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こちらは『青とポニーテール』から続く三作と『軽い男』『アゲハと四葉のクローバー』に登場しているカレンの話になります。それらを読まれなくてももちろん単独で問題なく読めますが、読者様が苦手とする、または不快になるような何かしらの要素が含まれている可能性がありますので何でもOKという場合のみ読み進められることを推奨いたします。
私は高等学園を卒業後、ずっと憧れていた外国に留学した。
私の祖国ではいろいろな面で逆流化が進んでおり、テレビやインターネットも未だ健在ではあるものの、魔導技術を用いたそれらに変わるものも出回り始めており、いずれは廃れていくだろうと予想されている。
それでも子供の頃から見ていたテレビやインターネットで毎日のように流されていた外国の情報には心が躍っていた。そしていつか必ずその国へ行き、実際にこの目で見てみたいと思っていたのだ。それでも私は自分が生まれ育った国を愛していて、外国移住など一度として考えたことはなかった。だからまるで早い者勝ちのようにこの国を出て外国移住を勧めるような企画内容が多いことには正直疑問を感じていた。
ある時そのことを友人たちに話してみたところ、個人で情報を載せているブログというものをチェックしてみたらどうかと助言され、私はすぐに外国に移住していたり留学している人のブログを探して片っ端から読み漁ることにしたのだ。
結果、テレビやインターネットの情報とほぼ同じで他人が見れば憧れてしまうような内容ばかりであった。期待した移住や留学生活でのデメリットや困った経験等はほぼ載せられていなかったが、承認欲求や優越感を満たすツールである以上は人気を得るという点においてそのような傾向になってしまうのは仕方がないことなのかもしれない。
そして最終的には単純に自身が行きたいか、行きたくないかのどちらかで判断すればよいと考え、ずっと望んでいた海外へ出てみるという経験をしようと決心し、ついに行動に移すことになったのである。
私には外国に関して伝手は何もなかったので、旅行代理店が扱う海外留学サポートシステムを利用し、なんとか無事に現地に向かうことができた。現地の空港では担当係員が待っていて、私が希望したホームステイ先まで予定通りに送ってもらうことができた。その一般家庭は語学学校と提携しているホームステイ先で一か月契約となっている。
『ようこそ、あなたがカレン?私はモリーよ。早速だけどこれを読んで何かわからないことがあれば私に聞いてちょうだい』
出迎えてくれた五十前後くらに見える細身で身長も高めの夫人にそう言われ、一枚の紙が手渡された。母国にいる間にも個人でこの国の言葉は学んでいたが、とても早口だったこともあり、ところどころ何を言っているのかは不明であったが、歓迎しているというのとその紙に書いてあることを読むように言っているのはなんとなくわかった。
『はじめまして、カレンです。今日から一か月間、よろしくお願いいたします』
私は軽く頭を下げて礼をとった。
『今日はもう昼過ぎだから食事は夕飯から出すわ。今からあなたの部屋に案内するからついてきて』
夫人はそう告げると階段を上がり始めた。私は少し焦りながらも荷物を抱えて夫人の後を追った。二階に上がった右側にある二つ並んだ部屋の奥側の方の扉を開け中に入るよう促された。
『ここがあなたの部屋よ。自由に使ってもらって構わないけれど、その紙に書いてある注意書きの内容はきちんと守って。それからこの隣の部屋は別の留学生が使っていて、ジャックというあなたよりも三つ若い男の子よ。あなたとは別だけれど、彼も語学学校に通っているから帰宅したら紹介するわ』
『‥‥‥はい、わかりました‥‥‥』
夫人は私の返事に満足したように微笑み部屋を出て行った。
またところどころ理解できなかったものの、大まかには理解できたのでそう返答したが、それよりも正直初めての長時間フライト、初めての海外で心身ともに疲労していたためとにかく休みたかったのだ。だから放っておかれるこの状況は都合がよく、私は荷物整理も後回しにしてすぐにベッドに横になった。
どのくらい経ったであろうか、目を開けると部屋には薄っすらと夕日がさしていた。少し痛む頭を押さえながらゆっくりと起き上がりベッドから出ると、放置されたままの鞄を開き、衣類や日用品等を出してハンガーにかけたりチェストに収めて整理した。そしてのどの渇きを覚え、水を飲むために階下のキッチンへと向かった。ちょうど夕飯の支度を始めていた夫人がそこにいて、私に気がつくとちょうどよかったといってもう一人の留学生を紹介すると言い、リビングに連れていかれてしまった。
『ジャック、この子が私が話していた新しい留学生のカレンよ。カレン、こちらが隣の部屋を使っているジャック。二人とも仲良くね』
『はじめまして、ジャックです。今日からよろしく!』
『はじめまして、カレンです。こちらこそよろしくお願いします』
ジャックは私よりも三つ年下だと聞いていたが、見た目はもう少し幼く見えるとても元気そうな明るい感じの少年だった。私が来る前にも私とは違う国からの女の子が滞在していたそうで、その子があまりフレンドリーではなかったので次に来る人がフレンドリーだといいなと思っていたと、彼は人懐っこい笑顔を浮かべてカレンがやさしそうでよかったと話してくれた。彼は同じ外国語を学ぶ留学生だからなのか、ゆっくりめで丁寧に話してくれるので、とても理解しやすく私からも気負わずに話すことができた。
そして夕飯の準備も整い、この家の主であるダンも仕事から帰宅し四人でテーブルについた。最初に本来この家にはあともう一人、彼らの一人息子であるアーサーもいるはずであったが、急遽外国赴任が決まり、私と入れ違いになったということを聞かされた。次に夫人からは例の注意書きでわからないことはなかったかと問われたが、ざっと目を通したところ特に問題はなさそうだと判断し、大丈夫だと答えた。その後もいろいろな話をし、デザートとして出されたアイスクリームを皆で食べている際に、毎晩の夕食後の片づけは留学生の仕事になっているからと、二人で協力してやるように告げられた。
ジャックに片づけの手順を習い、互いに手を動かしながらも私が質問をして彼が答えるという会話が続けられた。とりあえずは明日、街まで行くバスの乗り方や、街中で迷わないようにまずは地図を買ったほうが良いというアドバイスをもらい部屋に戻った。
彼らの習慣として、シャワーは朝浴びるということで夜はどうやら私だけらしく、いつでもよいと言われているので早速着替えと必要なものを持ってバスルームに向かった。母国ではお湯と水が出る蛇口は分かれていたし、温度調節も指一本で操作する機械まかせなので、シャワーから出てくる温度の調節をハンドル操作でいちいち行わなければならないシステムに戸惑いながらなんとかお湯と感じられる程度のシャワーで髪と体を洗った。そしてまったくリフレッシュ感を感じられなかったバスタイムを終え、着替えてドアを開けると目の前に夫人が立っていた。困惑しながらも挨拶をしようと私が口を開くよりも早く彼女が尋ねてきた。
『あなた、私が渡した注意書きを理解したと言っていたけれど、シャワーは十分以内という決まりを破っているわ』
『?‥‥あの、私はシャワーは十分以内で終わらせています。タオルで体を拭いたり着替えに少しだけ時間がかかったかもしれませんが、きちんとシャワーを浴びるのは十分以内というのは守っています』
『そうではないわ、このバスルームに入ってシャワーを浴び、着替えて出てくるまでが十分以内ということなの。明日からはそれをしっかりと守ってもらわなくては困るわ。そういうことだからよろしく』
夫人はそれだけ告げると踵を返し、自室へと戻って行った。
私はなぜか母国の家族や友人たちのやさしい顔が次々に浮かんできてみるみるうちに目に涙が溜まってしまった。慌てて部屋に入り、ベッドに腰掛けるとタオルで顔を覆い俯いた。今日の昼頃にこの国に到着し、夜までの間に何度となく心の中で呟いたちがう。
空港での案内表示、行き交う人々の態度やスタッフの対応。
この家に着いてからのホストの対応。
バスルームでのあれこれ。
まだ初日の、しかも目的である語学学校に行く前の段階で、私の中ではすでに何かが崩壊し始めていた。それでもこれは自身で決め作った現実なのである。私は寝る前にもう一度注意書きに目を通し、辞書片手に先ほどのような罠の確認を行った。その後ようやく眠りについたが、やはりあまりよくは眠れず睡眠不足の状態で語学学校初日を迎えることとなった。
翌日無事に語学学校に到着し、受付を済ませていると後方から母国語が聞こえてきて驚き思わず振り向いてしまった。すると私と同じ年ごろの女の子が二人、私の視線に気づき母国語で話しかけてきた。
「おはようございます、もしかして同じ国の方ですか?」
「はい、そのようです。私も今日からここに通うことになっています」
それから時間もなかったので簡単な自己紹介のみを済ませ、授業終わりに一緒にランチをしながら改めて互いの情報交換をすることになった。その後私は簡単なテストを受けクラス分けされて指示されたクラスへと入っていった。そして初日の授業が終わり、約束していた彼女たちが待つ学校の裏庭へと足を向け、私を見つけて手を振る彼女たちに手を振り返しながら駆け寄った。
二人の案内で訪れたカフェはカジュアルな雰囲気で、原色で彩られた店内は目を引き異国の音楽が流れていた。私たちはテラス席に座り、大盛のポテトウェッジとジンジャーエールをオーダーした。
「カレンはいつこの国に来たの?私たちは二人ともちょうど一週間前に来て語学学校で知り合ったのよ」
「私は昨日到着したばかりで‥‥今日が初登校だったからものすごく緊張していたけれど、二人がいてくれて声をかけてもらえたのは本当に幸運だったわ」
私たちはポテトウェッジをつまみながらまったく途切れない会話が続けられ、かなりの時間話し込んでしまっていた。そのことに気がついて慌てて店を出てバスターミナルを目指して三人で歩いた。ここからそれぞれの住むエリアまでのバスが循環してくるので待ち合わせのベンチに座ってそこでまた少しの間話をすることもできた。三人とも見事に離れたエリアにそれぞれの滞在場所があり、ここからは一緒に帰ることはできないが、語学学校は同じなので少なくともあと三週間ほどはほぼ毎日会えるからと言って別れた。
今朝は睡眠不足ということもあり、とにかく不安な気持ちでいたのだが、母国から来た二人とのめぐり合わせのおかげで持ち直すことができた。彼女たちも一週間前に来たばかりではあるが、ホストファミリーには恵まれたようで、語学学校初日には一緒にバスに乗り、学校までの道案内と受付のサポートまでしてもらえたそうだ。そして授業終わりまでは街中で買い物をして待っており、待ち合わせて図書館の利用メンバー登録や銀行の口座開設、そのほか必要なものの購入にも付き合ってくれたという。私にはそういった助けはなかったので明日同様のことを行いたいと思い、よければそれに付き合ってもらえないだろうかとお願いしてみたところ快諾を得た。
そこからなんとかトラブルもなく無事に一か月が経とうとしていたある日、語学学校から帰宅してすぐに夫人に呼び止められ、残りの一週間分の料金がまだ振り込まれていないから早くしてほしいと告げられ驚愕した。私は往復の航空チケットと一か月分のホストファミリーと語学学校の契約金は前払いですべて旅行代理店に支払い済みだったからである。代理店からも一か月はすべてこちらで対応すると聞いており、特に料金に関してはホストファミリーと語学学校に対応する機会は全くないとも聞いていた。それなのに唐突にお金を振り込めと強めに言われてしまい恐怖さえ感じていた。私は必死に落ち着けと自身に言い聞かせながら夫人には代理店に連絡するから少し待つようお願いした。運よくすぐに連絡が取れ、事情を話したところ、担当者はそれはホストファミリーの契約違反だと激怒していた。そしてホストに対してはここから私たちがすべて対応するのでもう何も心配はいらない、大丈夫です安心してくださいと最後は不手際を謝られて終わった。どうも最後の週の支払い方法には決まりがあったようで夫人がそれを忘れていた挙句、料金に関しては留学生に対応を求めてはいけないというルールも破ったことでかなり厳重な注意を受けたようである。後から別人のような態度で本当にごめんなさいねと謝罪されたがジャックもその姿を見て驚き口を開いたまま呆然となっていた。
私は延長することなく予定通りに一か月で語学学校を辞め、ホストファミリーからも離れた。数人で一軒家に住むというシェアハウス数軒の中から一番感じがよかったところと契約してそこに移り住んだのだ。そしてエクスチェンジという個人で互いの言語を教え合う大学生のコミュニティーに参加して勉強を続けながらアルバイトでもしようかと考えていた時、仲良くなった大学生の一人からホテル内のレストランで私の母国語を話せる人を募集しているという情報を得た。まずは詳細を知る目的でそのホテルに向かいその募集について尋ねたところ、急遽そのまま面接が行われることになりあっという間に採用となってしまった。
よほど急いでいたのか、できるだけ早く仕事を覚えてもらいたいからと翌日からの勤務となり、あまり感じのよくないスタッフの一人に指導されながら仕事を始めた。さらに翌日、海外からの団体客が入るので私の母国語が早速活かされることになると伝えられた。だが実際到着した団体は私の母国からではなく、母国の隣国から来た人たちであった。だから彼らとは言語が違うので期待には添えないと話したが、あなたたちは同じ言語を話すのではなかったのかと逆に驚かれてしまったのだ。
とにかくその場はなんとか現地語で対応し切り抜けたが、結局その後も母国からの団体に会うことはなく隣国からの団体ばかりが次々と押し寄せた。そして容姿的に系統が似ているせいなのか、何度言語が違うと教えても彼らの担当を押し付けられた。私は仕事の内容的に大変なのは許容できるが精神的に疲労させられるのは遠慮したいと半年は働く予定でいたのを一か月で辞めた。
そんな経験からもう働くことは考えず、語学学校で仲良くなった二人のようにこの国のあちこちを旅してから帰国するのもよいかもしれないと考え、他の地域の情報を得るため街の中央にある図書館に向かった。
その道すがら、年季の入ったレンガの壁にアイビーが巻き付いている古風で落ち着いた雰囲気の建物に気を引かれ近づいてみたところ、元は誰かの個人宅だったものを改築してカフェとして営業しているようだった。帰りにここに立ち寄ってお茶を飲もうと決め、弾む足取りで目的地を目指した。
図書館に到着した私はなぜか、建築や内装などのデザインに関する主に鑑賞を目的とした写真満載の本を手に取っていた。この国の他の地域に関する情報を得るために来たはずが、先ほどのカフェを見たことでこの国の建物や内装の歴史の方に興味が湧いてしまったのだ。しばらくの間、載せられている写真を眺めて楽しみ満足して元の棚に戻すとアールグレイの紅茶が飲みたい気分になっていた。
久しぶりに心が躍る感覚に、スキップをしてしまわないように気を付けながら向かった先でちょうどドアが開き、中からとても品の良い白髪の婦人がゆっくりと出てきた。そして段差はそれほどないステップに足をかけ、手すりをつかみながら降りている最中に突然バランスを崩し、倒れそうになったところをなんとか支え助け起こすことができた。そして勢いよくドアが開いたかと思うと一人の青年が慌てた様子で近づいてきて婦人に『大丈夫か?怪我はないか?』と問いかけた。婦人がコロコロと可愛らしく笑いながら『大丈夫よ、でもこちらのお嬢さんに迷惑をかけてしまったわ』と言って私に『助けていただいてどうもありがとう』と上品な口調で軽く会釈もしてくれたので『どういたしまして、お怪我もされていないようで安心いたしました』と言って会釈を返した。
その後青年の腕をとってゆっくりと歩いて行く後ろ姿を見送りカフェの中へと入っていった。想像通りのレトロな雰囲気が漂うとても落ち着いた店内はさらに気分を上昇させた。時間的には夕刻に近く、もうそれほど客もおらず静かですぐにオーダーができる状況だった。私は浮かれ気分のままアールグレイをオーダーした。ところが店員に『何でしょうか?』と返されてしまい、咄嗟に浮かれ気分で話したせいで発音が良くなかったのかもしれないと反省し、今度はきちんと意識して『アールグレイをお願いします』とオーダーし直した。だが再度『申し訳ありませんが‥‥』となんと言っているのか聞き取れなかったという反応を返されてしまう。ここで気分は一気に急降下し悲しくなったが、もう一度勇気を振り絞ってアールグレイをお願いしてみた。
そして『あの、もう一度お願いします』その言葉を発した時の彼女の口元は確かに歪み、嘲笑していた。もう何度目かわからないちがうを心の中で呟いた瞬間、『この店にはもうアールグレイは置いていないようだ。つい先ほどまでは確かにここで祖母とアールグレイを堪能していたはずなのだが残念だ』と店内の客にも聞こえるような迫力のある低音が響き渡った。驚いて振り向くと先ほどの青年が私の方に歩み寄ってきた。「祖母があなたを招待しています。よろしければ祖母のところでアールグレイを召し上がってください」彼はそう言って微笑んだ。
「‥‥あの、言葉が‥‥もしかして同じ国の方ですか?」
「はい、そうです。とにかくこんな店は今すぐ出て外で話しましょう」
彼は踵を返しドアに向かうとその場で私を待った。
震える足をなんとか動かしドアの前まで行くと、私の状態を察した彼から背負って降りるという提案をされてしまう。だがそれだけは回避したいという強い思いのおかげか足に力が戻り、しっかりと自力で降りることに成功した。
「ごめん、本当は祖母に君の支払いをしてくるように言われて戻ったんだ。だけどアレを見て頭に血が昇って咄嗟にあんな言動を‥‥すぐそこに停めてある車の中で祖母は待っている。本当に突然で困惑していると思うけど、とりあえず祖母のところでゆっくり休まない?」
「?‥‥‥‥‥‥えーっと、もしかして私たちって知り合い?とか?」
彼の話し方がカジュアルに変化し、どうも私の事を知っているような雰囲気なのでそう口にしたところ、自分は知ってるが君は多分知らないと思うと返ってきた。そして母国の高等学園が同じでさらに私の親友の一人であるウィルと寮の部屋が同じルームメイトだったと聞かされハッとした。そういえば時々ウィルとオスカーからロバートという小等学舎と中等学舎も同じだったルームメイトの話を聞いていた。
「もしかしてロバートさん?」
「⁉名前を知られているとは驚いた!それと申し訳ないが祖母を待たせているからとりあえず車の方にいいかな?」
彼はそう言いながら車の方を指さした。
確かにあまり人を長く待たせるのは気分が良くない。なので了承して二人で車に向かい、私は後部座席に座らせてもらった。
『あらまあ⁉‥‥ロブ、あなたは彼女を攫ってきてしまったのね?』
『おばあ様!あのカフェはダメです!彼女はとても陰湿な意地悪をされていました。何度もアールグレイを言い直させられて通じないフリをされていたんです。だから急遽予定を変更し、おばあ様のところでアールグレイを飲んでゆっくりしてもらうことにしたんです』
『まあ!なんて失礼なことを!お嬢さんには本当に申し訳ないわ‥‥‥この国はまだまだいろいろな意味で成長できていないものたちが体だけ大きくなってしまって大人の真似ごとをしているの。助けていただいたお礼の意味もあったのだけれど、ロブがあなたのことを知り合いだと思うと言うからぜひ支払いをして連絡先でも教えてもらってきなさいとお尻を叩いて向かわせたのに、まさかそんなことになっていたなんて‥‥』
「あっ!君がこちらの言葉をどのくらい理解しているかわからないけれど、祖母はかなり癖もあってわかりづらいと思うから母国語でかまわないよ。俺が通訳する」
『親切に通訳を申し出てくれてありがとう。でも完璧ではないにしろ、なんとか理解はできていると思うから大丈夫』
『そうか‥‥‥で、これから祖母の家に向かうが、一緒に来てもらえるのかな?無理強いするつもりはないから正直に答えてもらえると助かる』
『突然お邪魔してご迷惑でなければぜひお伺いさせていただきたいです』
こうしてものすごい急展開により、私はロバートさんのおばあ様の家に寄らせていただくことになった。街の中心地から二十分ほど車を走らせた場所にその家はあり、きちんと手入れの行き届いた木造のアイボリーに塗装された外壁と深みのある赤い色の玄関ドアは憧れの家特集の雑誌の表紙になっていそうだと思わず妄想してしまった。
『ようこそ我が家へ。せっかくカレンさんが来てくださったのだから、今日はちょっと盛大なディナーにしましょうね!』
ロバートさんのおばあ様はそう言い、とりあえずはリビングでお茶でも飲みながらゆっくりしていてちょうだいと、鼻歌を歌いながら屋敷の中へと入っていった。ここへ来るまでの車中で一応は正式な自己紹介をして、ロバートさんが私を知っていた理由も聞いた。やはりウィルと寮のルームメイトだったことでよく私たちの話も聞いていて、たまに裏庭にいる私たちのことも見ていたので一応全員の名前と顔は知っているそうだ。
ロバートさんに案内され、リビングにある革張りのがっちりとしたソファーに腰を下ろすと、メイドさんらしきエプロン姿の女性が失礼いたしますと言って開いたままの扉からワゴンを押して中に入ってきた。私が飲みたかったあの香りが漂ってきて、思わず口元が緩んでしまう。ロバートさんが手際よくカップとソーサーを並べ、ティーポットからアールグレイを注いでくれる。そしてかわいらしいバスケットもテーブルの上に置かれた。
「カレンは甘いものは好き?実はこう見えて俺は甘党なんだ」
彼は少し照れたようにそう口にして、バスケットの中にある切り分けられたパウンドケーキ一切れを皿の上にのせた。そして「これは祖母が作ったキャロットケーキでアールグレイとよく合うんだ」と教えてくれた。
「すごく飲みたかったアールグレイをいただけるだけで幸せなのにケーキまで‥‥私も甘いものには目がなくて、キャロットケーキはこの国に来て初めて知って食べたの。それでおいしさに感動してもう何度も食べているくらいだからおばあ様のケーキまでいただけるなんて本当にうれしい!」
私たちは先ほど偶然会い、今日初めて話したという間柄なのに、そろそろ夕飯の支度が整うからダイニングの方へどうぞと声を掛けられるまでずっと話続けていた。その後おばあ様とロバートさんのお母さまの姉に当たる叔母、そしてその息子さんである成人男性二人と六人で和やかな食卓を囲んだ。
その席でロバートさんはこの国に来た当初の二週間ほどはここで皆と一緒に生活していたそうなのだがその後街の中にあるシェアハウスに移り住んだと聞いた。そして自身も同じ街に戻るのだから私を送り届けるのはまったく手間ではないから気にしないでほしいとお酒を口にしない彼に恐縮していた私を逆に気遣ってくれたのだ。
「今日は俺たちに付き合ってくれてありがとう。皆も喜んでいたし、俺もすごく楽しかった。ところでカレンのシェアハウスがあるのはどの通り?」
私たちは皆に見送られながらおばあ様の家を出て車に乗り込みアプローチを進んでいった。
「チェルシーストリートよ。今日はものすごいアップダウンがある日だったけれど、ロバートさんに出会えたおかげで楽しい一日だったと思えるわ。本当にいろいろとありがとう!」
「⁉チェルシーストリートの何番地?」
「?えっと、121だけど‥‥」
なぜか彼は驚愕の表情でマジかと小さくつぶやいた。
「俺のシェアハウスはミルフォードストリートの120。まさか隣のストリートでほぼ同じ位置にあるとかものすごい近所じゃないか?」
「えーっ!すごい近所だよ!多分徒歩数分。こんな偶然があるなんて‥‥‥」
私たちは徒歩にしてわずか五分ほどのご近所さんであったことが判明し、その後もちょくちょく会っては一緒に過ごす間に自然と彼氏彼女の関係になっていた。私はこの国には一年という期間限定のビザで入国しているため、そろそろ帰国準備に入らなければならないという頃、ちょうど彼の誕生日だったこともあり、おばあ様の家に招待されていた。そして彼が迎えに来ておばあ様のところに行く前にちょっと寄りたい場所があるからと言って連れ出し、到着したのは私もよく知る広大な自然公園だった。そこをしばらく二人で手を繋ぎ歩いていくと素敵なガゼボが見えてきた。その真っ白でエレガントな印象を受けるガゼボにあるベンチに座ると彼はとても満足気な表情を見せた。
「私もこの公園は好きで何度か来たことはあったけれど、こんなところにガゼボがあるのは知らなかった。さすがロブね」
「いや‥‥実は叔母に聞いて俺も今日で二回目なんだ。一度目は本当かどうかの確認で来たんだけど、一目で気に入ってすぐにカレンを連れてこようって思っての今日だ」
それから私たちはいつものようにいろいろな話をして、そろそろおばあ様の家に向かわなければならないというタイミングで帰国の話を切り出した。彼は私と一緒に帰国すると言って日程の相談を始めようとしたのですぐに待ったをかけ、「あなたはこの国で暮らすはずでは?」と問うと、私と会う前までは確かにそういう予定ではあったが今は絶対に帰るのだと両手を拳にして宣言した。
「俺は元々母国が好きで、学園を出た後も王城に就職するつもりだったんだ。でも選考に落ちてしまって仕方なく留学目的でこの国に来た。だがすでにこの国の言葉も母親から教えられていて割と自信もあったから、偶々見かけた募集広告の会社の面接に行ったら採用になってしまって‥‥それでそこで働いているうちに、もうここでこのまま暮らしていくべきなのかもしれないって半ば諦めの境地でいた時にあのカフェでカレンに会ったんだ。それでふとウィルのことも思い出して、彼から聞いたハイヤーセルフっていう不思議な話なんだけど、自分の望み通りに行動してそれが阻まれる時は、そのハイヤーセルフっていう自身の別次元?バージョンが真に望んだ道へ誘導する場合があるからだって。その話を聞いた当時はおかしな慰め方をするやつだ程度にしか思っていなかったけれど、もし俺が王城に就職していたらカレンと付き合うことはなかったんじゃないかって思って‥‥それでなんか途端に感謝の気持ちが溢れてきて、ずっとカレンと一緒にいたい気持ちが愛する国に帰ることにもつながる最高の幸運に、なんの躊躇いもなく上司に退職の意向を伝えることができたんだ。今は帰国してウィルにカレン自慢をした後に、彼を抱きしめてありがとうっていうのが目標かな?」
彼が会社を辞めようとしていることには驚いたが、私も親友のウィルやリナから似たような不思議な話をたくさん聞いてきたので彼の言っていることに全く拒絶反応はなく、むしろ即納得して自身の経験したことも話していた。
「ロブの気持ちはよくわかるわ。ウィルとリナの話は私にとっては腑に落ちるものばかりだった。だからそういう状況になるたびにポジティブな思考に変換して乗り越えてきたの。この国に来て何度も心の中でちがうとつぶやいてきたのも怒りや不安な気持ちで重くなって沈んでしまわないようにエネルギーの方向を切り替えるための呪文のようなものだった。違って当たり前であること、そしてその当たり前ではない母国の人々のやさしさや温かさに対する尊敬と感謝の気持ち。そんな思いを胸にずっと過ごしてきてものすごい奇跡のようなタイミングでロブにも出会えて、本当によくやったって自分をなでなでして褒めたい気分よ」
その後またしばらく二人で友人たちの話をして懐かしみ、おばあ様の家に着いて皆でロブの誕生日を祝った。そして私たち二人が一緒に帰国することも伝えると、皆が喜んでくれていつか母国に遊びにきて私たちに会いたいと言ってもらえた。
そして帰国当日。
私と彼は同じパスポートを持って外国人の出国審査の長い列に並んでいた。前方を見るとその列に並ぶ人たちのパスポートを見ながら徐々に近づいてくる係員の姿があった。そして私たちの番になり係員はパスポートを見ると『こっちへどうぞ』と国内の人が並ぶ短い列へと導かれた。なぜだろうと思ったが、私たちと容姿の系統が似ている別の国の人たちがその列に移ろうとしたところ、その係員に『あなたたちはちがいます、ここで並んでいてください』と元の長い列に戻されていたのを見て彼と二人、ちがうがこんなふうに適用されることもあるのだと感心してしまった。そしてここでもやはり母国の先人たちに感謝を捧げるのであった。
最後まで読んでくださり本当にありがとうございました。感謝いたします。
読んでくださった皆さまへのご挨拶を活動報告に載せました。
もしよろしければお立ちより頂けたら幸いです。