第30話
黒と赤が、夜を裂いた。
衝突の瞬間、音が消える。遅れて空気そのものが悲鳴を上げた。爆ぜた衝撃が石畳を抉り、見えない壁に押し付けられるように空間が歪む。
レイは思わず腕で顔を庇った。
肌に刺さるのは熱ではない。術式同士が食い合う余波だ。
(セインの本気か。ここまでとはね)
セインは一歩も退かない。長剣を振り抜いた姿勢のまま、低く踏み込む。
「答えよ。《冥喰剣アビスレイヴン》」
闇が、さらに濃くなる。刃に纏わりつく黒霧が収束し、質量を帯びた。
「《奈落斬》」
横薙ぎの一閃。斬撃は地面ではなく、空間の奥行きを裂いた。避けたはずのリードの外套が、遅れて音もなく裂ける。
「……なるほど」
初めて、リードの表情から余裕が薄れた。
「空間深度へ干渉する闇属性変異。国家最強の名は伊達ではありませんね」
だが次の瞬間、彼の足元に展開したのは先ほどより複雑な赤黒い多重陣。
「マリグナ・ディセクタ、第二節」
空気が、腐る。視界の端で、石畳が肉のように脈動した。
(マズイ……!?)
セインが即座に跳ぶ。直後、さっきまで立っていた地面が内側から裂けた。血のような魔力が噴き上がり、触れた空間を分解しながら侵食していく。
「遅いですよ」
リードの声が背後から響く。振り向くより早く、赤黒い線が走った。
「《スリッド・カタストロフ》」
世界に、細い亀裂が刻まれる。それは斬撃ではない。“切断という結果だけ”が存在していた。セインの肩口から鮮血が舞った。
「……っ!」
だが膝はつかない。踏み留まる。歯を食いしばり、魔力を強制点火。
「まだだ……!」
闇が爆ぜる。
「位相昇華・最終段階」
刀身が軋んだ。
耐えきれない魔力が、黒い雷となって周囲へ迸る。レイの鼓動が跳ねた。
(……これは俺も巻き込まれる規模だね)
「防御魔法第20層《幽閉牢界・インカルケラ》
レイが空間に呑み込まれるように見えなくなった。現世の魔法でレイが使える最大の防御魔法だ。
それを視界の端で捉えたセインは静かに息を吐く。
「一撃で終わらせる」
構えは、ただの正眼。だが空間が沈む。重力すら、刃へ引き寄せられていた。
「《終哭斬》」
振り下ろし。音は、無い。代わりに世界が、一瞬だけ停止した。リードの胸元が裂け、純白のローブが赤に染まる。初めての明確な致傷。
だが。
「……素晴らしい」
リードは、笑っていた。
「だからこそ、ここで終わりです」
胸の傷口から、赤黒い光が逆流する。
「マリグナ・ディセクタ、終節」
瞬間。都市魔導そのものが、唸った。その魔力の規模によって強制的に現実空間に戻る。防御魔法を解いたレイの顔色が変わる。
「まずいね。街が」
赤黒い波紋が地面を走り、結晶柱の演算を強制上書きする。遠くでガラスが砕ける音。次いで無数の咆哮。
「な……にを、した……」
膝をついたセインが呻く。リードは静かに後退した。
「少し刺激を与えただけですよ。都市魔導は便利ですが、暴走も美しい。最終的にはこうなる予定でしたから。少し早まっただけです」
夜の向こうで、黒い霧が噴き上がる。人々の悲鳴。魔物の産声。街が侵されていく。
「今回はここまでにしましょう」
血を押さえながらも、余裕の微笑は崩れない。
「この国はこれでお終いです。次に会う時は、もう少し面白い絶望を用意しておきますよ。それに、レイくん。名前と顔、覚えましたからね?」
赤黒い光が揺らぎ、その姿が溶けるように消えた。残ったのは。崩れた石畳。広がる血。そして、膝をついたまま動かない、セイン。レイは駆け寄る。
「セイン!」
返事はない。だが、かすかに呼吸はある。遠くで、魔物の咆哮が重なった。戦いは終わっていない。むしろ、ここからが始まりだった。




