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未練は、ありますか。

作者: 小田和葉

 私は、どうやら十八歳の大学受験を控えた年に、死んだらしい。

 約一週間前に、頭を強く打って、即死だったって。だけど、その衝撃で私の魂はどこか別の所に飛んでいってしまって、私を探してるうちに一週間も処理が遅れた、って頭の上に輪っかを浮かばせた『受付』の人が仏頂面に少し不愉快な表情を浮かべながら言った。うん、確かに、信号無視の車が勢いよくぶつかってきたところまでは覚えてる。と言う事は、私は事故で死んだんだ。

 何てあっけない人生。人って本当に簡単に死んでしまうんだね。それより、死んでからも迷惑かけてごめんなさい。


「それで、あたしは天国か地獄かどっちですか?」

「未練はありますか」

「は?」

「ですから、未練は、ありますか」


 私の質問には答えずに、淡々と、相変わらず眉をひそめて不愉快さをにじみだしながら受付の人が繰り返した。私はしばらくの間、その言葉が知らない言語のように聞こえて、ぼんやりとしていた。


「里山カリンさん」

「あ、はい」

「未練は、ありますか」


 彼の三度目の言葉には、少しイライラした感情が交じっていた。

 ――……未練。

 あると言えばあるような気がするし、ないような気もする。というより、もう、少しずつ記憶が欠け始めてきているみたい。

 ……あれ。あたし、何で死んだんだっけ。事故?自殺?殺人?死んでるんだからもうどうでもいい話だけど。

 どうやら、生きている時とは逆で、死んだら、生きていた時の新しい記憶からなくなっていくようだ。


「死んだら新しい記憶からなくなっていくんですね」

「いいえ科学的根拠はありません」

「あ、そうですか」


 違うんだ。ということは、私の生きていた時の記憶の機能が、強く頭を打ったことによって壊れたのだろうか?


「そんな事より……未練は」

「分かりません」


 私が変な質問を投げかけたからか、更にイライラが増した彼の四度目の言葉をさえぎって、そう答えた。すると彼は呆れたような顔をして、ため息をついたが、すぐにまた仏頂面に戻った。


「それでは、もし未練がございましたら三日以内に、この書類を受付へご提出ください」

「そんなに未練があるかないかって、重要なんですか?」


 早口でそう捲くし上げ、色々面倒くさそうな欄のある書類を私に渡して、さっさと私との会話を切り上げようとした彼にそう言うと、聞こえるようにチッと舌打ちをして、面倒くさそうに話し出した。


「死ぬ間際の未練が大きければ大きいほど、生まれ変わる時に影響が出るんです」

「へえ、自縛霊になるのかと思ってた」

「あんなもの、生きている人間の勝手な妄想です」


 もう良いですか、と顔で示してきた彼に、へら、と笑って、ありがとうございました、と私が言った瞬間、すぐに私から私の後ろにある『待ち合い席』へと視線をやって、「大塚ノボルさーん」と次の死者を呼んだ。

 私は、その書類と一緒に受付から離れ、受付の済んだ他の死者たちが、わらわらと歩いている緑豊かな公園のような広い場所に行ってみた。


「未練、ねえ……」


 周りを見ると、どうやら他にも書類を受け取ったものの、悩んでいる人が何人かいるようだった。


 書類を持っている人たちに話を聞いていると、考えている事は皆同じらしい。しかも、書類を受け取って悩んでいる人達の死因はほとんどが事故死。そりゃそうか、未練があるとすれば、突然死んでしまった人間だけだ。

 だけど、未練があるようでないと感じるのは、何故だろう。どうしてすぐにある、と皆答えられないんだろう。

 そう聞いてみても、皆答えは「知らない」だった。私だって聞かれたら知らないって言うに違いない。


「ああ、どうしようかな……」


 待ち合い席に戻って、椅子に座って足をぶらぶらさせながら、書類を前の机に置き、自分に未練と言うものがあるのか、考えてみた。

 壊れた記憶の機能の所為で、もう、ここ最近の記憶はなくなってきた。ありきたりな人生を送ってきた私なので、もうあえて語らない事にする。ちなみに彼氏いない歴は年の数だ。何度か告白はされたから、それなりに恋愛をしようと考えれば出来たのだろうけど、その人達と私の恋愛模様が全く想像できなかったので、全て断ってしまった。くそう、惜しい事をした。こんな事なら誰かと付き合ってキスの一つや二つくらいしておけばよかった。これはある意味未練だ。

 でも、こんな事ぐらいで、こんな細かい書類を書きたくはない。書くなら、もっとすごい未練を……。


「未練ってさあ、そんな考えるもんなの?」


 もんもんと考えていると、私の向かいでせっせと例の書類の欄を埋めている同い年くらいの男の子が、不意に聞いてきた。あ、この人には未練があるんだ。


「さあ。でも聞かれたら、何かあるような気がして気になるから」

「……ふうん。でもそれって、そんな大切なことじゃないんじゃない」

「あーそうかもねー」


 適当にあしらっていると、男の子が、よいしょ、と席を立ち上がった。どうやら、欄を全て埋めたらしい。


「ま、俺には関係ないけど。簡単な未練で提出しないでよ。そういう奴らが多い所為で、俺みたいなちゃんとした未練のある奴の書類の処理が遅れるんだから」


 そう言い残して、彼は去っていった。あいつ、どっかで見たことあるんだけど誰だろう。他人の空似ってやつかな。

 私の記憶はこうしている間にもどんどん抜け落ちているから、高校時代に出来た友達は、ほとんどぼやっとしか思い出せなくなってきた。

 彼は受付の椅子に座って、処理が終わるのを待っている。小さな未練しかない私と違って、彼にはちゃんとした未練があるんだ……いや、未練なんてない方が幸せなんだけれど。

 しばらくして、奥に入っていた受付の人が小さな黄色のカードを手渡した。渡された彼が嬉しそうに歩いてくる。


「処理、終わったんだね」

「ん、ああ」

「そのカードなに?」

「これ? 下界行きのチケットみたいなもんだよ」


 ピラピラ、とカードを揺らせながら、彼は笑った。


「ふーん」

「じゃ、またな、里山さん」


 そう言って去る彼。……ん? 今、里山さんって言った……やっぱり知っている人だったのか。誰だろう、髪の毛は短く、柔らかそうなそれは重力に逆らってふわっと立っていて、少し目がつり目で、口の右下に小さなほくろのある、男の子。


 誰だ誰だ。必死に壊れた記憶の機能を働かせる。記憶はすでに中学二年生までしかない。その記憶の中にあると良いんだけど。


「……あ、大塚くんだ」


 はっと思い出した私は、消えそうな記憶の中で必死に思い出そうとした。まわりの雑音なんか全く気にならないほどに集中したのは、生まれて初めてかもしれない。もう死んでるけど。

 ああ、そうだ、あれは確か中学二年生の秋。イチョウの木の下で、告白してきた人だ。私にとって、告白されるのは人生で初めてだった。


「好きです」


 それだけ言って、私の前から去っていった彼。ただのクラスメートだった大塚くん。

 だけど、その時の私は、確か、他の誰かが好きで――今はもう思い出せなくなってしまった――、何の言葉も返せずに、去っていく後ろ姿を見つめていただけだった。

 彼と言葉を交わしたのは、あれが最初で最後だった。


「そっか、大塚くん、死んじゃったんだ」


 まさか、こんな所で再会するなんて思ってもみなかった。

 彼はまだ、私の事が好きなんだろうか……いや、生前、私が告白してきた彼にとってしまった態度と、さっきとってしまった態度を合わせて、彼は私に幻滅しているだろう。そして、こんな女を一瞬でも好きになってしまった自分を恥ずかしく思っているかもしれない。そう考えると、なんだか悲しくなった。

 ああ、私の今の一番大きな未練は『あの時、何でも良いから大塚くんに言葉を掛ければよかった』だろう。

 だけど、書類を見ると、下の方の注意書きに細かい字で『過去、未来への未練は無効。有効な未練は現代に降りて達成出来ること』と書いてある。つまり、過去や未来を死んだものが変えてはいけない、ということ。


「……今更、気付くなんて」


 呟いてみたけれど、彼とはもう、会えるかどうかも分からない。生きていればどこかでばったり会えたかもしれないけど、お互い死んでいては、ばったり、の可能性は無に等しかった。

 しばらく椅子に座って黙っていた私は、そう言えば、彼はどこへ行ったのだろうと考えた。ふ、と受付を見ると、ちょうど死者が誰もいない。よし、行って聞いてみよう。


「すいません……あ」

「……未練が見つかったんですか」


 私がたまたま聞いた受付の人は、私が最初に話した仏頂面の人だった。彼はまたか、と言った表情で、ため息を吐き、私を見た。


「いや……あの、大塚ノボルくんの未練って、何ですか?」

「は? プライバシーな事は一切お答えできません」

「ですよね。ね、そこを何とか!」


 お願いします、とお辞儀をしてみても、彼の答えは相変わらずNOだった。何度かそのやりとりが続いた後、彼がはあ、と今日何度目だろう、ため息を吐いた。


「待ち合い席でお待ちになってはどうですか。恐らく、今日中にはカードを返しに戻られるでしょうから」


 そう言って、この話は終わり、と言ったように彼は私から視線をそらした。彼なりの優しさを感じた私は、素直にお礼を言って、さっきの席に戻った。

 大塚くんは、戻ってくるだろうか。

 私がうつら、うつら、と居眠りを仕掛けていた時、頭の上の方から「まだいたの」と言う声が降ってきた。

 ゆっくりと目を開けて、上を見上げると、大塚くんが私を見下ろしていた。


「大塚くん……」


 私がそう言うと、大塚くんは驚いたような顔をした後、ちょっとだけ笑った。不覚にも、カッコイイと思ってしまう私がいた。


「知ってたんだ、俺の名前」

「うん、さっき思い出した。もう、何で大塚くんの事知ってるかは忘れちゃったけど」


 気が付けば、私の記憶は、小学校低学年までしかなくなっていた。忘れちゃいけなかったような気がする、大塚くんとの思い出。

 生きてるときの記憶の機能が壊れちゃったの、と言うと、大塚くんは困ったような、それでいて泣きそうなのを我慢しているような、変な笑顔を浮かべた。少しうつむき加減で呟く。


「じゃあ、覚えてないんだ」

「何を?」

「俺が……いや、何でもない」

「大塚くん、あのね」


 言いかけてやめた彼を咎める気はない。聞いてしまったら、なんだかまた悲しくなる気がしたから。

 名前を呼んだのは、私が聞きたかったのは、別のこと。


「何?」

「大塚くんの未練って何?」


 シンプルな言葉で聞いた私に、少し意外な質問、とすこし目を見開いて驚いたような顔をして、そのあとうつむいてどうしようか、と迷っているようだった。

 私はそれを気長に待つつもりで構えた。雑音が二人を包む。しばらくして、決意したように私の隣の椅子に座った。


「俺、墓に行ってたんだ」

「え、自分の?」

「馬鹿、そんなの未練じゃなくて好奇心だろ」

「そっか……じゃ、誰の?」


 いったん間を置いて、大塚くんが私の目を見た。今までとは違う強い眼差し。思い出せないけど、昔もこんな目で何かを言われた気がする。


「里山さんの墓」

「……私?」


 まさか、私だとは思わなかった。何で私の墓参りが未練なんだろう。


「なんで?」

「……俺、里山さんの葬式に行けなかったから」

「それでわざわざ?」

「せめて墓参りでも、と思って行く途中にバイクにひかれた」


 そんなの、こっちで私に会ったんだから別に良かったのに、と言ったら、大塚くんは行きたかったんだよ、とぶっきらぼうに言った。

 なんだかわからないけど、ちょっと嬉しかった。


「あのさ、里山さん」

「ん?」


 話が一段落ついたので、もうこれで終わりか、と思った時、彼が私の名を呼んだ。

 彼の方を見ると、少し照れた顔をして、私を見ていた。

 私がもう一度「何?」と言うと、俺……と小さい声で言い始めた。


「俺、死ぬまで…いや、今も里山さんの事が好きです」


――……あ、なつかしい。


それだけ言って、立ち上がり、大塚くんは、じゃあ俺、受付で手続きしてくる、と言った。行ってしまえばもう絶対会えなくなるんだって、分かった。


「待って!」


 二、三歩離れた大塚くんが振り向く。何、と首を傾げる。


「ありがとう」

「?」

「好きって言ってくれて、ありがとう」


 何でありがとうなのかは自分でも分からなかった。でも、これが一番しっくりきていた。

 その私の言葉を聞いた彼は、今日一番の笑顔を見せて、手を振ってから、受付へと歩いていった。

 あれから四日後。私は結局、書類は出さなかった。未練らしい未練が思い浮かばないし、それ以前に、生前の記憶がもう、三歳の時に家族で栗拾いに行った事くらいしかないから。

 でも、それでいいんだ、考え付かないなら、わざわざ探さなくたっていい。

 よし、栗拾いの記憶が消えたら受付へ行って、天国か地獄かへ行こう。



 ……あ、できれば、やっぱり天国がいいなあ。



終わり

初めまして、こちらでは初めての投稿です、小田です。 私にとって、初めての死者、天界の話(?)です。ほとんど想像なのですが、この受付は、パスポートを受け取る所のようなイメージです(笑) 色々読みづらい点もあったかと思いますが、最後まで読んでくださってありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 死後の世界を書いた作品は少ないので、新鮮でした。 私が同じ質問をされたら何て答えるだろうか? なんて、ちょっと考えちゃいました。 もっと登場人物や情景の描写があると、より場面を想像しやすかっ…
[一言] 未練は人それぞれ 私が、もし不慮の事故で死んだとしても未練は有ったか無かったか分からないと思う。
[一言] 死んだ後なのに、死んだ後の世界で、新たな何かが生まれた感じで、とても、良かったです。「死」って、どちらかといえば、マイナスな感じなのに、このお話は、プラスな雰囲気を出していて、とても、読みや…
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