第十二話 滅びの宣告
ティフセリア王国・王宮、玉座の間──
ぱしゅん、と風を裂くような音と共に、空間が揺れる。
突如として現れたのは、数人の騎士たちと、意識を失った黒装束の男たち。そして、それらをまるで荷物のように担いだまま投げ出した、漆黒の衣を纏った男――カイだった。
「……っ、誰だ貴様!」
衛兵たちが剣に手をかけた瞬間、カイは軽く片手を振る。
その動きと共に、空気がビリビリと震え、剣を抜く前に衛兵たちは膝をつき、呼吸を荒げて倒れ込む。
「殺してはいない。だが二度目はない」
その場の空気が一変した。冷え切った冬のような、背筋が凍るほどの“何か”が玉座の間に満ちていく。
「貴様は……何者だ」
王の問いに、カイは一歩、静かに前へ進み出た。
「私は《空の森》の薬屋の店主、カイ。
……そして、“あの子”の家族だ」
「あの子……?」
「癒しの奇跡と称される少女……貴様らが、生まれてすぐに“魔境”へと捨てた、ティフセリア王国の第一王女、フィリーネだ」
玉座の上で、王・レオルド三世の顔から血の気が引く。
「……やはり、生きていたのか……!!」
「ああ、生きていた。あの子は、血の泥の中を這い、飢えを乗り越え、私に拾われた。そして今では、病を癒し、人々を救い、薬師として生きている」
「で、では……例の魔道具、“王命の環”は……?」
「ああ。お前の部下が、娘に翳した。結果は、わかるだろう?」
「……っ!」
王が何かを言いかけるが、喉がつまったように言葉が続かない。
カイは、さらに一歩、近づいた。
「──かの子が哭く夜、空は紅に染まる。
されどその涙は、世界を赦す雫。
愚者たちよ、己が血により、滅びを迎えよ。
王の家に生まれしもの、やがて世界の均衡を崩すべし──」
「……やめろ」
カイは王の言葉を遮るように続ける。
「おまえたちは、“均衡を崩す”と聞いて恐れた。その存在が自分たちの地位を脅かすと決めつけ、殺そうとした。
──だが本当は、“赦し”を与える者だった。
あの子は、与えられた運命を呪うこともなく、生きて、誰かの命を救っていたんだ」
「……」
「それを、貴様らは恐れ、二度も手にかけようとした。
一度は赤子のまま捨て、今度は、癒しの力を持つ“奇跡の薬師”と知ってなお、息の根を止めようとした。
それこそが、“己が血により、滅びを迎えよ”の意味だ。
あの子が滅ぼすのではない。貴様らが、己の血を恐れ、裏切ったことが──滅びの因果を生んだんだ」
レオルドは震える手で、玉座の肘掛けを掴んだ。
「……っ、そんなもの、ただの、解釈に過ぎん……」
「では、これからお前の身に起きる“現実”で、少しは納得できるかもな」
カイはゆっくりと手袋を外した。
「私は、生まれつき“呪い”を持っている。
触れた者は錯乱し、理性を失い、心を壊す。
……普段は魔道具で封じているが、今日はあえて“見せて”やる」
「……や、やめろ。来るな……こ、こっちに来るな……!」
王が顔を引きつらせ、玉座の奥へと這うように逃れようとする。
だが、カイは無表情のまま、ただ一歩を踏み出す。
──その瞬間、玉座の間が悲鳴に満ちた。
「ぎゃああああああああっっ!!」
「ひっ……!?」
「た、退け!!王を守れ……っ、うわあああっ!!」
カイの放つ“呪い”の波動は、近づく者全ての理性を剥がし取り、恐怖の奈落へと叩き込む。
王は己の指を喰いちぎらんばかりに顔を覆い、泣き喚いた。
「や、やめろおおお……!たすけて……たすけてくれええええっ!!!」
カイは、ほんの一秒だけ、王を見下ろして口を開く。
「……私は、もう何もしないさ。
ただ──この言葉だけは、伝えておく」
カイの瞳が、夜の闇のように深く、鋭く光る。
「“首を洗って待っていろ”。
おまえたちが恐れた“滅び”は、もう始まっている──」
ぱしゅん、と短い音を残し、カイの姿は霧のようにかき消えた。
王の目に映る世界が、静かに歪んでいく。
まず現れたのは、少女の幻影。
空色の瞳を潤ませた美しい少女…フィリーネが、王を見上げる。
「私を捨てたの……?」
優しく、けれど悲しみに満ちた声。
「違う、私は国を守るために……!」
言い訳のように吐き出す王の言葉を、
別の幻が遮る。
「あの時……私は、せめて…せめて名前をとお願いしたのに」
王が、はっと息を呑む。
白い衣をまとい、ふわりと現れたのは──
かつて最愛だった王妃、エレナ。
「それでもあなたは……この子を、見ようともしなかった」
その言葉と同時に、世界が崩れ始める。
床が割れ、壁が崩れ、天井が落ちる。
──燃え上がる王城。
瓦礫の下で潰れる兵士たち。
火の海と化す街。
泣き叫ぶ民。
その民たちが、亡霊となって王に群がる。
「なぜ、あの子を捨てた!」
「あの子がいれば、私たちは助かった!」
「お前が滅ぼしたんだ、王よ……!」
ひとつ、またひとつ、手が伸びてくる。
血まみれの手。
焼け焦げた手。
誰ひとりとして、救われなかった命たち。
王はもがく。手で振り払おうとする。
だが、亡霊は離れない。
「助けてくれ……私は……私は……!」
燃えさかる王宮の玉座の前、
王妃エレナの幻影が、娘のフィリーネにそっと手を添える。
その横顔は、穏やかで──そして、どこまでも遠かった。
王が必死に縋ろうとした瞬間。
フィリーネの幻影が、静かに言う。
「私は……赦したかったのに」
その一言が、最後の杭となった。
王は絶叫をあげ、膝をつき、
あらゆる幻影の中で──己の罪だけを抱え、崩れ落ちた。
そして現実に戻った時には、
全身から血の気が引き、王はただ、呆然と玉座の前に座り込んでいた。
「……たすけてくれ……だれか……」
だがもう、誰もその王に手を伸ばす者はいなかった。
……この瞬間から、ティフセリア王国の“滅び”の歯車は、大きく音を立てて回り始めていた。