名乗る人間が、極秘に、水読とだけ会って話す必要があると言っています。そう、伝えてください」


 ゆっくり、なるべく威厳のある態度を意識して告げる。

 最高位の司祭を呼び捨てにして命じると、見張り兵はゴクリと息を呑んだ。


「あなただけが頼りです。お願いします」


 真剣に念を押す私に、アンダレルさんは表情を引き締めて神官の礼をし、こんどこそ通路を走っていった。

 ……上手くいくだろうか。

 石置いわおきの名前が耳まで届けば、水読はきっとここへ来る。

 “悲恋”の名前は「サワ」。

 神官の間では、そこまでのはずだ。

 石置の姓はあの英語と日本語の手紙にだけ残されており、王様も水読も私から聞くまで知らなかった。もし他に知る人がいるなら、あり得るのは“悲恋”の間近で仕えた家系の人だけだろう。

 その人達を通さず、どうか、水読まで無事伝わりますように。


 ドアの内側で必死に願っていると、やがて足音が聞こえてきた。耳を澄まし人数を聞き分ける。……大勢ではなさそうだ。

 キイッとドアが開き、銀糸だけが浮く闇が破られる。

 長細く明かりが漏れ、その向こうから覗き込んだのは……


「……ミウさん」

「水読さん!」


 よかったー!! よくやった、私とアンダレルさん!!

 銀に光る淡い色の髪を揺らし、水読は驚きに目を見開いていた。




「火を」


 石段側の出入り口の燭台に、明かりが灯される。


「貴方は外で見張りなさい」


 アンダレルさんが出て行きドアが閉まるのを見届けると、水読ははっと振り返った。


「ミウさん」


 詰め寄られ、存在を確かめるように両手で頬を包まれる。


「水核に気配は感じました。ですが、まさか本当に……どうして、こちらに」

「わかんないんですけど、気がついたら下の泉に出てまして……あの、見つかる前に帰りたいんです」

「ええ」


 重要な意志を伝えると、まだどこか呆然としながらも水読は頷いた。


「ひとまず泉へ下りてみましょう」


 水読は一度外へ声を掛け、手提げの明かりを用意させた。加工水晶のガラス板で四方を囲んだランタンは、水読が持つといやに燻ぶる。そういうものらしい。炎が縮んで仕方がないので、私が持つことにした。


「私、なんでこっちに来ちゃったんでしょう」

「今度ばかりは、一切干渉していないんですが」


 階段を下り泉に到着すると、水読は床に膝を突き、手を伸ばして泉の底に触れた。透き通った鉱石の岩底は、奥底でほんのりと青白い光を宿す。

 が、そこ止まりだった。


「ミウさんも触ってみてください」


 言われた通りにしてみたけど水核は融けず、一滴の水も湧き出してこない。どうしよう。


「帰還の際は青く光る水が湧いたと聞きましたが、この状態とは違いますよね。……以前のように、上で汲み上げてみます。青い水が湧いたら、泉に入ってください」

「はい」


 頷く私の目を見つめ立ち上がると、水読は暗い石段を上っていった。私は残されたランタンと一緒に、じっと泉の底を眺めて待つ。どれだけ待っても、青いネオンのような水が湧いてくる事はなかった。

 やがて、背後に白い装束の水読が立った。


「駄目ですね」

「帰れないのは、“二の月”のせいですか」


 “引力”とやらの作用で、私を返せなくなるかもと危惧された。原因がそこにあるなら、かなり困る。

 水読は首を横に振った。


「“二の月”は一度目覚めた後、再び光を失い、以来光っていません。あの夜から力を増すだろうと予想しましたが、然程の変化はありませんでした。送還が上手くいかない原因は、一の月の月齢である可能性の方が高いです。この前は満月前夜にお送りできたのですから、月が満ちるのを待てば、まだ私の力も及ぶでしょう」


 今日はそっか、新月だ。新月だから、私はこっちに来てしまったんだろうか?


「次の満月には、私を送ってくれますか?」

「ええ、勿論です」


 水読の静かな声が洞窟に響く。

 肯定は当然、予想通りだった。水読は私を還すだろう。問題は、それまでの時間をどうやり過ごすかだ。


「私が半月隠れて暮らせる場所って、ありそうですか」

「髪と肌はどうにか隠せても、眼の色は厳しいですね――ミウさんの来訪を知っているのは、先程の扉番だけですか?」

「一応、そのはずです。口止めしたので」

「わかりました。上に戻りましょう」


 ランタンを持って階段に向かう時、水読が私の足元に気付いた。


「……素足でしたか。すみません。靴をお貸しします」

「大丈夫です。裸足の方が歩きやすいです」


 手短に断った。なんだか、お互い微妙によそよそしい。




「貴方の父兄は塔に居ますか。家柄と伝手はどの程度です。身内に女性の神官は居ますか。姉や妹は」


 地上に出ると、水読はアンダレルさんに矢継ぎ早に尋ねた。アンダレルさんは緊張気味に答える。一体、そんな個人情報をどうするんだ。

 返答を聞き終わると、水読はおもむろに上着を脱いで私に被せた。


「わ」


 薄水色の絹で仕立てられた長い羽織りで、頭からくるみ込まれる。もがいていると、いきなり抱き上げられた。


「ちょっ、何を……!」

「少しの間、声を出さないでくださいね。――裏手へ周ります。同行しなさい」


 半分は私に、もう半分はアンダレルさんに言って、水読はどこかへ歩き始める。


「どこに行くんですか」

「半月隠し通せるかは運次第ですが、ひとまず今夜の宿にお連れします。髪と目を見られないようお願いします」


 やむを得ず水読の肩に手を掛けた私は、慌てて内側から布を押さえた。

 水読は建物から出て、塔周辺らしき通路を進んだ。外は暗く、ぽつぽつ灯火があるだけでほぼ林の中に近かった。通路の片側は常に岸壁であり、見上げると塔の庭の明かりが見えた。塔は崖の上に建っている。

 地面に舗装があるなら歩くと訴えたが、聞き入れられることはなかった。私は水読の細腕を、ひいては自分が落っことされないかどうかを結構本気で心配してるのに。


 抱き上げられたままどこかの階段を上がると、なんとなく見覚えのある場所に出た。回廊の下げランプが木々の向こうに連なり光っている。塔の庭の裏手らしい。

 水読は聖堂らしき白い建物の裏側から軒下に入り、滑らかな石の床に私を下ろした。羽織りを目深に被ったまま周囲を窺う。空には星が輝いている。塔があっちに見えるってことは、結構庭の奥の方だな。

 水読が自分の髪から石の付いた飾り紐を外し、アンダレルさんに渡した。


「離宮の鍵を取りに行きなさい。貴方が自分で持ってくるんですよ。この方の存在は他言無用。貴方の一族の命と引き換えです」


 青ざめたアンダレルさんは、飾り紐を受け取ると慌てて塔へ走っていく。


「生憎、直接の手駒には事欠きまして」


 崖の向こうから吹く夜風が私の被る布をはためかせ、水読の銀糸のような長い髪を煽る。こんな時間、こんな人気ない建物の裏に、この国の最高司祭と伝説上の“乙女”が潜んでいるとは誰も思わないだろう。


 戻ってきたアンダレルさんに扉を開けさせ、水読は再び私を抱き上げ建物の正面に回った。出入り口の前で、式典の装束を着つけてもらったあの白い建物だと気付いた。


「ここですか……?」


 私が、二週間潜伏できる場所? 多少奥まってるとはいえ、塔の敷地じゃん。大丈夫か。ていうか、なんでここ?


「私が個人的に女性を匿えそうなのは、ここだけなんですよね」

「……離宮?」

「ええ。この建物は、一般にわかりやすく離宮と呼ばれます」


 玄関を抜け暗い屋内を進み、一番奥の部屋に入ると、水読は中央の瀟洒なソファに私を下ろした。ドアマンをするアンダレルさんを振り返る。


「大至急、この方の為に室内着を。夜はまだ冷えますから、上等の生地の、温かいものでなければなりません。それから明朝までにご婦人用の着衣一式を数組、頭衣付きの女性神官服を一揃え、上質の鬘を数点用意しなさい。身内の女性神官の中で口の固い者を5名から10名選び、ここへ届けさせるように」


 淡々と言いつけられ、アンダレルさんは縮み上がって返事をした。なんか、朝までとかサラッと無茶振りな気がするんだけど。断れないんだろう。


「出して良いのは、私の名までですよ」


 アンダレルさんが大急ぎで出て行くと、水読は手提げ灯の蓋を開けて部屋の燭台に火を移した。やっぱり水読の手を離れると炎が大きくなる。

 明かりが増え、私はその場所を見回した。着替えや採寸の時は応接間を使ったので入ったことが無かったけれど、ここは寝室のようだ。全体的に清楚な設えで、背後に大きなベッドがある。


「その粗野な上着は着替えませんか? 今すぐお貸しできる衣類は、私の着ているものだけになりますが」

「大丈夫ですご親切に、お気遣いどうも」


 隣に座られ、私は膝を抱えて長衣で爪先まですっぽり覆った。全裸に男物の上着二枚っていうこの現状、ものすごく心もとない。

 今更だけど、大丈夫か私。

 一応勝算があって、一番帰れる可能性が高い選択をしたつもりだった……んだけど、早まったのかな? いや、間違っていないはず。大丈夫、大丈夫……。

 妙な静けさに薄ら寒いような気持ちになりながら、服が届くのをじりじりと待つ。


 翌日には、「水読が離宮に身寄りの無い娘を連れ込んだらしい」という噂が都を駆け巡っていた。

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