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蓉姐は立ち止まると、通りを走ってくる空の人力車に手を上げた。
車夫が足を止めるが早いか、緑旗袍の切れ目から白い脛を覗かせてひらりと飛び乗る。
「乗って!」
車上から飛んでくる声に、慌てて隣に乗り込む。
人の引く車に乗るのは初めてだ。
「静安寺通りまで」
蓉姐が早口で告げると、車夫は駆け出した。
風が寒い程吹き付ける。
私は荷物ごと吹き飛ばされない様に、背筋を伸ばした蓉姐の脇で縮こまった。
いつの間にか夜になっていた街の中を、人力車が駆け抜ける。
列車から見た風景は田畑や川をひたすら速足で繰り返すだけだった。
しかし、ここではまるで祭りの様に色とりどりの灯りが目の前を通り過ぎていく。
この街は不夜城だ。
というより、昼より夜に眺めた方が、きらびやかで美しい。
一度見入ってしまうと、自分が蘇州の田舎から出てきた文無しであることも、素性の知れない女に付いて車に乗っていることも忘れて、目で追い続ける。
手を伸ばせば、目の前を過ぎていく星の様な灯りの一つくらいは、捕まえられそうな気がした。