アルア・ジーフ・アルハザード
かつて、『アルア・ジーフ・アルハザード』という少女は自らを生まれながらの勝利者であると自負していた。
アルアの生まれはライクラフト王国の筆頭貴族であり、その起こりを建国時まで遡る名門中の名門『アルハザード公爵家』。
父は先代国王の妹を母に持つ現国王の従兄弟であり、母は隣国から嫁いで来た王族の姫君であった。
当代一と謳われた母の美貌を受け継いで生まれたアルアは成長するにつれその美貌を増して行き、次代の王である第一王子の婚約者として順風満帆の人生を送っていた。
家柄に恵まれ、容姿に恵まれ、才気に恵まれ、しかして幼い頃から厳しい王妃教育を受けて来た事で過剰な傲慢さを持たず、未来の王妃としての誇りと責任を胸に生きた彼女を王国の誰もが尊んだ。
『ライクラフトの白銀月華』。
市井で生まれ近隣諸国に広まったその呼び名を、当人以上に誇らしげに口にしたのは彼女を知る全てのライクラフトの民衆であった。
当初民衆の間で広まったその呼び名を使用人経由で聞いた時、本人は大袈裟だと苦笑してはいたが、同時に民がそうある事を望むのならそれに応えて見せようとも内心意気込んでいた。
国と民に愛され、それに応える事こそ自身の責務であり誇りであると定めた高潔なる姫君。
理想の王妃として育った彼女の運命が狂いだしたのは、齢十五を迎え王立貴族学園へと入学してからの事だった。
アルアの運命を狂わせた者、その者の名は『ミスカ・カーウィン』。
平民の身でありながら特待生として入学した彼女は、まるで侵略者の如く学園に通う大貴族の子息たちを魅了した。
その中には、アルアの婚約者である第一王子さえ含まれていた。
貴族社会で生きて来た少年たちにとっては平民の少女は目新しい存在だったのだろう。
そうアルアが楽観視していた間にも侵略者ミスカは甘い毒を持つ蜘蛛の様に少年たちの心を絡めとり、アルアが気付いたころには第一王子を含め凡その有力貴族の子息たちを自らの虜として侍らせていた。
そうしてアルアは負けたのだ、あの小動物の皮を被った毒蜘蛛の如きミスカに。
学園の卒業パーティー、幼馴染であり婚約者でもあったはずの第一王子から一方的に言い渡された婚約破棄と身に覚えのない罪に対する糾弾。
ミスカが国教である『ダナゴン教』の聖女として選出されたという発表と共に、アルアを拘束する為にパーティー会場に雪崩れ込んで来た教会騎士たち。
なすすべなく騎士たちに捕縛されたアルアは、用意されていた馬車によって護送されそのまま―――
『―――嫌な夢を見ましたわね…』
そうしてアルアは目を覚ました。
視界に映るのは、もはや見慣れた地下墓の暗がりだけだった。
意識を取り戻したアルアは起き上がり立ち上がる……いや、この表現はあまり正しくない。
アルアの肉体はもう何年も、もしかしたらもう何十年もそこから微動だにして居なかった。
『この体にもいい加減慣れましたけど、どうしてお腹は空かないのに眠くはなるのでしょうね?』
そう言ってアルアは半透明で向こう側が透けて見える自分の掌を見つめ、続いて石の寝台に横たわ
る自分の肉体に目を向けた。
今のアルアは幽霊であった。
あの日、パーティー会場で教会騎士たちに拘束されて馬車に乗せられ、どこかに運ばれて行く途中で薬か何かで眠らされ、次に意識を取り戻した時にはこのような状態となっていた。
魔法か何かで保護されているのか、寝台に横たわる自身の肉体はもう随分と長い間劣化する事無く存在し続け、しかし幽体離脱した自分を肉体に戻す事は出来ないようで、アルアは意識を取り戻してから今現在に至るまでの間ずっと、肉体を中心に周囲を徘徊するか肉体の下で休眠するかを繰り返していた。
『ハァ……いい加減何か変化が欲しいわね。いっそこの肉体が朽ち果ててくれればわたくしも現世から解き放たれるかもしれないのに』
そう憎々し気に自分のものであるはずの肉体を睨み付けるが、しばらくすれば首を振って視線を外す。
もう何度も考えている事だが、自分ではどうにも出来ない以上考えるだけ空しくなる。
アルアの主観ではもう何年も、あるいは何十年もこの状態が続いていた。
肉体から分離して霊体として存在する今のアルアは、しかし完全に肉体から切り離された訳では無い様で、肉体を中心とした一定の範囲内でしか活動することが出来ない。
アルアはこうなった原因を、自身の肉体が未だ仮死状態で完全には死んでいない為、このような中途半端な状態が続いているのだと考えていた。
だからアルアは待って居るのだ、いつか何かしらの外的要因が現れて自身の肉体を破壊してくれることを。
で無ければ自分はいつまで経っても冥界に旅立てず、現世のこの場に留まり続けなければならないのだから。
余りにも長い時を暗い地下墓の中で孤独に過ごしたアルアは、もはやあるべき正常な死を迎える事を望んでいた。
とは言え、その望みは未だに叶いそうに無かったのだが。
『それにしても、未だに解せませんわね。何故教会がここまでの強行を……』
霊体の身ではあまり意味は無いが、気分的な物としてアルアは足を組んで石の寝台に腰掛け頬杖をついて考える。
何故、あの時教会騎士たちがパーティー会場に踏み入り、自身を強引に攫ってこんな場所に閉じ込めたのかを。
ミスカが聖女認定され教会騎士たちが動いていた以上、教会勢力が裏で暗躍していたのは間違いない。
であれば、あの時起こった一連の出来事は教会によって計画されたものである可能性が高い。
だが、教会が計画したにしては一連の出来事はあまりにも性急かつ強引に過ぎた。
その点が今でもずっと、アルアにとって疑問として残り続けている。
『わたくしを排除してあの女を王妃に据えたいのでしたら他にいくらでもやり様はあったはず……それなのにあそこまで強引な手段に出たのは何故? わたくしを第一王子の婚約者から引き摺り下ろしたいだけなら、冤罪をでっち上げて王子自身から婚約破棄とあの女との婚約を宣言させただけで十分、それだけの説得力と重みが聖女の肩書きにはあるのですから……なのに教会騎士たちにわたくしを捕えさせたのは何故? そんな事をすれば本来の警察組織である王都衛視隊に対する明らかな越権行為ですし、アルハザード公爵家との全面戦争にも発展しかねません。態々そのようなリスクを冒す意味は? わたくしを人質とする為? それならそれでこのような場所に仮死状態にして何年も放置する理由が判りません。人質にするだけならどこかの地下牢にでも閉じ込めておけばいいのですから……』
ぶつぶつと呟きながら考察を続けるが、その答えが出る事は無いとアルア自身理解している。
アルアの持つ情報はあのパーティーの夜に教会騎士たちに捕まり意識を失うまでのものであり、それ以降の情報を得る手段が無い以上、真実を確かめる術は無いのだ。
それでもこうして考察を続けているのは……結局のところただの暇つぶしでしか無かった。
『……本当に、何かしらの変化が欲しいですわね。いい加減退屈で死んでしまいそうですわ。まぁ、もう半分以上死んでいる様な物ですけど……ハァ、……もう一眠りしようかしら?』
自虐的な自身の発言に虚しさを感じて更に深い溜息を付くアルア。
長い年月の間にすっかり独り言が癖となってしまった彼女は、何をするでもなく自身の肉体が安置された小部屋の先の通路の暗がりをぼうっと見つめる。
しばらくそうしていたが、結局やる事も何も無いので再び眠りに就こうとして……遂に、待ちに待った変化の時が訪れた。
『っ!? 一体なんですの!?』
突如地下墓に走る振動と破壊音。
よほど強い衝撃だったのか、天井からはパラパラと砂埃や石の欠片が落ちて来た。
その震源は間違いなくアルアが見ている通路の先の何処かであった。
『――アハッ! ようやく、よぉぅやく訪れましたわねぇ、待ちに待った変化が!!』
喜び、いやもはや狂喜と言って良いほどの感情がアルアの内から溢れ出る。
長く過ごした孤独の時はアルアから少しずつ、だが確実に正気を削り続けており、睡眠を繰り返す事で何とか保っていた理性のタガが、待ちに待った瞬間の到来により外れかけていた。
『……フゥ、いけないいけない。危うく淑女にあるまじき醜態を晒すところでしたわ。わたくしは誇り高きアルハザード公爵家の娘、如何なる時もそれに恥じぬ振る舞いをしなければ』
だが、それでも踏み止まり冷静に慣れたのは幼い頃から受けて来た淑女としての教育と未だ持ち続ける貴族の誇りと矜持故であろう。
そして何より、このチャンスを決して逃がしてはならないという強い思いが彼女自身に狂うこと許さなかった。
『フフフ、ええそうですとも。優雅に淑やかに速やかに、決して逃がしはしませんわよ……』
それだけ呟いて彼女は闇に包まれた通路の先へと進んだ。
霊体であるが故に歩く必要が無く、滑る様に空中を移動する彼女の横顔には、例え取り繕うとも隠し切れない狂笑が浮かんでいた。
「あっちゃぁぁああああああああああっ!!!」
「ええええええええええええええええっ!!?」
『……えぇ? なんですの、あれ』
目的地に辿り着いて一瞬で正気に戻った。
生まれて初めて味わう、言語化するならいわゆる『ドン引き』の感覚によってアルアは正気を完全に取り戻したのだ。
アルアはこの日、他人の行動に対して心の底から『うわぁ』と言いながら距離を置きたくなる気持ちと、狂気に侵されかけた心さえ理解不能の光景を前にすると一気に冷める事を学んだ。
『えぇぇ、本気で何してますのあの方……』
アルアの見ている先では、フードの様にストールを兜に巻き付けマント靡かせた古風な騎士甲冑に身を包んだ人物が、絵本でしか見た事の無い妖精の少女と親し気に会話していた。
それだけならまるで物語の一幕の様な神秘的な光景だったが、問題は騎士甲冑の人物が自ら魔法で呼び出した溶岩を頭から浴びるという奇行を行った事だった。
今のアルアの心情を言語化するなら『えぇ…今からあんな頭のおかしい行動をする人に話しかけなければいけませんの? わたくしが!?』と言った感じである。
正直アルアは凄く嫌だった。
だが、話しかけず戻るという選択肢も無かった。
自分がここに閉じ込められてからどれだけの年月が経ったのかは判らないが、気の狂いそうな長い長い時間の果てにようやく訪れたチャンスなのだ。
決してこのチャンスを逃してはならない。
逃してはならないのだが……。
『もう少し真面そうな方は居ませんでしたの……?』
出来れば別の誰かに代って欲しかった。
いっそ自分を連れ去った教会騎士たちの方がまだ話が通じたかもしれない。
アルアの人生において、頭から溶岩を浴びてひとっ風呂浴びた気分になる様な奇人変人との遭遇した経験は、目の前の騎士甲冑以外に存在しなかった。
アルアの心はちょっぴり折れそうだった。
『せめてあの妖精の方だけなら……いいえ、妖精族がこんなアンデッドの蔓延る地下墓なんかに好き好んで訪れるわけありませんものね。どう考えても連れ込んだのはあの騎士の方でしょうし、やはり彼に話を聞くしか……』
清らかな自然を好む妖精族が自らの意思でアンデッドの瘴気に穢れた人工物の地下墓に訪れる訳が無い以上、彼女はあの騎士に連れ添ってこの地下墓を訪れたのだろう。
自らの知識によってアルアはそう判断し、やはりあの騎士に話を聞くほかないと結論が出てしまった。
が、どうにもアルアは自ら声をかける勇気が出せなかった。
というか、あんな変人とどのようにコンタクトを取ったらいいのか判らなかった。
あの変人相手にどう声を掛けたら穏便に話を進められるだろうか?
そう悩んでいると、目的の人物たちはこちらから声をかけるよりも先にアルアの存在に気付いてしまった。
「どうした若葉? 何か見つけたのか?」
「あ、ヨイツあのね! あそこに女の人が居るみたいだよ」
『っ、気付かれましたか』
騎士……ヨイツと呼ばれた男はまだ認識出来ていないようだが、若葉と呼ばれた妖精の少女はアルアの存在に気付いていた。
肉体を持つ生物が、霊体であるアルアを視認する事は普通なら出来ない。
これがレイスなどの物理干渉が可能な霊体種のモンスターならまた別の話なのだが、今のアルアは物理干渉など一切できないただそこに居るだけの幽霊である為、その存在を認識する事は霊視など能力を持つ人間以外には困難だ。
だが、半霊体種である妖精族にとってはそうでは無いらしく、若葉からアルアの姿はばっちり見えているようだった。
これに焦ったアルアだったが、いい加減覚悟を決めるべきと思い直し腹をくくって自ら姿を現してヨイツへと話しかける事とした。
『しっかりしなさいわたくし、貴女は誇り高きアルハザード公爵家の娘なのよっ』
そう小さく呟いて自分を鼓舞し、アルアは警戒されないようにゆっくりとヨイツらへと近付きつつ、魔力を高めて霊視の出来ない人間でも視認と会話ぐらいは出来る様に実体を作り出した。
「ん? 誰も居ないみたいだぞ。何かの見間違いじゃないか?」
「見間違いじゃなくてちゃんとそこに居るよー」
「うーん、若葉が妖精だから見えてるとかかな? 俺にはさっぱり――」
「――何やら騒がしいから様子を見に来てみれば…妖精を連れた騎士、貴方何者ですの?」
「うわぁぁぁあああああ!! 出たァァァアアアアアアアッッッ!!!???」
大袈裟なほど派手な悲鳴を上げて驚くヨイツ。
やっぱり話しかけるべきじゃ無かったかと、アルアは先行きが不安で仕方が無かった。




