6/1
なんか長くなった
6/1
今朝は晴れ
体温は計り忘れた
寝起きが一番体調が良い
体を起こしていると、重力によって内臓の位置が変わって腹部の張りが徐々に強まる
すっかり腹部の輪郭も変わってしまっている。もっとへこんでいたのに、水下から下はすぐに膨らんで、臍周りにぜい肉より張り出している
増えすぎだよ悪性腫瘍
そもそもが大きくなってしまったので、増加率が昔と一緒でも増加量がはるかに多くなってるだろう。この調子で増えたらいつか腹が張り裂けそうだけど、その前に多臓器不全になるかな。どっちが先かな。どっちも嫌だな
6月が始まった
投稿当初の予想より長い時間が経ったな
黄疸の症状が出てきたし、これから死までは早いかもしれん
恐怖は無知によって生まれるもの、らしい
死を既知にする方法とは?
思い浮かばないですね
未知との遭遇を楽しむ精神を持てば、死も怖くない?その邂逅によって、自我や今までの人生が全て無に帰すであろうに?どうやって楽しむのだろう
俺は、自分が死ぬという近い未来を受け入れつつある、と思う
まだまだやりたいことがたくさんあるんだ、とか、あれをやらないと死んでも死にきれない、なんてものがあるわけでもないしなぁ
欲がない、というより、人生経験が少ないからこそかもしれん。快感を得た経験の少なさとも言えるか?たくさんの人からの称賛を得るとか、万馬券を当てて射幸心をくすぐられまくるとか、例が全然思い浮かばないことがその証かも
それでも死を思うと涙が出るのは、悔いからかな?もらってばかりの人生で何も返せてない、とか、せめて親より生きていたかった/生きるべきだろ、とか、先に逝く不孝を許してほしいとか、その辺りを考えるとすぐ泣ける。ふぁみりーこんぷれっくす?
自我が消滅するであろうことへの恐怖感はある。でも、以前からいっそ消えてしまいたいと思ってたし、自分の面倒な性格や性分をある種嫌悪しているので、きれいさっぱり消えてしまってもいいかなとも思う。だから、恐怖感はそんなに大きくはないかな
今の自我を保ったまま死後の世界に行くとなるよりは、いっそ何もかも真っ新にしてほしいかもしれん。死後の世界で他の家族を待つってのは、まだまだ長生きしてほしい気持ちと早く会いたい気持ちがないまぜになって、もやもやしそう。現在の、早く死にたいという気持ちとまだ生きていたいという気持ちの混沌具合と似たようなことになりそうよね
自分の人生が無に帰すってこともないか
俺が生きていたってことを覚えている人が居る限り、無にはならん
俺という人間が居たということを懐かしんでくれるかな。懐かしんでくれると嬉しいけど、故人が望むようなことでもないかな
そういえば俺が入院している間に、母が限度額認定証を探す一環で俺の部屋が家探しされたんだよね。そのときに俺が書いた、書置きのような遺書の存在が母に露呈したらしい。その中にはこの雑記を死んだ後に読んでみてくれって書いてあるが、母は内容は全く読んでないと言ってた。と長姉から聞いた
その時に長姉からの追加で言われた言葉が頭を悩ましている。具体的な文言は忘れたけど、「生きているうちに読ませた方がいいんじゃない?」みたいな感じだったような
なんとなく恥ずかしいから死んだ後に読んでくれと思っていたけど、残される側からしたら相手が生きているうちに読みたいものかな
俺だったらどうだろうな
読んだとしたら分かりやすく対応が変わってしまう気がする。具体的にどう変わるかは分からんが
これは他の人の目を気にせず書いているものだから、そんなものを近しい人に読まれるということは恥ずかしい気持ちは大きい
でも、そもそも俺自身が公開対象を限っていない時点で、他人の目に晒したい気持ちがあったことは確実。その他人にとても近しい家族が含まれていたかと言うと、含まれては居なかった気がする。冗談混じりで遺書代わりとか書いた気はするけども
読ませたいか、読ませたくないか、か
読ませたくない、ということはないかな。でも積極的に読ませたいということもない
読みたいか本人に訊いてみるか?
読みたいならどうぞ。でも現実で話題にしないでくれると助かる。って感じ
うーん、悩ましい
早々に結論を出しておくべき問題だよなぁ
オキノームの服用はなし