第8話
朝霧がノール村を包み込んでいた。
夜通し焚かれていた火の匂いが、まだ空気の中に残っている。湿った土と木の香りが混ざり合い、村は静かに目を覚ましつつあった。
レイは荷物を背負い、村の外れに立っていた。
中身は少なく、着替えが一組、乾いたパン、簡単な道具、それだけだった。この村で過ごした日々を思えば拍子抜けするほど軽いが、不要なものは持たないと決めていた。
橋のほうを見ると補修された板はきっちりとはめ直され、川は穏やかに流れている。森も静かだ。逐影が主だったのだろう。当分は村を脅かす存在はいない。
「……ほんとに行くんだな」
声をかけてきたのは、見張り役をしていた男だった。逐影撃退の際、一番顔色を失いながらも、最後まで槍を離さなかった男だ。
「うん。ちょっと、旅してみたくなってさ」
レイは軽く言う。深刻さはないように言葉を発した。
「村は落ち着いたし、俺なんかいなくても回るでしょ。みんなもう大丈夫だよ」
男は霧の向こうの村を見て、短く息を吐いた。
「理由は……聞かねえほうがいいか」
「言ったでしょ?旅がしたくなったんだって」
レイはいつもの、少し力の抜けた笑い方をした。
男は本心は違うだろうなと薄々感じていたが、口にはしなかった。
村の入り口には、いつの間にか人が集まっていた。子ども、年寄り、あの夜に火を掲げて立っていた若者たち。誰かが呼んだわけじゃなく、ただ、気づけば集まっていた。
「レイ兄ちゃん、どこ行くの?」
子どもの声に、レイは少しだけ考える。
「少し旅行に行ってくるだけだよ。」
「帰ってくる?」
「もちろん。ちゃんと帰ってくるよ」
子どもが良かったと笑い、空気が和らぐ。それでいい、とレイは思った。
村長が一歩前に出る。
「この村は救われた。レイのおかげだ。だが、お前がここに縛られる理由にはならない」
「うん。まあ、世界を見て、知識を持って帰ってくるよ」
レイは深く頭を下げないが、代わりに軽く会釈する。それが彼なりの別れ方だった。
森へ続く小道に足を踏み入れる。背後に気配を感じたが、引き止める声はなかった。
旅をしたくなったというのは建前だ。
本当は、確かめなければならないことがある。
思い出してしまったからだ。自分の過去にケジメをつけにいく。
それに前世の世界と、今の世界が、どこまで同じで、どこからズレているのか。
それを知らずに、戦いに戻ることはできない。
レイは霧の向こうを見つめ、小さく息を吐く。
「……まあ、ついでに旅ってことでいいよね」
軽口とは裏腹に、足取りは迷っていなかった。
ノール村の朝霧が晴れる頃、少年の姿は、森の奥へと溶けていく。建前は気ままな旅人。本音は、確かめに行く者。
1人の少年は、世界を見に行く。
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