第6話
夜が明けても、村の空気は張りつめたままだった。昨夜の魔物は去っていない。
下見をしに来たようなものだったのだろう。
森は静かで鳥も鳴かず、風だけが枝を揺らしている。
朝、簡単な集会が開かれた。
井戸の周りに、自然と人が集まる。
「……で、結局あれは何なんだ?」
誰かが切り出すと、皆が頷いた。
「灰哭じゃないのは分かった」
「でもあんな動きの魔物、見たことねえぞ」
視線が、ゆっくりとレイに集まる。
当の本人は井戸の縁に腰を下ろし、水を飲んでいた。
視線に気づいて、顔を上げる。
「んー……まあ、そうだね」
いつもの気の抜けた声。
「たぶん、逐影だと思う」
ざわ、と小さくどよめく。
「……聞いたことねえ名前だな」
「魔物の名前か?」
「うん。災度Ⅱの上位ランク、脅威クラス」
その言葉で、空気が一段重くなる。
「上位……ってことは」
「灰哭よりやべぇのか」
「油断すればね」
レイは軽く頷き、指を三本立てた。
「前も言ったけど特徴は三つ」
「速い、静か、逃げるものを優先して狙う、昨日の動きそのままだよ」
村人たちは顔を見合わせる。
確かに、思い当たる節しかない。
だが、一人の中年の男が、腕を組んだまま口を開いた。
「……なあ、レイ」
「ん?」
「なんで、そんなに詳しいんだ?」
一瞬、空気が止まった。
「名前まで知ってて、災度だの性質だの」
「俺たちより詳しいってのは、さすがにおかしくねえか」
何人かが、はっとした顔でレイを見る。
「そういや、前の灰哭の時も」
「判断、妙に早かったよな」
視線が刺さる。
レイは少しだけ考える素振りを見せてから、頭をかいた。
「あー……」
そして、へらっと笑う。
「本で読んだ」
「……は?」
「旅商人が置いていった古い本だよ。ほら、あったでしょ。字が細かくて眠くなるやつ」
「そんなもんで分かるか?」
「全部じゃないよ」
レイは肩をすくめた。
「たまたま一致しただけ。違ってたら、恥ずかしいけどね」
何人かが苦笑する。
「……まあ、レイは昔から変に物知りだしな」
「考えすぎか」
完全に納得したわけじゃない。
だが、これ以上突っ込む理由もない。
レイはその空気を察して、話を切り替えた。
「で、逐影の話に戻すね」
枝を拾い、地面に円を描く。
「まず、夜の見回りはやめよう」
「なに?」
即座に声が上がる。
「冗談だろ?」
「警戒を強める場面じゃねえのか」
「逐影相手に外をうろつくのは悪手」
レイはあっさり言った。
「追ってくださいって言ってるようなもんだよ」
「じゃあ、何もしねえのか?」
「するって」
枝で描いた円を指す。
「守るのはここだけ。村の内側のみで、夜は全員柵の中から出ない。そして火を絶やさない、一人で動かない、逃げる隙を作らない」
それだけでいいのかと、村人達は息をのむ。
「……それで倒せるのか?」
「いや」
レイは首を振った。
「逐影は賢いから次はもっと慎重に来るかもね。たぶん……逃げ道を潰しに」
誰かが低く呻いた。
「……それ、相当ヤバくねえか」
「まあ、捉え方によってはヤバいかもね」
レイは笑った。
「だから今は相手を知るところだね。どう動くか、何を嫌がるか」
「倒すのはそのあと」
夕方。
村は静かに、夜の準備を整えた。
誰も外へ出ない。森を見ない。火だけが、村を照らす。逐影は、どこかで見ている。だが、追うべき影はない。
その夜、魔物は現れなかった。
「……来なかったな」
「うん」
レイは頷く。
「様子見だね」
「覚えられたか」
「たぶん」
レイは空を見上げる。
「この村は、逃げないって」
誰かが言った。
「じゃあ、次は」
「本番かな」
レイは軽く笑った。
「村丸ごと使った、討伐戦」
冗談めいた口調。だが、誰も笑わなかった。これはもう偶然じゃない。選ばれた戦いだ。
ノール村は、隙を与えない。
そして次は追う側を、狩る。




