第11話
夜明け前、焚火の残り火が赤く瞬いていた。
完全に燃え尽きるにはまだ早く、炭が微かに音を立てながら熱を保っている。湿った草の匂いと、焦げた木の香りが混じり合い、空気は冷たいが不快ではなかった。
東の空がゆっくりと白み始める。
夜と朝の境目、世界が一瞬静まり帰るような時間。
鳥の鳴き声が一つ、また一つと増えていく中、レイは目を覚ました。身体を起こすと、すでにエルドは起きていて、荷馬車の脇で馬に水をやっていた。手つきに無駄がなく、寝起きとは思えない落ち着きがある。
「おはよう。早いね」
声をかけると、エルドは桶を置き、振り返って笑った。
「癖みたいなもんだ。国境近くじゃ、寝過ごすと命取りになる」
「国境?」
レイは首を傾げる。
エルドは顎で前方を示した。
「ああ。この林を抜けると、三国の緩衝地帯だ」
その言葉に、レイは自然と身を乗り出した。
地面に広げられていたのは、革に手描きされた簡易地図。線は荒く、縮尺も正確とは言えないが、街道、川、山脈といった要点は押さえられている。
エルドは指先で地図をなぞる。
「ここが理の国アークレイン。で、南が武の国ヴァルガルド、西が信の国ルミナリア」
三つの国名を順に指し示しながら、淡々と続けた。
「表向きは、どこも戦争はしていない。条約もあるし、交易も続いてる」
「でも、だ」
「各国の仲はよろしくないと」
エルドは一瞬だけ言葉を切り、レイはそれに続くように呟いた。
「そうだ。考え方が相容れないからな。雰囲気だけが常に冷戦状態だ」
「合理、武力、信仰……だよね」
レイが呟くと、エルドは小さく頷く。
「混ざると厄介だ。だから、国が直接管理しない場所に歪みが溜まる」
「この辺りがそうだ。守られないし、放置される」
レイは静かに息を吐いた。
(魔物の発生率が高い理由も、同じ構造みたいだね)
地図を畳み、二人は林へ足を踏み入れた。
木々はまばらで、視界は悪くない。それでも、空気が一段階重くなるのがわかる。林を抜けた瞬間、世界が切り替わった。
見通しのいい草原だが、なぜか落ち着かない。
風が吹くたび、草が波打つ。その中に、微かに鉄の匂いと獣臭が混じっていた。戦場の手前に似た、不吉な匂い。
「止まれ」
エルドが低く言う。
前方の草の揺れ方が不自然だった。風の流れとはズレている。
レイは目を細め、魔力をほんの僅かに流す。
封印の内側で力そのものではなく、感覚だけを研ぎ澄ます。
三体確認できる。小型の災度ⅠとⅡの境目。
「魔物?」
「ああ。だが、戦う必要はない」
エルドは荷馬車から小さな布袋を取り出した。中身を確かめるように一度振り、地面へ放る。
白い煙が立ち上った。
鼻を突く刺激臭ではないが、どこか落ち着かない匂いだ。
「忌避香だ。魔物はこれを嫌う」
数十秒もしないうちに、草の向こうの気配が薄れていく。逃げるというより、最初から関わらない判断をしたような動きだった。
「便利だね」
「知識と準備があれば、武器はいらない」
エルドはそう言って、レイを見る。
「お前も、似たような匂いがする。体より先に、頭が動くタイプだ」
レイは曖昧に笑った。否定もしなければ、肯定もしない。
草原の先に、古い石碑が見えてきた。
ひび割れ、欠け、風化しているが、表面には三つの紋章が重なって刻まれている。
「ここが、緩衝地帯の境目だ」
エルドの声が、少しだけ硬くなる。
「どこの国にも属さない。守られないが、縛られもしない。自由だが、責任は全部自分持ちだ」
「わかりやすいね」
レイの言葉に、エルドは苦笑した。
「まあ、自由は強者の特権だけどな」
その言葉に、レイは一瞬だけ目を伏せる。
(なら、俺は)
考えは、言葉になる前に胸の奥へ沈めた。
確実に世界の輪郭は見え始めている。
三国の思想、管理されない土地、歪みが生む魔物。レイはしばらく、考える事に集中した。
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