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ニューゲーム

 私の兄は引きこもりだ。日がな一日、部屋に閉じこもってゲームをしているかパソコンを弄っているか、とにかく画面とにらめっこをしている。何をしているのかな、と部屋を覗くと慌てて画面を隠したり落ち着かない様子を見せる。その仕草が可愛らしいと思うのは、私だけだろうか?

 兄は若干22歳にして社会という名のとてつもなく大きく威圧感のある壁(本人談)にぶつかり、他の同年代が必死によじ登っているのを横目に片肘ついて不貞寝を決め込んだらしい。気づいた時には周りは仲間とは呼びたくない同じような物体達しかおらず、相変わらず目の前の壁は高く、抜け道を探そうにもそもそもそんな気力もなく、ついた肘も痛くなってきたので仰向けになり、今に至るらしい。良くわからないが、社会は怖いらしい。

 まあ、私としては就職されて頻繁に家を開けられるよりは、引きこもっていた方がいつでも会えるので嬉しかったりする。父も母も、同じ思いのようだ。甘やかし過ぎではないだろうかと不安を感じながら、兄のために買ってきたプリンを片手に、部屋の扉に手を掛ける。

「あれ?」

 と私はとぼけた声を上げた。部屋のインテリアの一部と化しているはずの兄がいない。テレビもパソコンも電源が切られているようで、真っ暗だ。珍しいこともあるものだ、と私はここぞとばかりに部屋中を見回す。

(意外と片付いてるなあ)

 私は感心した。もっとゲームソフトや漫画が散乱していてもよさそうなものだが、ちゃんと棚に整頓されている。隅にはゲームの箱が積まれているが、置くところがないだろう。あまりゲームをしない私は、最近のゲームは似たような女の子が表紙の物が多いことを知った。

 ベッドに座り兄を待つが、一向に戻ってこない。トイレに行ったのかと思っていたが、違うのだろうか。プリンを机に置き、一階に降りる。トイレはもちろん、風呂場にもいない。一応、玄関も見てみるが、兄の靴は靴箱に仕舞われてあった。外には出ていないようだ。

 背筋が寒くなった。

「お兄ちゃん?」

 恐る恐る声を出すが、返事はない。二階に上がり兄の部屋に戻るが、やはり誰もいない。タンスの中やベッドの下を探しても、いやらしい本が出てくるだけだ。どうやら兄は年上の女性が好みらしい。私は眉をひそめた。

 私は自室へ行き、携帯電話を手に取った。電話をかけるが、呼び出し音が鳴るばかりで兄の声は聞こえてこない。

 考えている以上に事は重大かもしれない。心臓が一度、大きく鳴った。それと同時に、携帯電話が振動した。

 メールの送り主は兄だった。

『ちょっと助けてくれない?』

 簡潔に書かれた文面に、私は肩透かしを食わされた気分になった。仰向けに寝っ転がりながらメールを打つ姿が想像できた。

『どこにいるの?』

 送り返すと、返事はすぐに着た。

『わからん。たぶん、ゲームの中』

『そういう冗談、好きじゃないよ?』

『いや、本当に』

 私は額に手を当て、首を振った。兄はこんなバカげた嘘をつく人ではない。きっとゲームのしすぎで、現実との境い目がわからなくなっているのだろう。なんて可哀そうな兄だ。涙が出てきそうになる。

『俺の部屋に行ってくれない?』

 憐れんでいると、新着メールが届いた。ずっと前からいる旨を伝える。

『勝手に入るなよ!』

 私は口をとがらせた。入れと言ったり入るなと言ったり、何なのだ。プリンあげようとしただけなのに!

『外にいるの?』

『だから、ゲームの中だって』

『こういう場合って、精神科で良いの?』

『大丈夫だから! どこもおかしくなってないから!』

『それって大丈夫だって言えるの? 調子悪くて言ってるならまだ救いようがありそうだけど、本気で言ってるならもう手遅れじゃないの?』

 家族ぐるみで甘やかしすぎた報いだろうか。焚きつけてでも社会の壁をよじ登らせるべきだったのかもしれない。そうすれば、顔を合わせる時間こそ減るものの、まともな兄のままだったはずだ。

『とにかく、俺を信じてくれ』

 と返信が来る。私は頭を悩ませた。できることなら兄を立て、好きなようにやらせてあげたいのだが、言っていることがあまりにも非現実すぎる。わかりました、と信じるのは困難だ。

『信じたら何をしてくれるの?』

 付き合ってあげるにしても、タダってわけにはいかない。プリンでも買ってもらわないと、釣り合わないだろう。

『何でもする』

 思いがけない返信に、私は目を見開いて短い文面を何回も黙読した。軽い考えで言ったのに、最大級のリターンが返ってきたではないか。

『絶対?』

 震える手で送信ボタンを押す。

『約束する』

 携帯電話が床に落ちる。拾いもせず、私は呆然と突っ立った。何でもするとはつまり金額無記入の小切手を受け取ったようなものであり、何を買おうが私の自由で私の財布は痛まない。いや、この場合はそれ以上の効力がある。相手の行動すらも、私の自由なのだ。プリンどころの話ではない。

『じゃあ、信じる』

 それにしても、兄の身に何が起きたというのだろうか。昨日までは普通に破廉恥なゲームをしていたのに、今日になっていきなりゲームの中にいるときた。何が兄をここまで追い詰めたのか。やはり社会だろうか? 社会のバカ。

『ソフトはもう入ってるから、電源入れて』

 私は床を見下ろし、首をかしげた。ゲーム機の電源を入れろと言うが、どれなのか。

『テレビにつながってるやつ』

 兄に教えてもらうが、障害はまだある。私は兄とは違い、ゲームをやらないのだ。携帯電話に初めから積まれているゲームすらもやらない。上手にできないし、はっきり言って苦手だ。だから、

『電源ってどこにあるの?』

 となる。どこからか、兄のため息が聞こえてきたような気がする。ダメな妹で申し訳ない。

『手前にあるボタンを押してみて。右側の』

 メールが来て、私は新種の動物を発見した探検家のような目つきでゲーム機に目を据え、新種の化石を発見した考古学者のような手つきでそれに触れた。違うところを押してしまったら壊れてしまうのではないか、と恐怖心が支配する。精密機械は危険なのだ。

 恐る恐るボタンを押すと、暗かった画面に光が入る。しばらくすると、重厚な音楽と共にゲームのタイトルらしきロゴが浮き上がってきた。『ライト』とシンプルな字体で表示されている。

 しばらく見ていると、これまた重厚な音楽が流れ、画面に人間とドラゴンが戦っているシーンが映る。ドラゴンの攻撃に苦戦する人間だったが、後から駆け付けた人達(仲間?)に助けられ、果敢に挑もうとする。そこで映像は途切れ、再び『ライト』と浮かび上がった。

 しばらく見ていると、また映像が流れる。私はようやくコントローラーを手に取り、スタートと書かれたボタンを押した。

 携帯電話が震える。

『良いオープニングだろ。俺も何回も見ちゃうんだよな』

 笑顔の兄が目に浮かぶ。

『うん。そうだね』

 放っておけば勝手に始まると思っていたなんて言える雰囲気ではなかった。

 さて、ゲームは先に進み、カーソルと選択肢が現れる。

 ニューゲーム、ロードゲーム、コンフィグ。これは私にもわかる。最初から始めるか、続きから始めるか、コンフィグは……えっと、…………。ごめんなさい、嘘をつきました。コンフィグって何?

『どうするの? 続きから始めるの?』

 コンフィグを無視することに決めた私は、兄に聞いた。

『それは俺じゃないから。ニューゲームで』

『わかった』

 大小、様々な謎を残し、私はニューゲームにカーソルを合わせ、押した。

 硬貨を地面に落としたような音が鳴る。


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