11/17
また長い
11/17
蚊はどこかに行ってくれたようだ。朝まで安眠
朝は大分冷えるようになった
今日も青空が広がりそうだ
大腸内視鏡検査前日により、今日の食事は大腸検査食
朝食は「鶏と卵の雑炊」 with野菜ジュース
レトルトパウチをそのまま熱湯の湯煎で7分
そういえばこれ系って皿に開けてレンジでもできるらしいけど、湯煎でしかやったことないな
鶏肉より人参の方が多いように見えるけど、色のせいかな、人参と鶏と卵と雑炊じゃないかなこれ
さすがは大腸検査食?噛み応えがない。鶏肉の欠片が唯一存在感を淡く主張する程度
味はしっかりしてるように感じる。まぁ塩分制限されてるわけでもないからね
大腸内視鏡/大腸CTに対応ってあるけど、月曜日(14日)のCTの時に腸はCTではできないとか難しいとかなんか言われたような?撮影自体は下は太ももの中ほど、上は鎖骨くらいまでだったから腸も含まれたし。別の機械でやるのかな。それとも内視鏡のように準備が必要なだけかな。普通に朝食取ってたし。
明日の内視鏡ついでにCTもやることになったりはしないよね。造影剤の効果が結構辛かったんだ。好んでやる人はいないんじゃないかな
そう何度も機会があることじゃないか
検査前1週間の朝夕の体温測定しろって言われてたけど、昨夜忘れてしまった。そもそも予約日から検査当日まで1週間ないけど
熱っぽくはなかったから問題ないだろうけど、こういうときの対応に悩む。適当な値を入れてしまうか、空欄のままにしておくか。目安だろうし空欄でいいかなとは思ってる
そもそも朝夕って具体的に何時なのかという疑問も。朝は起床時、夕は就寝前と認識してるけど合ってるんかね(調べる気ない)
ここに書いたから今夜はきっと忘れないだろう
ただ、平熱として認識してた値が最近出ないんだよね。もともと高めだったんだけど、それより0.5℃くらい低い値が多い。代謝が落ちてる?癌のせい?関係なく下がった可能性もありうるかな
午前中にかかりつけ医に行く
自転車だと5分もかからないけど、のんびり歩いて15分かけて行く
自転車では通らない、畑道と雑木林の中の自動車の轍に毛が生えたような道
前に通ったのはいつのころだったかな。畑に無花果の気があることに初めて気づく
雑木林では啄木鳥かな?木の上方でつついているような音も聞こえた
いつも通り人の少ない診察室 すぐ呼ばれる
大学病院の血液検査の結果を見せることによって察してもらうようにした
自分の病状について話そうと思っても口が動かない。結局、「肝臓と肺に転移があるらしく、明日大腸内視鏡検査が予定されている」くらいのことしか伝えられなかった。
いつもの薬をもらって帰ることに。「お世話になりました」とは出るときに声を出したけど、聞こえたかな
外に出てすぐ、伝えられなかったことに対して涙が出てきた
もっと自分で自分の病状を詳しく伝えられると思ってたけど、全然だめだった
声に出すと取り返しのつかないことになるように思えたのかな。受け止めたと思った、かみ砕いて飲み込んだとも思ってた。でもそんなの嘘だったのかな
母のことは今後もよろしくとか、言おうかなとよぎったけど、やっぱり言えなかった
いくらメモ帳にローマ字入力しようが、できようが、言葉には、口にすることはできなかったよ
これが後悔として残ったりするのかな いやだな
薬は60日分、また自分で行けるかな
泣きながらの帰途、すれ違う人が居ないことが有難い
ふと思う。こんなに泣いてるのは初めてかもしれない
泣いた記憶で思い出すのは肉親との別れとペットくらいか。幸いなことに友人関係(今はほぼ断絶してるから分からないけど)では起きなかった。
父方の祖父は俺が生まれる前に亡くなっていた
母方の祖父伯父、父方の祖母は、学生時代に亡くなった。母方の祖父伯父の見舞いの機会は覚えがないな
父方の祖母は同居してたな。母が介護してる時期もそういえばあった。俺の部屋はもとはその祖母の使っていた部屋だ。入院が長く、ベッドにいる印象が強い。亡くなる間際に手を握った記憶もある。呼吸が止まってから心臓の動きを示す心電図(?)の音が急激に速くなって、止まった。人間の病死ってこんな最期なんだなって。死因は肝炎からの肝臓がんだったはず
そんな記憶はあるけど、その直後や火葬儀に少し涙した程度だったような。
母方の祖母は100歳になって間もなく亡くなった。これは最近。
小柄な人で、夫を亡くしてからも遠くで一人で暮らしていた。俺とは違い友人付き合いがあったからできる芸当だろうな。でも長生きするとその友人も大体見送ることになったみたい。
亡くなる数年前から施設に入っていた。母は月に1週間程度、実家に帰るようになってた。家での家事全般受け持ってたから、いい羽根伸ばしにもなってたんじゃないかな、俺はすでに熟練(?)ニートだったので、その間の夕飯作りを多めに受け持ってたような
能天気時分の俺からすれば祖母は、言葉を選ばず誤解を恐れずに書けば、夏休みに遠出した宿泊先の管理人くらいな認識だった。でも母が実家に帰るたびに、母の母なんだよなと、当たり前のことに思いをはせるようになれた。もし両親が亡くなったら、とかも、考えるようになったけど、縁起でもないことだとすぐ打ち消していた。
けどまさか俺が先に逝きそうとはね
どの葬儀でもそうだったけど、生きているときのことを知っている人が、納棺されてる姿を見ると、急激に、強烈に、悲しくなる。葬儀会社の人が化粧とかいろいろした後だからだろうけど、こう、呼びかけたら応えてくれそうな。でも実際にはそれはあり得ない。その事実を認識するための儀式なんだな
棺に入っている姿を見て涙するけど、そのあとの出来事(読経、火葬、納骨等)で泣いた覚えないな
ペットは中学時代に犬が亡くなった。雑種の中型。何歳だったかな。6歳くらいだったかな?今思えば早死にだった。当時は全然そんなこと思わなかった。
最期の別れになるかもしれないから動物病院に一緒に行こうって親に言われたけど、ゲームか何かを優先していかなかった。めちゃくちゃ後悔した。心的外傷後ストレス障害とは程遠いけど、確かに心の傷になってる。亡くなったと知った夜は、一人で泣いたな。悲しみの涙なのに成長痛のせいだとか思い込んだりしてたような。ばかかな?ちゅうにびょう?
今は猫が家にいる。もう15歳?もうちょっと長いかも。もっと長生きしてくれ、おれよりも。
亡くなった順 父方祖父 母方祖父 犬 母方伯父 父方祖母 母方祖母 おれ?
多分間違ってる、あかんな この不孝者
母方の祖母の1/3も生きられなさそう この不孝者
自分が癌って言われてから隙あらば涙が出そうになる。あらゆる機会で涙目になる
自分のための方が泣きやすいのかね
泣くということが自分のためってことなのかも
他人に泣き顔見せないしな 人による?
畑道を一人歩いてる。陽の光がとても暖かく包んでくれていた
表現が陳腐に過ぎるけど、本当に暖かかった
昼食は「大根とじゃがいもの鶏そぼろあんかけ」と粥
別皿にそれぞれ開けたけど、一緒の皿に入れても構わなかったかもな、これ
でもあんの味が濃い。全部食べると塩分過多なんじゃないかと不安になる濃さ
別皿に開けて正解
隔週恒例の図書館訪問
最近読みたい本ってあんまりない
気になってた本が目についたから計4冊借りたけど、読むのかな
2週間後を考えることができない
逆流性食道炎やら耳鳴りやらのときは、医学書?「医師が教える~の治し方」みたいな本を借りてみたりしたけど、今回は全然、これっぽっちも欲しくない。ネットでも調べてないしね。やはり怖いんだ。どうせ明日以降、嫌でも、耳を閉じていたくても、知りたくなくても知ることになるってのもあるんだろうけど。
現実逃避の手段として、癌告知(仮)前からの日課のブラゲとか、何も考えずに済むなろう系とか消費してたけど、どうにも脳裏によぎる
こんなことに時間を使ってていいのか
という言葉
答えは出ない
図書館内をさまよっている間にも、左下腹部がささやく。お前はそろそろ死ぬぞ
気のせいにしたいけど、どうにも違和感が左下腹部から消えないんだ
これを書いてる、座椅子に胡坐状態だとあんまり感じないんだけど、立ってる状態だとどうにも主張が大きくなる
不安が山積、雪崩をおこすぞ
崩れたのが涙として出てきてるのかも
今は体が動くけど、衰弱すると自死を選ぶことすらできなくなるんだろうなって思うと、魅力を感じてしまうの確か
人間の心理なんてころころ変わるね
衰弱した姿なんて見せたくないし、家族が見たいとも思ってないだろうと思う
自死を考えてるなんて相談できるわけもなし やめろって言わない人は居ないだろう
いや、カウンセラーとかなら聞くだけで、特に意見を述べたりしないのかな。患者の気持ちの整理のお手伝いって部分が大きいだろうし。やめろって言わない人は居ても、賛同する人は居ないと書くべきか。まぁおれも前に自死はやめろって書いたな
祖母が100歳まで生きたし、人生100年時代とかいうけど、意図せぬ脱落者になる可能性があることを意識させないよね
友人に早期退職するために働くんだって就職した奴が居たけど、お前今の俺の顔見て言える?とか思ってしまうま
刹那的に生きようとは言わないけど、こう、うーん。なんというべきか、そもそもの大前提として健康であることを忘れないでくれ?
死を意識しても行動変容が今のところない
まぁ確定してないってことが大きいんだろうけど
これで余命宣告されたら、旅行とか、暴飲暴食とか、隙間を埋めようと頑張る、藻掻くのかもしれない
いや、この作業が行動変容の極みだったわ
そういえばかかりつけ医に体重落ちた?とか訊かれたな
全く変わってないと思ってたんだけど、多分実際に変わってない(むしろ増えてるような体感、不安で体が重い?)
大学病院の問診票にも体重について答える項目があったような覚えが
多分大腸がんになると体重が減る人が多いのだと思う。無駄に食欲旺盛だった俺は、それを補うほど食べた。きっと食べ過ぎてた。胃の悲鳴が逆流性食道炎だったんじゃないかな と邪推してる
市の30代健診の初回健診結果で中性脂肪と尿酸値異常。BMI評価は問題なかったけど、健診の3か月後くらいに初めての痛風を食らってから日課として運動を課すようになってた
(痛風マジ痛い。昔の人は言いました、風が吹くだけで痛いと。いいえ、風がなくても痛いです)
食べ過ぎてても大腸がんの養分と運動で消費できてたんじゃないかな
食べる量は毎日は難しくても、こう、うまく増えた減ったが分かる仕組みがあるといいね
おなかを下す機会が多い人は気をつけましょう。次兄にも伝えないと
尿酸値も1年前の健診で正常値になって喜んでたのに、きっと今年も正常値だったのに。癌のせいで台無し。
昨日一昨日と朝ドラに関して書いたから今回も書かないといけない気になってしまうま
主人公よ大志を抱け
夢を追うって素晴らしいことなんだと思う
ついぞ夢、自己実現、人生の目標というものが見つけられなかった身としては、眩しい限り
でも他者を顧みず、なりふり構わず、自己中心的に自己欲求を満たす人間に対しては、軽蔑を覚える。覚えない?
けど、憎まれっ子世に憚る、それがまかり通りやすいのが今の日本だと認識してる
無理が通れば道理が引っ込む いじめっ子の方が日本社会の上層部に多そう(偏見)
何かに夢中になり、気が付けばこんな歳まで生きてたって人が最高に羨ましく感じる 存在するか知らんけど
今が最低最悪だし、余計ね
強いて言えば親孝行が人生の目標ではあったんだ
でも何すれば親孝行になるのかって考えると、先に死なないことってくらいしか思いつかなかった。孫を抱かせることとかも頭には浮かんだけど、相手が必要だし、具体的な手順とか全然組み立てられない、想像もできなかった。定職について一人前の社会人になれって?うん、そうね・・・うん。
相手を喜ばすって難しいよね
親の要望を聞き取って、それを子の力で実現する?親孝行ってそういうものとは思えなかったんだよな。何喰いたい?肉!って焼肉用意するようなもんじゃないじゃん?
親が子に求めること、子が親に求めること
親の心子知らずともいうし、子が「親孝行をしよう」と思って実行することの大半は的外れなのかもしれない。その気持ち自体が親孝行?ならおれは孝行息子なのかっていえば全く、絶対、そんなことはありえない、親不孝者の極み、最たるものだろ。
こうはなるなよ
おれもなりたくなかった
とはいえ他人との意思疎通は言葉が最有力だ
会話を重ねるのが最善か
自分を顧みると全く説得力を感じないな
こうはなるなよ(念押し
夕飯は「煮込みハンバーグ」と粥
匂いがハヤシライス、もはやハンバーグ入りハヤシライス 粥だけど。
19時までに済ませないといけないって
大腸内視鏡検査、下準備大変ね
夕飯済ませたらなんか熱が出てきた気がする
このタイミングでかよ、おい 知恵熱?アレルギー?
21時に処方された下剤服用しないとあかんし
あー!もー!ままならないわね!
さて、明日はシュレディンガーの箱を開ける日だ。
これで大腸がんじゃなかったら何なのか
多発性なんちゃらかもしれないとは月曜日に聞いた気もするけど、第一候補は大腸らしい
大腸じゃなかったらこの左下腹部の違和感は錯覚だったということになるねきっと
即入院とかになったら、これデスクトップPCで書いてるから続けられなくなるな
ノートPCを買うか、スマホを買うか、
ノートかな。やっぱりキーボードの方が入力が速い
フリック入力慣れてないし
ネット環境完備入院施設はなさそう
ほげぇ
明日はどうなるか分かりません