苦のない宿
大浴場は客室から出て右手に少し行った廊下の先にあり、男女混浴だというのに遮る物もなかった。脱衣場もとってつけたように薄汚い木の板と棚が設置されているだけで、埃をかぶっていないのは人の使った後に湯の落ちた木の板ぐらいだった。
廊下こそ綺麗なものだが、清掃の手間を省くために手を抜ける所は抜いているのだろう。人手は足りないのだろうが、よく文句が出ないものだ。
こんな所では防犯意識などあったものではないなと考えて思い出す。こうした昔ながらの旅館を専門とした泥棒がいるのだ。
財布は部屋の金庫に入れてきた……本当に?
たまらず確認しようと、私は自分の部屋に引き返す。
そして気づいた。扉に書かれた部屋番号が消えてしまっている。
私の持っている鍵に書かれている番号は418だが、ここでよいのか確信が持てない。
隣を見ると、420と書かれている。
危うく違う部屋を開けてしまう所だった。私は420から二つ隣の部屋に鍵を差し込む。
錠前は耳障りな音を立てながらも、やはり中々開かない。鍵をかけた時同様、何度も試すしかないのだ。
「誰っ!?」
部屋の中から怯えたような女性の声が聞こえた。
「すいません、間違えました」私は慌てて飛びのく。
声の主はさっき通りがかった女か。これではまるきり不審者だ。
しかしなぜだ? この部屋が418ではないのか? 隣の部屋の鍵穴に鍵を射し込む。すんなりと解錠できた。そこは間違いなく私の部屋だった。
三つ並んで420、418,417……。どうやら、この宿に苦はないのだ。
とは言え、死はあるようだ。