第三話 魔術師と寝不足の日々
森に住まう魔術師カイの生活は、赤子を迎えた日からがらりと変わった。
かつて、必要最低限の物だけで整えられていた屋敷の一室には、
ふわふわの毛布が敷かれ、木の揺れる音に赤子の寝息が重なるようになる。
カイは育児について何も知らなかった。
赤子に生活リズムなど存在せず、昼夜問わずに泣く。
だが、彼は賢かった。
すぐに魔術書や古文書から必要な知識を集め、「乳の作り方」すら錬金術で再現した。
ただし。
「……分量を間違えたか?」
最初に作ったミルクはあまりに濃厚すぎたのかもしれない。…味見をしたところで、それが正しい味かどうかもわからない。
フィリーネは小さな舌をぺっと出して拒否した。
魔術師はため息をひとつ吐き、
再び魔法陣を描いた。
なお、この魔法陣に必要な触媒は非常に高価なものだったが、彼にとっての優先順位はフィリーネが堂々の第一位だったため、何の問題もなかった。
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オムツ交換もひと騒動だった。
魔法で自動交換を試みれば、空間転移が暴走し、
オムツごと寝台が床下に転移した。
「……やはり手でやるしかないか」
指先で小さな布を結びながら、
カイは驚くほど丁寧な手つきで赤子の体を包んでいった。
フィリーネはそんな彼をじっと見上げて、
目が合うと、ふにゃりと笑った。
その笑顔だけで、人との関わりを避けてきた彼にとって、今日という日が宝物のようになるのであった。
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ついに歩けるように成長したフィリーネ。
庭で小石につまづき、膝をすりむいた。
ほんの少し血がにじんだだけ。
「いた……」
目に涙が浮かんでいる。
それを見たカイは、視界が真っ白になった。
「傷!? どこだ!? 敵か!? 魔物か!? 毒か!?」
フィリーネの膝を必死で確認し、
そのまま懐から取り出した瓶を一気に注ぎかけた。
とろりとした黄金色の液体が、染み込んでいく。
──それは、現存する中でも最も貴重な回復薬。
《黄金のエリクサー》と呼ばれる、王族でも簡単には手に入らない品だった。
「……ふう。……これでよし」
「……しみるう……」
「すまない。…あと小石はあとで全て取り除いておく」
「んーん、だいじょーぶ!」
泣いていたフィリーネはもう、笑っていた。
そんな彼女の笑顔を見て、
カイは胸の奥に満ちていく暖かいものを感じる。
「……やはり、君が泣くのは好きではない」
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フィリーネが五歳になったころ。
彼女はある日、カイの机の上で調合していた薬草を見て、興味を持ち始めた。
「カイ、これって、何に効くの?」
「これは、魔力過多を抑えるものだ」
「ふーん……わたし、混ぜてみてもいい?」
カイはほんの少し考えたが、
「触れても毒性はない」と判断し、調合セットを渡してやらせてみることにした。
仮に壊してしまったとしてもどうとでもなる。
そうしてできたのは──
まるで光の粒が舞うように、やわらかく輝く薬。
試しにカイが一滴を指につけると、
その瞬間、長年疼いていた魔力の暴走が一時的に静まった。
「…完璧だ…そして、これは……まさか、癒しの力か……?」
フィリーネはきょとんとした顔でカイを見上げていたが、
彼の表情がいつになく真剣なことに気づき、首を傾げる。
カイは、数秒黙って彼女の顔を見つめたあと、ふっと微笑んだ。
「……うちの子は、天才だな!」
「!!えへへ、ありがと!」
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その日から、フィリーネはカイに教えてもらいながら、薬を作るようになった。
フィリーネは知識をスポンジのように吸収していく。それに加え、生まれつきの癒しの力が、更に効果を高めていく。
フィリーネにとっては、遊びの延長。
カイが驚き、喜んでくれる姿を見るのが何より好きだったのだ。




