第31話
夜は、すでに夜ではなかった。赤黒い霧が街路を這い、結晶柱の光を濁らせている。遠くで建物が崩れる音と、魔物の咆哮が重なり合う。
アークレインという理の都市は、静かに、しかし確実に壊れ始めていた。
レイは膝をつくセインの傍にしゃがみ込む。
「……生きてる。よかった」
胸の奥に、わずかな安堵。だが状況は最悪だった。都市魔導の演算式が根本から汚染されている。これは単なる暴走ではない。意図的に、“終わるよう設計された崩壊”。
(……あの白ローブの男。ここまでやるか)
レイはゆっくり立ち上がる。視線の先、空を覆う赤黒い波動。逃げれば助かる。関わらなければいい。だが、遠くから聞こえた。幼い泣き声。誰かを呼ぶ叫び。その瞬間、胸の奥で何かが静かに決壊した。
「……はぁ」
小さく息を吐く。
「犯してきた罪を償うんだろう俺。今の人々の叫びを無視するな」
自分に喝を入れる。躊躇する事なくチカラを使え。なんのために前世の記憶がある。
レイは空を見上げる。赤黒い雲の向こう。
本来あるはずの星は、もう見えない。
「こういう時の為のチカラだ」
右手を、ゆっくり掲げる。指先に灯るのは、青白い光。だがそれは通常の魔力ではない。世界の裏側に触れる色。
「《アポリシス》」
静かな解放。空気が、止まる。
「《エクリプス・アルカナム》」
その名が告げられた瞬間、世界の“深度”が一段階沈んだ。大規模発動。
「《クロノス》時空干渉」
時間が、わずかに緩む。崩れ落ちていた瓦礫が、
落下の途中で静止する。逃げ惑う人々の動きが、
水の中のように遅くなる。
だが止めたいのは、そこではない。レイの瞳が、都市全域を見渡した。
「……足りないな」
一人を救う力では。街を止めるには届かない。
「拡張するしかないね」
左手を胸に当てる。鼓動が、深く沈む。
「《オルフェウス》運命矯正」
光が、爆ぜた。
音は無い。
だが都市全体に白い波紋が広がる。
それは破壊ではない。侵食でもない。
上書き。
赤黒い汚染式が、静かに、消えていく。世界を書き換える力だ。結晶柱の光が、再び純白へ戻る。
暴走していた魔物たちの身体が、砂のように崩れていく。泣き声が止まり、代わりに訪れる静寂。
夜空の赤が、薄れる。
やがて、星が戻った。光が消える。同時に、レイの膝が崩れた。
「……っ、ぐ」
視界が揺れる。呼吸が、浅い。
(やっぱり……この規模はキツいな)
エクリプス・アルカナムは万能じゃない。世界に干渉するほど、反動は重い。意識が遠のきかけた、その時。
「無茶を、するな」
低い声。
顔を上げると、血に濡れたまま立つセインがいた。流石に顔色は良くなさそうだ。
「……起きたの?」
「今、起きた」
短い言葉。だがその視線は、まっすぐだった。
街を見渡す。救われた光景を見る。そして、静かに息を吐いた。
「なるほどな。この規模の世界への干渉か。背負う物が大きいな」
その言葉は、叱責でも敬意でもない。ただの事実だった。レイは苦笑する。
「もう隠す気はないさ」
「なら……」
セインは剣を支えに立つ。
「一つ、提案がある」
夜風が吹いた。
「俺も背負う。お前の行く先に、同行させろ」
レイの目が、わずかに見開かれる。
「……国は?」
「もう切り捨てられた身だ」
淡々とした口調。だが迷いは無い。
「だから今度は、自分の意思で選ぶ」
静かな言葉。
「お前についていく。ただ、仲間になるからにはお前の前世やその能力については詳しく聞かせて貰うぞ」
新しい始まり。しばらくの沈黙。やがてレイは、小さく笑った。
「後悔しても知らないよ?」
「しない」
即答だった。その短さが、すべてを物語っていた。レイはゆっくり手を差し出す。
「じゃあ、改めてよろしく。セイン」
セインはその手を握った。夜明け前の、静かな握手。それはこの物語で初めて結ばれた、対等な契約だった。




