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雨の冠  作者: 桃宮
プロローグ
1/103

レイニー・トリップ

 

 

 桐の箱。添えられた髪の一房。

 楮紙にしたためられた一文は重々しく、死して尚、という誓いに続く警告である。


 ”我が血族の娘子に、すい冠することなかれ

  然もなくば“おとめ”は天理に引かれ、望まぬ契を強いられる

  身、きよく、心、たかくと望めども、二つに一つは選べない―― ”






 ◇ ◇ ◇



 私は傘を差し、ぼーっと家までの道を歩いていた。

 夕刻の街はどこもかしこも灰色に濡れ、暗く沈んでいる。

 ――レインブーツ、もっと早く買うべきだった。

 敢えて水溜りに突っ込むと、水を踏む音と一緒に、そんな思いがぴちょんと跳ねる。昨日までは、バイト上がりの疲れた爪先を水浸しにして帰っていた。


 長雨が始まったのは、二週間ほど前のことだ。ようやく残暑が収まったと思ったら、梅雨の再来かというような日々が始まった。

 ニュースでは連日、水害を警戒する予報が流されている。幸いにも今のところは、大洪水の報道はないようだけど。ただし、明日にも道路が水浸しになって出勤できなくなるとも分からない。……まあ、それはそれで、と思ったりもするけど。


 私の名前は、長瀬美雨と言う。

 これだけ降られると流石にうんざりするけど、名前にも入っている位なので、本来雨は嫌いじゃない。

 先日23歳になったばかりの私は、しがないフリーター生活を満喫中だった。大学は卒業したものの進路が定まらず、実家住まいをいいことに今のバイト生活に落ち着いた。焦る気持ちもあるけれど、一応資格の勉強とかもしてるし、もう少しくらいこのままでもいいかなー……なんて。


 結婚の早かった母は「女の子なんだから、早いとこ良い人見つければいいのよ」と週に一度は言っていて、口癖が「婚活」になって久しい。

 父は父で、「一応働いてるんだから良いじゃないか」と気楽なものだ。

 二人居る兄がそれなりにしっかりしているので、昔から私への風当たり……もとい、期待は然程強くなかった。適当に国民の義務を果たしつつ暮らして、適当な年齢でお嫁に行けばいいんだろう。正直、あんまり結婚願望ないんだけど。……っていうか、今のとこその相手もいないんだけど。


 ……ま、先のこと考えるのはよそう。

 幾つ目かの水たまりに踏み入りながら自分に頷く。

 考えるなら、さっき買ったティラミスのことにしよう。あと、浮腫んだ足を癒すお風呂。雨で少し体が冷えたから、今日は熱めのお湯にゆっくり浸かって、その後リビングで勉強しよう。疲れたら、ティラミスを食べていいことにする。

 そうやって地道に日々を過ごしていれば、そのうち自分の行く道も見えるだろう。





 ――で、自分はそのお風呂で寝落ちでもしたんだろうか。

 ふと気付くと、私は水の中に浮かんでいた。深い海の中のように、上下左右どこを見ても果てしなく水だ。視界は全て、薄暗い群青色で染まっていた。


 夢かな?

 いや、夢にしては随分鮮明だ。ゆったりと水に撫でられる感触を、全身の皮膚に感じる。試しに自分の手に触るってみる。つねったらちゃんと痛かった。

 何だろう? 現実? 現実だったらヤバいよね? こんな深い水の中にいたら、確実に溺れて死ぬ。

 ……死ぬ?


「おっ、溺れ……!!」


 ゾッとして大慌てで口に手を当てたところで、別に苦しくないことに気付いた。


「なんだこれ……?」


 感覚は完全に水中なのに、息が出来ていた。ていうか喋れた。溺れるから大きく息を吸って呼吸を止めなければ!とか思って深呼吸すらしてしまった。


「なんだ、やっぱり夢か……」


 あーよかった。でもとりあえず薄暗い水中って怖いから、外に出たい。

 生憎、夢の中から起きる方法は分からない。

 起きようと思って起きられないなら、と、私は何となく光を感じる方へと泳ぎ始めた。本能的に、そちらが水面だと思った。思えば体が浮力に従う気配がなかったけれど、夢だし変だとは思わなかった。息が出来て水圧もなく、目もはっきり見えるから今更だった。

 足を動かすと、体は驚くほど軽く前へ進んだ。楽々泳げて気持ちいい。


 やがて期待通り、水面のような形が見えてきた。辺りの青がどんどん明るく、鮮やかになっていく。その光に飲み込まれるように包まれながら、私は手を伸ばした。

 あと少し、一蹴り、二蹴り。


「ぶはっ!!」


 べちっと音を立てて、指先がひんやりした岩の岸を掴んだ。ようやく顔が水面から出る。

 その途端、おおおお! とどよめきが沸き起こった。


「“泉の乙女”じゃ!! “泉の乙女”がおいでくださった!」


 は?


 感極まった叫び声が聞こえ、目を瞑ったままの私はぎょっとした。聞き覚えのない、おじさんの声だ。どよどよ言うのも男性の声。しかも随分大勢。

 瞼を伝う水を拭い、青い光に眩んだ目を瞬かせる。


「おおおぉー……」


 目に映ったのは、見知らぬ沢山のお年寄り達だった。地面に膝を突き、驚きと歓喜に目を見開いている。

 え、何この集団?

 生憎、私は年配の知り合いは殆どいない。家庭の事情で……言っちゃうと両親が駆け落ちしたせいで、祖父母にも会ったことがないくらいなのだ。

 よく見ると後ろにはもう少し若い人もいるが、どちらにしても全く知らない他人ばかりだった。というかそもそも日本人じゃなさそうだった。みんな鼻が高くて彫りが深くて細面で、眉毛や髪は白っぽい。白髪かもしれないけど。全員が全員なにやら仰々しい裾の長い衣装を身に着け、固唾を飲んでこちらを見ている。

 水族館のアザラシのように、手の先と首から上だけを水面から出した状態でポカンとしている私をだ。


 周囲はまるで洞窟のようだった。ごつごつとした岩壁を、蝋燭の火と不思議な青い光が照らし出している。青い光は、私のいる場所から出ていた。水が光っている。びっくりして片手で水を掬ったら、ネオンみたいな蛍光ブルーに光りながらコロコロと球になってこぼれていった。

 さすが夢。わけわからん。


「えーと……こんにちは。ここ、どこですか?」


 意味不明なりに気まずさを覚え、私は老人集団に聞いてみた。なんか、間が持たないような気がして。

 再び息を呑むようなざわめきが起こったが、一番先頭に居た上品なお爺さんが片手を上げるとシーンと静かになった。お爺さんは頬笑みを浮かべると、私に向かって恭しく答えた。


「こちらはメルキュリア王国、塔の都でございます。“泉の乙女”よ、よくぞお越しくださいました」

「はい?」


 うーん、聞いてもますます意味不明。


「すみません、夢から覚める方法ってご存じないですか?」

「夢、でございますか……?」


 こんなはっきりした夢なんてなんか怖いし、早いとこ目を覚ましたい。しかしお爺さんは怪訝そうな顔をするだけだった。


「ひとまず、泉から上がられては如何でございましょう。ゆっくりとお寛ぎ頂けるお部屋をご用意してございます。おもてなしの準備もございます。衣は――そなた、着るものをお渡しせよ」


 お爺さんが背後に呼びかけると、男の人がさっと歩いてきて水際に膝をついた。ポカンとしている私に、マントのようなものを差し出す。


「あ、どうも……」


 なんとなく受け取り、そこでようやく気が付いた。

 私、服着てない。

 うっそ、何で……!

 ぎょっと体を見下ろした途端、なぜか体が勝手に浮き上がってきた。最悪だ。今まで深い水の中を泳いで来たはずなのに、いきなり底が出現したみたいな。水深は見る見るうちに浅くなり、私は10cm程度の浅い水たまりにぺたりと座り込んでいた。


 ぎゃーーー無理!!

 例え夢でも、ここで全裸は無い!

 半狂乱で借り物の服を広げ、体を隠す。爺さん達はあたふたと回れ右し、衣類を貸してくれた人も何も見なかったかのような態度でスーッと下がっていった。

 大急ぎで被った布は、丈の長い前合わせの上着だった。すっぽりと足まで隠れて水面にも触ったのに、青い水たまりも髪や体に付いていたはずの水滴も、不思議と布を濡らすことはなかった。全て転がって落ちたのかもしれない。

 それでも濡れないよう裾を少したくし上げ、私は浅いプールの中で立ち尽くす。えーと。


「服着ました……で、ここがなんでしたっけ?」


 ボソッと言うと、真剣な表情のご老人達がざっと一斉に振り向いた。

 ……なんていうか。

 シュール。

 反射的に愛想笑いを浮かべてみたけれど、特に状況は変わらない。

 これ一体、どうやったら目が覚めるんだろ?


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