第34話
部屋の扉を、軽い音が叩いた。規則正しく二回。
緊張感のない、どこか気の抜けた合図。
セインがわずかに視線を向けるより早く、扉は半ば勝手に開いた。
「おー、起きてるか?」
聞き慣れた声と共に、大きな包みを抱えた男が顔を出す。エルドだった。肩にはいつもの商人袋。
その表情は、街の空気とは対照的に妙に明るい。
「騒がしいと思ったら、お前か」
セインが低く言う。
「なんだよその言い方は。命懸けで商売してきた帰りなんだぞ?」
エルドは部屋に入りながら、どさりと机の上に包みを置いた。香ばしい匂いが広がる。焼きたてのパンと、温かいスープの気配。レイの腹が、正直に小さく鳴った。
「……いい匂い」
「だろ? 街中めちゃくちゃだけどな、こういう時ほど物は売れるんだよ」
あっけらかんと言う。だがその言葉の裏に、混乱する街を見てきた重さが滲んでいた。
セインが目を細める。
「どこへ行っていた」
「まあ色々とな。均一化が止まってから、まだ数時間だが人の動きが変わってきててな」
包みを開きながら続ける。
「保存食、薬、灯り。“もしも”に備える物ばかり売れてる」
短い沈黙。それだけで、都市の不安がどれほど広がっているか分かった。レイはゆっくり体を起こし、差し出されたスープを受け取る。温かさが、掌から静かに染みていく。
「ありがとう」
一口、飲む。それだけで、張り詰めていた何かが少しだけ緩んだ。
「生き返るね、これ」
「だろ?にしては、ずいぶん普通の反応だけどな」
エルドが笑う。レイは苦笑しながら、もう一口飲んだ。
「それで」
エルドの視線が、二人を順に見る。
「俺がいない間に、ずいぶん派手なことやったんだろ?」
軽い口調。だが探るような色があった。セインが短く答える。
「今回の騒動の黒幕だろう男と交戦した」
エルドの眉がわずかに動く。
「なるほどな…」
「お前はいなくて正解だ」
「だろうな。それに、命より大事な仕事があったからな」
肩をすくめる。だが次の瞬間、その声は少しだけ低くなった。
「で、勝ったのか?」
部屋の空気が、わずかに沈む。セインは数秒黙り、そして静かに言った。
「……それなりにダメージは与えたはずだ。だが逃がした」
エルドは一瞬黙り込んだ。そして、ゆっくり息を吐いた。
「お前達がいて逃げられたか。それほどの相手だったということか」
沈黙のあと、エルドの視線がレイへ向く。
「それでレイ、その弱り様。お前は何をしたんだ?」
問いは静かだったが、核心そのものだった。
レイはスープの表面を見つめる。揺れる光の中に、昨夜の光景が重なる。
赤黒い空。崩れる街。そして、白い波。
「エルドには俺の魔法については話したと思うけど、少しだけ世界に干渉しただけだよ」
冗談みたいに言う。エルドは苦笑した。
「その“少し”である意味国が終わったんだが?」
「終わらせたかったわけじゃない。ただ、止めただけだよ」
セインが低く呟く。
「均一化を、か」
「あれはもう、続けちゃいけない仕組みだった」
レイは顔を上げる。その瞳に、迷いはない。
「だから均一化による支配が終わっただけだよ。国そのものが終わったわけじゃない。他人事かもだけど、まだまだやり直せる。均一化を破壊して言うのもなんだけど、俺はこれ以上この国に干渉するとまずいから、出来る事はここまでかな」
長い沈黙。
やがてエルドが、小さく笑った。
「……ま、いいさ」
パンをちぎりながら言う。
「国がどうなろうが、腹は減る」
そして二人を見る。
「で?次はどこ行く」
レイとセインの視線が、静かに交わる。もう答えは決まっていた。レイが、ゆっくり言う。
「武の国かな。たぶんだけど、あそこも今回みたいなのが紛れ込んでると思う」
エルドが口笛を吹く。
「ヴァルガルドか。今度はずいぶん物騒な観光地だな」
「今回の疲れも癒しながら行きたいね。万全な体調で入国したいな」
レイが疲れた顔をしながら苦笑する。
「忘れていないとは思うが、道中レイの事について話してもらうぞ?私はまだ断片的にしか知らないからな」
逃がしもしない、はぐらかされる気もないと言った様子でセインはレイを覗き込む。
「わかってるよ。ちゃんと話すから睨まないでほしいなあ」
勘弁してくれと言いたげにレイはセインを両手で押し除けた。わかっていればいいとセインは鼻を鳴らす。
「じゃあ朝飯食べちまおう。それから準備して出発といこうか」
エルドがその場を仕切り、改めて各々食事を再開させる。
窓の外。均一ではない朝の光が、三人を照らしていた。次の物語の始まりを告げるように。




