レベルアップ
頭の先端が尖ったモンスターが現れ、私は身構えた。愛らしい外見をしてこちらを見ているのが不気味だ。いつ襲ってくるのかと息を飲む私の前に、いくつかのコマンドが出現した。
画面の上には兄の名前と、強さやレベルが表示されている。下には取れる行動が表示されていた。そこには魔法や特技とも書かれていた。何を使えるのか、と見てみるが、白紙だった。どうやら何も覚えていないようだった。
『その人って何歳なの?』
『二十歳くらいだと思う』
私はため息をついた。二十歳にもなって魔法や特技を一つも覚えていないのはどういうわけなのか。街の外にはモンスターがいる世界ならば、小さいころから体を鍛えるのが当然ではないだろうか。それではゲームが成り立たないのは理解できるが、筋が通っていない気がしてならない。
いくら嘆いても兄がレベル1だという事実は変わらない。私は選択肢を慎重に吟味した末、逃げ出した。
『戦おうぜ』
すぐさま兄からメールが届く。逃げた私に不満があるらしい。実に好戦的な兄だ。社会からは逃げたけど。
『だって、危ないよ。絶対に尖ったところで刺してくるよ。変な病気に感染するかもしれないし、それにお兄ちゃんレベル1だよ。弱いと思う』
『そんなこと気にしないでもいいから。それにこの辺りのモンスターくらいならやられないって』
いつにも増して強気な兄がカッコいいと思う私は置いておいて、私は旅を続けた。
モンスターはすぐに現れた。先程と同じ、尖ったやつだ。もしかしたら、追ってきたのかもしれない。あいつは弱そうだ。やっちまおう。そんなことをつぶやいているモンスターが容易に想像できる。俺の先端の尖った部分で攻撃してやるぜ、と意気揚々と追ってきたのかもしれない。
私は兄に従い、『攻撃』のコマンドを選ぶ。兄が攻撃した。ダメージが数字となって表示されるが、それが多いのか少ないのか私にはわからない。一撃では倒せなかったらしい、ということはモンスターの反撃からわかった。
兄のHP(体力のこと)が減る。30もあった数字が一気に5も減った。私は焦った。結構、敵は強いのではないだろうか、と不安になる。
『大丈夫? 痛くない?』
いくらゲームをしないからといって、30が25になったということは腕の骨を折られたくらいのダメージだ。などとは言わない。
しかし、これはゲームではあるが兄が戦っているのだ。5ダメージが致命傷になっている可能性も否定できない。
『このくらいなら大丈夫。心配しなくても、次で倒せる』
兄の言った通りだった。攻撃すると、モンスターは倒れこんでやがて消えた。ひとしきり喜んだ後、兄は経験値とお金を手に入れた。屍の身ぐるみを剥ぐ。厳しい世界だ。
私はさらに旅を続けた。どこに向かっているのかというと、近くの隣町だ。そこにはお城があり、様々な地域から人が集まって来ている。伝説の薬草の情報を得るには都合が良いのだ。そんなにいろんな人がいるのなら、誰かしら持っている人がいるのではないか、と問うと、それではゲームが終わってしまう、と言われた。どうも私はゲームと現実の区別がついていないようだ。現実にゲームの世界観を持ちこんでしまうのではなく、ゲームに現実の世界観を持ちこんでしまう。そういう人はゲームを楽しめない、と兄は言った。その通りかもしれない、と私は思い、反省した。
『ところで、どうやってお兄ちゃんはゲームの中に入ったの?』
ゲームソフトに頭を擦りつけ、中に入ろうとする兄を想像する。そんな姿を実際に見たら、きっと兄を嫌いになる。……いや、嫌いにはならないか。可哀そうだと思うけど。
『わからない』
『じゃあ、どうして私がゲームをしてるの?』
兄が主人公であることは百歩譲って認めるとして、私がそれを操作する意味がわからない。もっとしかるべきところに預けるべきではないだろうか。
『クリアすれば戻れるから』
兄から返信が来る。確信を得ているような態度が腑に落ちず、聞いてみるが、
『そういうゲームだから』
と言うだけだった。
ろくにゲームをしたことがないので当然、クリアした経験もない。そんな私にクリアできるものなのか、不安になった。ただ漫然とクリアを目指せばいいわけではない。兄を助けることが目的であるのだから、できる限り早いクリアが求められているだろう。そう何日もゲームの中にいたら予期せぬ不具合が発生する危険もある。兄と一緒にいられるからと気軽に始めたが、事態は考えているよりも重いかもしれない。
私はコントローラーを置き、説明書を手に取った。そもそも、今まで説明書を見ずに進めていたのもおかしな話だ。兄が逐一、説明してくれるに違いないが、それでも最低限の操作方法は知るべきだった。背後霊が囲碁の達人だからと膝を崩していても碁石の置き方がわからなければ勝てはしない。
今こそ一人旅をしているが、後々に仲間ができるようだった。可愛らしいイラストの女の子達が紹介されている。本当に、女の子ばかりだ。私は胸の内で湧きあがろうとするもどかしさを必死で抑えた。これはゲームなのだ。兄とは関係ない。そういうゲームが好きだとしても!
説明書をしまい、コントローラーを握る。新たな街へ向かい、ひた走る。
『レベルを上げたい』
もう街が見えてくるところまで来て、兄が言った。そういえば、尖った彼を倒してから、モンスターと出会っていない。敵を寄せつけぬ気迫みたいなものを兄が纏っていたのだろう。襲いかかりたくても、近寄れなかったのだ。
そんなことを考えていると画面が暗転し、敵が現れた。
(強そうだなあ。嫌だなあ)
敵は片手に棒を持ち、もう片方の手に盾を持っていた。武器を持っている辺り、なかなかの手練れであることがうかがえる。
一方、兄はと言うと、武器こそ切れ味の悪いと説明書きされた剣を持っているが、盾は装備していない。完全に準備不足だ。盾を買うお金がなかったとしても、他の物で代用すれば良かったのに。鍋ブタでも持ってくれば良かったのに。
兄が果敢に攻撃を加える。さすがに一撃では倒れない上に、ダメージもさっきよりも少ない。片や相手の攻撃は強く、兄のHPは大きく減らされた。
どうするべきか、と頭を抱える。おそらくもう一度、攻撃を受けてもHPはなくならないだろう。しかしそれは相手も同じなのではないか? では、その次はどうだろうか。もし相手が倒れなければ、兄がやられてしまう。
とりあえず、と私は攻撃のコマンドを選ぶ。敵は倒れず、兄のHPはさらに減らせれ、表示される文字の色が変わる。ダメ―ジ量は多少、増減するようで、もしかしたらもう一撃くらいなら耐えられそうだった。
『逃げる?』
私は兄にメールをした。しかし、なかなか返事が来ない。
『ねえ』
もう一度メールをするが、兄からの音沙汰はない。
(どうして無視するの?)
私は涙目になってモンスターと対峙した。ゲームはまだ序盤だ。それほど強い敵は出てこないのではないか。次に攻撃すれば倒せる可能性は高そうだ。しかし、ダメだった場合、兄がやられてしまうかもしれない。
(確か……)
説明書を開き、戦闘の仕方の書かれたページを開き、息を飲んだ。『逃げる』の説明には、必ず逃げられるわけではないと注意書きをされていた。
兄からの返信も来ない。そもそもゲーム内にいる人間とメールができるのもおかしな話だった。これから先は、私一人で進めなければならないのかもしれない。
私は迷った挙げ句、攻撃を選んだ。きっと倒せる。そう祈りながら画面を見つめる。
兄の攻撃を受けた敵は、うつ伏せに倒れこみ、やがて消えた。私は安堵のため息をついた。
突然、テレビから軽快な音楽が鳴った。画面の下にレベルが上がったと表示され、兄のステータスが上がる。魔法も覚えたようだ。
『強くなった!』
兄からメールが届く。自然と唇が尖っていくのが、自分でもわかる。
『ちゃんと返信してよ』
『悪い。それどころじゃなかった』
いや、確かにモンスターを目の前に、悠長に携帯電話を弄っているのもどうかと思うけど。今さらそんなことを言われても、こちらは困ってしまう。
『良かったね。レベル上がって』
『こんなに強くなるとはな。力が溢れてくるよ。今なら魔王でも何でも倒せる気がする。まあ無理だとはわかってるけど』
嬉しそうな様子に怒る気もそがれた私は、まだ見ぬ仲間(説明書で見てしまったけど)の待つ街に入っていった。