第35話
食事を終える頃には、部屋の空気も少しだけ軽くなっていた。重苦しさが消えたわけじゃない。ただ、前へ進むしかないと全員が理解しただけだ。
レイはゆっくりと立ち上がる。まだ体の奥に鈍い重さは残っている。それでも昨夜よりは、確かに動ける。
「……よし」
短い一言。それが出発の合図になった。
セインはすでに荷を整えている。無駄のない動き。エルドはというと、いつの間にか包みをもう一つ増やしていた。
「非常食、水。あと換金しやすい小物。旅は準備が八割だ」
「商人って本当に抜け目ないよね」
「褒め言葉として受け取っておく」
軽口を交わしながら、三人は部屋を出た。
宿の外に出た瞬間、空気の違いがはっきりと分かる。均一化の下では感じなかった、生きている街の匂いがあった。
焼けた鉄の匂い。
湿った石畳。
遠くで泣く赤子の声。
誰かが怒鳴り、誰かが祈り、誰かが笑っている。
レイは立ち止まり、街を見渡す。
「なんか意外だね」
「何がだ」
「もっと混乱してると思った」
確かに不安はある。だが暴動は起きていない。
人々は戸惑いながらも、自分で考えて動こうとしている。
セインが低く言う。
「均一化に従っていただけで、思考まで失っていたわけではない」
エルドが肩をすくめる。
「むしろ商売的にはチャンスだな。“自分で選ぶ”ってのは金が動く」
「そこに行き着くのすごいよね」
「生き方の問題だ。商人としてのな」
三人は歩き出す。
中央区へ近づくにつれ、街の変化はよりはっきりしていく。掲示板の前に人だかり。役人たちの慌ただしい往来。祈るように塔を見上げる老人。
そのどれもが絶望などでは無く、前を向こうという姿勢が感じられた。
レイはぽつりと呟く。
「よかった。俺のした事は間違いじゃなかったって思える」
セインは肯定する。
「ああ。終わったのは仕組みだけだ。ここにいる人間は、まだ生きている」
レイは小さく笑った。
「うん。それなら、きっと大丈夫だ」
少し間をおいて、セインが口を開いた
「1つだけ気掛かりな事がある。あの白ローブの男がいなくなった今、上層部はどうなると思う?縋ってたものが無くなったわけだが…」
セインの問いにレイは少し思考を巡らせてから答える。
「…たぶん、上層部のお偉いさん方の記憶を弄られてると思うから、あの男の存在が無かった事になってるかもしれない。あいつが使っていた魔法は俺と似た様なものだからね。足跡を残す様な事はしないと思うよ」
「なるほどな。その辺も含めて、今夜あたりに話を聞かせてくれ」
話を一度終わらせて、少し先を歩いていたエルドに追いつく。やがて、都市外縁の門が見えてくる。厚い石壁。長く閉ざされてきた外への道。
だが今日は違う。門は開いていた。
検問はある。
混乱もある。
それでも人の流れは止まっていない。
外へ出る者。
中へ入る者。
迷いながらも、世界は動き始めている。
門の前で、三人は足を止めた。振り返れば、アークレインの街並み。均一ではない光に包まれた都市。レイは静かに目を細める。
「これで、良かった」
誰に向けた言葉でもない。セインが答える。
「ああ」
エルドも続く。
「少なくとも、止まってるよりはな」
短い沈黙。そして。
レイは前を向いた。
「行こう。次はヴァルガルドへ」
武の国。そして、まだ見ぬ歪みが眠る場所。
セインは無言で頷き、エルドは口笛を吹く。
三人は同時に一歩を踏み出した。
アークレインの空は、新しい一日が始まっていた。そして物語は、次の国へ進む。




