その6(完)
「こんなことがあったら、そりゃ日報の分量も多くなるはずですよねー」
隆太は、感慨深げに、日誌をゆっくりと閉じた。
「この人も、最初は弥生くんみたいに都心部から来たけど、あんまり山陰地方になじめなかった。でも、最後は二本木さんって人のおかげで、考えを改めたみたいね」
「……そうですね」
和子の感想に、その真意を悟った隆太は、ぼそっと返した。
大阪のベッドタウン出身の隆太もまた、大介に似て、米子になじめないでいたのだ。
「ところで、結局この恵さんって人はどうなったんでしょう? 今は鉄道公安職員なんて仕事はなくなって、鉄道警察隊になってるじゃないですか」
隆太の問いに、和子が答えようとしたが、老清掃員がそれを手で制止し、口を開いた。
「鉄道公安職員という仕事は、国鉄がJRになったときに無くなったのさ。民間会社が警察に似た組織を持つのはおかしい、確かにその通りだな」
「じゃあ……じゃあ、そのとき公安官だった人は?」
「試験を受けて警察官になった人、全く違う仕事に着いた人、様々だな。直前に駅員業務に異動して、そのままJR社員になったヤツもいたかなぁ」
「ってことは、この恵さんがどうなったか、わからないってことか……」
老清掃員の話を、興味津々に聞いていた隆太は、心底残念がった。
一方の和子は、何かを知っているかのように、隆太の様子を微笑みながら見ていた。
「弥生くん、と言ったかな。まあ、入社してまずは地方で経験を積むってのは、JRに限らずほかの企業とかでもあることだ。だが、腐ってはいかん。赴任地を嫌ってもいかん。なぜなら――」
老清掃員は、その後も言葉を続けようとしたが、隆太の発言がそれを遮った。
「わかってますよ。私が米子に来たのは何かの縁。だから、まず米子という土地を知るべきだ……ってことでしょう?」
「……そうだ。その通りだよ」
隆太の言葉に、老清掃員は満足げだった。
「しっかし、この恵さんって、仕事は違うけど、私と境遇が似てたよなぁ。本当に今、どこで何してるんだろう?」
隆太は、ぼやきながら踏み台にのぼり、書棚にその日誌を戻そうとしたが、誤って手を滑らせてしまった。
「危ない!」
老清掃員は、間一髪のところでそれを左手で受け止め、踏み台上の隆太に手渡した。
「こういう資料は、もっと大切に扱わんと」
「すみません。気を付けます……って!」
隆太は、彼から日誌を受け取った瞬間、二つのことに気が付いた。
一つは、伸ばされた左腕の側面に鋭く入った、長い古傷。
そしてもう一つは、老清掃員の左胸ポケットに取り付けられた、『恵』の名札。
「もしかして……!」
目を丸くした隆太は、思わず和子のほうを勢いよく向いた。彼女は微笑んだままだ。
「副駅長! 知ってたんですか?」
「そうよ。だってこの人は、定年後もずっと米子駅で働いてくださっているんですもの」
「そ、そうだったんですか……」
混乱と驚きが収まらない隆太は、和子と老清掃員の顔を何度も交互に見ていた。
「弥生くん、新しい米子駅ができるまで、あと一年だ。片づけ、頑張ってくれよ」
そう言って老清掃員は、笑いながら書庫を出ていった。
しばらく呆然としてそれを見送っていた隆太は、やがて踏み台を降り、姿勢を正した。
「ありがとうございました!」
隆太は、大声で深々と頭を下げた。
その行動には、恵への、ひいてはすべての鉄道マンへの、賛辞が込められていた。
(終)
明日は、あとがきを投稿予定です。
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