第38話
焚き火の火が、ぱちりと弾けた。
結界の内側は静まり返っている。
風の音すら遠い。
ただ三人の呼吸だけが、やけに重い。セインが、ゆっくりと顔を上げた。
「……正直に言う」
声は低い。だが揺れている。
「私もアークレインに従順だった頃はレイと同じ考えに近かった。だが、今となっては納得は出来ない」
レイは顔を上げない。
「うん」
「救ってる。確かに救ってる。あの奇跡は嘘じゃない。だが……あれは選別だ。神様ごっこだ」
痛いほどまっすぐな言葉だった。レイは小さく息を吐く。
「そうだね」
「三千で済むから三千を切る。十万を守るために一角を消す。理屈はわかる。わかるが……」
セインは拳を握る。
「その三千の中に、自分の大事なやつがいたらどうする?」
焚き火の火が、レイの瞳に揺れる。
「……いたよ」
セインが止まる。
「避難できなかった民の中に、俺に恩をくれた人もいた。子どももいた。名前も顔も覚えてる」
声は静かだ。だが、確実に重い。
「それでも実行した。俺が止まれば、十万が死ぬから」
「それは……」
セインの喉が震える。
「それは、本当に正しかったのか?」
長い沈黙。
レイは焚き火を見つめたまま答える。
「いや、今ならわかる。絶対に間違っていた」
即答だった。
「当時は正しいと思ってた。今となってはあの行いはただの独裁者だったよ。俺は結果でしか世界を見てなかった。目の前の泣いてる人間より、“数字”を優先した」
エルドがそこで口を開いた。
「お前は恐れていたんだ」
レイが視線を上げる。
「何を?」
「無力をだ。救えないという現実を」
静かな断言だった。
「だから救える力を極限まで求めた。だが、救う力が大きくなり過ぎた結果、切り捨てる力も同じだけ大きくなった」
レイは苦く笑う。
「皮肉なもんだね。エルドは説得力があるよ」
「これでも世界中回って、色んな人と関わってきたからな。人の感情はそれなりにわかる」
セインが二人を交互に見る。
「エルド。お前はどう思ってる」
エルドは少し考え、言った。
「アルトは暴君だった。だが、ただの暴君ではない。あれは“使命に呪われた男”だ」
レイの肩がわずかに揺れる。
「世界を壊したのは事実だ。だが、私欲ではない。愛と理想の暴走だ」
「それが一番厄介だな」
セインが吐き捨てるように言う。
沈黙が一帯支配する。
やがてセインが立ち上がった。レイの前まで歩き、しゃがみ込む。
「私はな」
真正面から見る。逃げ場を与えない距離で。
「お前が何をしてきたか知った。それでも一緒に旅をしようと思う」
レイが目を瞬かせる。
「どうしてだと思う?」
答えは返らない。
「今のお前は、迷ってるからだ」
セインは静かに言った。
「昔のお前は迷わなかった。正しいと決めたら突き進んだ。だが今は違う。過去の贖罪から自分を疑ってる。今のやり方が本当に正しいのか」
レイの喉が詰まる。
「俺は……また同じ選択をするかもしれないよ」
「するな」
即答だった。
「もし世界を天秤にかける場面が来たら、俺もエルドも巻き込め。勝手に決めるな」
エルドがふっと笑う。
「そうだな。三人で背負えば、重さも三分の一だ」
レイの目が潤む。
「そんな簡単じゃないよ」
「簡単じゃなくていい」
セインは言い切る。
「お前がまた神様になるなら、私とエルドが殴って止める。それだけだ」
静かな夜に、その言葉は不思議と温かかった。
レイはゆっくりと顔を上げる。
「実を言うと怖いんだ」
初めて、本音が零れた。
「また守りたい人ができたら、同じことをしてしまうんじゃないかって」
セインは少しだけ笑う。
「なら、その守りたい人に止めてもらえ」
エルドが続ける。
「そして今度は、“犠牲を前提にしない方法”を探せ。それが今世のお前の旅だろう」
焚き火が静かに揺れる。
レイは小さく息を吐き、頷いた。
「うん、そうだよね」
少しだけ、肩の力が抜けている。セインが立ち上がる。
「今日はもう寝ろ。負担がかかってるんだろ」
「心配?」
「……」
セインはそっぽを向いて無視をした。
エルドがセインの反応を見て静かに笑っている。
「じゃそろそろ結界解くよ?」
レイは軽く指を鳴らした。
世界が戻る。夜風が頬を撫でる。虫の音が聞こえる。だが、何かが確実に変わっていた。三人の間にあった“距離”が、ほんの少しだけ縮まっている。セインは横になりながら言った。
「レイ」
「ん?」
「次は未来を見せろ」
レイが目を細める。
「未来?」
「お前がどうやって罪を超えるか、だ」
焚き火の火が、最後に小さく揺れた。




