第18話
中央区画に入ってしばらくした頃、空気がわずかに揺れた。音はなく、衝撃もない。ただ、肌を撫でる感覚が一瞬だけ違和感を感じた。
レイは足を止めた。
「……今の、感じた?」
隣を歩いていたエルドが眉をひそめる。
「ああ。魔力の流れがおかしかったな」
その直後だった。街路の中央に立つ結晶柱が、淡く明滅した。一定の周期で安定していた光が、ほんの一瞬だけ乱れる。
「結晶柱が……?」
周囲の人々も異変に気づき、ざわめきが広がる。
次の瞬間、別の区画で警告音が鳴り響いた。
「魔力供給に異常。区画B、回復魔法効果低下」
「転移装置、反応なし!」
「防護結界、部分的に出力低下!」
連鎖的だった。一つの結晶柱の乱れが、他へ波紋のように伝播していく。エルドが低く言う。
「……連動型だな。単独故障じゃない」
「うん。しかも、壊れてるわけじゃないみたいだよ」
レイは結晶柱を見つめたまま答えた。
「“噛み合ってない”だけだね」
混乱が広がる中、巡回兵と魔導士たちが一斉に動き出す。
「市民はその場で待機!移動を控えろ!」
「中央制御へ連絡!結晶柱Cが不安定!」
指示は的確だが、どこか硬い。予定外の事態に、判断が追いついていない。だが、レイに言わせれば全く問題はない事だった。
その中で、ひときわ冷静な声が響いた。
「区画Cを切り離せ」
レイが視線を向ける。人垣の向こう、指示を飛ばしていたのは、セインだった。黒衣の魔導士、中央研究局の実働員。報告任務を終えたはずの男が、現場指揮を執っている。
「切り離し後、被害は出るでしょうか?」
部下の魔導士が問い返す。
「魔力遮断による一時的な衰弱者が出る。だが、想定範囲内だ」
エルドが小さく息を吸う。
「……想定内なら被害が出てもいいのかよ」
レイは、前に出た。
「ちょっと待って」
その声に、周囲の視線が集まる。セインも、初めてこちらを見た。
「お前は……」
「区画Cを切ると、結晶柱の同期が完全にズレるから、今はまだ“不調”で済んでる人も、完全遮断されたら回復できなくなる」
レイは落ち着いた口調で続ける。
セインが眉を寄せる。
「根拠は?」
「結晶同士が相互補正してるから。一本切ったら、他も引っ張られる」
「……なぜそんなことがわかる?」
「今はそんな議論してる場合じゃないと思うけど?」
レイは結晶柱を指差した。
「壊れてないのに、機能してないでしょ」
一瞬の沈黙。周囲の魔導士たちが、測定器と結晶柱を見比べる。
「……数値が安定しない」
「同期誤差、拡大中……?」
セインの表情が、僅かに強張った。
「では、どうすればいい?」
問いは短いが、重かった。レイは結晶柱に近づく。
「触らない。壊さない。魔力も流さない」
「……は?」
「ズレを、戻すだけ」
レイは結晶柱の基部に手をかざす。魔力を放つことはしない。ただ、結晶の“位相”(フェーズ)に意識を合わせる。
(前世のアークレインはこんな制御、してなかったはずだけど)
ほんの一瞬、空気が元の流れを取り戻す。結晶柱の光が安定した。
「……同期、回復」
「供給率、正常域!」
「結界、復旧!」
ざわめきが、安堵へと変わる。レイは手を離し、何事もなかったように下がった。
「応急処置だから、根本的な解決じゃないけどね」
誰も、すぐには言葉を発せなかった。セインだけが、結晶柱とレイを交互に見つめていた。
(今の処理……理論に存在しない)
「……名前を聞いていなかったな」
セインが言う。
「レイ」
短く答える。
「そうか」
それ以上、セインは何も言わなかった。だが、その視線は明らかに変わっていた。事故は「一時的な制御不良」として処理されるだろう。原因は記録され、数値化され、都合よく丸められる。
だが、確実に“ズレ”は生じた。
合理の国アークレイン。その完璧な歯車の中に、理屈に合わない存在が入り込んだ。それを理解したのは、今のところ、セインとレイだけだった。




