第3話
灰哭の襲撃から数日、ノール村には、静かな日常が戻っていた。
川沿いの道はすっかり片付けられ、倒れていた荷車は元の位置に戻され、割れた木箱も修繕されて積み直されている。あの日、恐怖と混乱に包まれていた場所とは思えないほどだ。
朝の空気には、小鳥のさえずりと、どこかの家から漂う焚火の匂いが混ざっていた。
「ほら、そっちは危ないから、こっちで拾いなさい」
母親に声をかけられ、子どもたちは森の入り口付近、安全だとわかっている範囲で木の実を拾っている。完全に警戒が解けたわけではない。だが、怯えたまま立ち止まってもいられないという現実が、村人達の背中を押していた。
レイは川のほとりに腰を下ろし、小石を拾っては水面に投げていた。
石は二度、三度と跳ね、やがて水に沈む。
一瞬、その反射する光に目を奪われる。
だが、次の瞬間には視線は森の奥の暗がりへと向いていた。
(灰哭じゃない……)
もっと別のもの。
災度Ⅱ級、あるいはそれ以上の脅威が、森の中に潜んでいる。
理由はない。ただ、感覚がそう告げている。
橋の補修作業を続ける若者たちの声が、川のせせらぎに混じって聞こえる。
「この板、まだ使えるな」
「いや、念のため替えとこう。前みたいなこと、もう御免だ」
そこへ、作業を終えた男がレイに声をかける。
「レイ! あのときの行動、助かったぞ。正直俺、死を覚悟したもんな」
「村が無事で本当に良かったな」
レイは軽く手を振る。
「みんながちゃんと動いてくれたからだよ。俺も必死だったし」
「いやいや、あの指示がなかったら……」
男はそこまで言いかけて、言葉を飲み込んだ。
少年を持ち上げすぎるのも、かえって居心地が悪いと察したのだろう。村人たちはレイを時折見やる。年齢に似合わない落ち着きや判断力に、違和感を覚えつつも、深く考えようとはしない。今は、頼れる存在がいること自体が救いだった。
畑では、年長者が若者に作物の手入れを教えている。
「雑草はな、根を残すとすぐ戻る」
「こう引っ張るんだ」
レイは少し離れたところからそれを見て、子どもたちに声をかける。
「ほら、手首をこう使うと、根っこが切れにくいよ」
言われた通りにやってみて、子どもたちは目を輝かせる。
「ほんとだ!」
「レイ、すげえ!」
無邪気な笑顔に、レイはわずかに表情を緩める。
だが、視線は無意識のうちに森へ戻っていた。
夕暮れ。
村人たちは家々に戻り始めるが、数人は焚火の側に残る。念のための見張りだ。煙が夜の空気に溶け、暖かい匂いが広がる。
「橋の板、また抜けるんじゃないかって思ってさ」
「はは、あの時は本気で死ぬかと思った」
若者たちが笑い合う。
「おいレイ、あの橋、板が抜けるのわかってただろ?」
「そうだよ、全部計画通りさ!」
わざとらしく言うと、すぐに「嘘つけ」と突っ込まれ、笑い声が弾ける。
誰も深く追及しない。
それが、この村の優しさでもあった。
夜が更けるにつれ、森の奥から微かな音が届く。
葉が擦れる音。獣とも風でもない、不自然な間。
レイは立ち上がり、川沿いの道を静かに歩き出す。
「……まだ様子見かな」
枝の隙間、その向こう側。
目に見えぬ何かが、こちらを見ている気配。
ノール村の平穏は、今のところ保たれている。
だが、森の奥には、まだ名も知らぬ危険が潜んでいる。レイの瞳は、静かに、確実に、それを捉えていた。




