泉洲
青いコンビニの入店音が好きだ。個性を鼓膜に押し付けることなく、私を壇上に上がった気分にさせることもなく、そよ風のように現れては消える。私はかの音を背にして、毎夜の二十三時、アルコールの並んだ冷蔵棚と向き合うのだ。目の高さには見覚えのない酒が並んでいる。温州みかん味やらシークヮーサー味やら、どれもが一様に青い背景のもと、「期間限定」の文字を主張している。私は店側の手招きを拒むようにして、膝を折り曲げ、足元の酒に目を向けた。ここにはいつも同じ商品がある。派手な包装はなく、それでいて少しお値段の張る代物だ。私が何本か買っても、次の日には何事もなかったかのように商品は補充されている。近所にマニアックな酒飲みがいるのだろうか?
何はともあれ、私はいつものように水色の瓶を見やる。無機質な白いラベルには大げさなほどの達筆で「泉洲」と綴られている。それはほどほどに辛口な日本酒だった。値段は九百円ほどで、コンビニの買い物にしては高いが、日本酒を買うにしては安っちい。そんな半端者だからこそ、我々の足蹴にされるような位置に甘んじているのだろう。
同情か、共感か、単に味が性に合っただけなのか、私は泉洲を買い続けていた。レジに運ぶたび、東南アジア系の店員は「またか」という目を向けてくる。きっと私だけが泉洲の居場所を作っているのだろう。言い方は悪いが、首にかかる縄を私が握っているわけだ。そう思うと、なんだか粘度の高い優越感が心に渦巻いていく。それこそが本当の購買理由だったかもしれない。
ともあれ、私は泉洲に加えて、歯ブラシやら粗大ゴミシールやら、その時々の内容で買い物を終える。外へ出ると再び音が鳴って、私の意識はデジタルに切り替わる。コンビニの内外では少し温度感が違うのだ。前者は突き刺すように冷たく、後者は肌を舐め取られるような温さがある。店内の白い光は背中に貼りついたまま、数歩歩くとようやく夜に溶けていく。アスファルトは昼間の熱を忘れきれずに湿った匂いを吐いている。街路樹のケヤキがそよぐたび、どこか遠くで踏切の音がする。私はレジ袋の中で瓶が触れ合わないよう、無意識に腕の角度を変えた。いつもこうなのだ。ハナから最適な姿勢を取ればいいものを。
店から二十秒ほど行けば、途端に人気のない住宅街へ入る。窓から漏れ出す光はどれも常夜灯のオレンジだ。あれを見ると、子供のころの好物だったメープルシロップを思い出す。時にはチューブに直接口をつけてしまって、潔癖症な母に怒鳴られたっけ。そんな彼女でも、二十二時前に眠くなると、常夜灯のもとで子守唄を歌ってくれた。怒鳴り声とはまた違う、ささやくような歌声だった。もはや音程なんてない、朗読めいた箇所もあったっけか。まあ、思い出そうとすればするほど、あの頃の記憶は脚色だらけになってしまう。メープルシロップと常夜灯のRGBが同じだなんて思えない。それでも私が連想してしまうのは、きっと何日、何年もかけ離れた出来事同士が、「輝かしき過去」として一緒くたにされているからだ。当時の私からしたらたまったもんじゃないだろう。
気づけば子守唄は歌われなくなって、私だけの部屋が与えられ、独り立ちした後に彼女は死んだ。いつからか朝食にメープルシロップは出なくなり、彼女がパートを始めてからはトーストは消え、代わりにレンジ調理のブリトーが出されるようになった。働き出してからは朝食を抜く日の方が大半である。原因は一つ、夜半までこの「泉洲」を飲み明かしているからだ。
自分の非を棚に上げ、私は恨めしそうな目つきでレジ袋を睨む。お前のせいで翌朝の出勤が辛いんだぞ。一体どうしてくれようか。もしここでブンブンと袋を振り回せば、水色の瓶はさらに青ざめるだろうか? 八つ当たり以外のなんでもないが、意外とスッキリするやもしれない。もっとも、私は思案するばかりで実行には移らないのだけれど。
……脈絡もなく、私は立ち止まる。こいつもいつかは、私の日々から消え去って、過去という屑箱に投げられるのか? そのきっかけは知らないが、私が買うのを辞めようが、店長が入荷を打ち切ろうが、そういう内外力が生じないとは誰も断言できない。あの頃の私は一生メープルシロップを啜るものだと思っていたし、子守唄の十年後だなんて考えすらしなかった。泉洲も同じだ。袋を触れば形があって、腕には重みが伝わっている。けれど、いつかは私のもとから消える。あるいは私が先に母のところへ行く。後者ならまだマシかもしれない。再び子守唄が聴けるのなら、いや、同じ場所に死後行けるとは……
……まあいいんだ。
多分、そういうことから逃げるために呑むんだから。
歩き出すと、私の柔弱な足音だけが聞こえてくる。明日も頭痛を抱えながら満員電車か、とため息をつくが、犯人は私自身なのだ。その事実を飲み込みながら、どうせ私は栓を切る。




