活動停止。~負け犬達の道化芝居~(再々構築版)
※私が中学生の時に作成した小説が原作となってます。
それを12年前にリメイクし、今回リメイク品を更に再構築させました。
少し話が重いですが、宜しければご一読ください。
やめた。私は大勢の人と交流することをやめた。
やめた。私は人を信じることをやめた。
やめた。私は自分の素顔を見せることを、やめた――。
◆◆◆◆
――耳に突き刺さるような目覚まし音が、私を夢の世界から現実世界へと引き戻す。
まだ意識が完全に覚醒しないまま、私は機械的な動きで上半身を起こした。そして、自らの使命を果たさんと、ひたすらに騒音をまき散らすその音源を静かにとめた。
部屋の中だと言うのに、少しひんやりとした空気が私を包む。褐色のカーテンの隙間から差し込まれる光が眩しく、燕達の小さな唄が聞こえてくる。
ベッドから足を下すと、床に敷かれた漆黒の絨毯から微かな温かみを感じた。部屋の中は寒くとも、先人の発明品はしっかりとその役割を果たす。
私は部屋を出ると、二階から裸足のまま、一歩一歩ゆっくりと階段を下りていく。足の裏からじんわりと、その無機質な冷たさを確かに感じた。
「凛香、今起きたの? 朝ご飯できてるから早く食べちゃいなさい」
私が一番下の階まで降りると、台所にいる私の母親が、呆れた表情で私に注意をしてきた。
母親にとって、私に朝ご飯を食べさせると言う行為は、単なる作業の一つに過ぎない。あまりにも作業が遅延してしまうと、次の作業に影響が出てしまう。母親の形をした機械仕掛けの人形は、与えられた仕事を機械的に、そして忠実にこなすだけなのだ。
「ごめんなさい。今すぐ食べます。少し待っていてください」
私は母親に対して、馬鹿丁寧な敬語で対応する。
丁寧語は本来人を敬うものであるが、使い方を変えると人を拒絶する刃にもなりうる。実際、母親はひどく不愉快そうな顔色を作り、本来の作業に戻って行った。
テーブルに着席すると、簡素な白い皿の上に乗った目玉焼きとトーストが私を出迎えてくれる。
まずトーストを手に取り、一口目を頬張る。今度はゆっくりと噛むことで、その味をしっかりと感じる。
「そんなにゆっくり食べてると、遅刻しちゃうでしょ! 早く食べなさい!」
忠義を尽くす機械だけのことはあり、母親はスケジュール管理に非常に厳しい。一分一秒も無駄にはできないと言う考えが誰よりも強いようだ。
仕方がない。中学生である私達は、時間割を作ることができる怠惰な大学生とは違う。時間に対して融通が利くわけではない。であれば、中学生である私は、社会の歯車として、大人しく与えられた時間通りに生きていくしかないのだ。
私はそう思い返すと、速やかにトーストと目玉焼きを頬張り、自分の部屋へと戻った。
「ちょっと凛香! 本当に早く制服に着替えなさい! お友達もう来ちゃってるわよ!」
部屋につくなり聞こえ来るのは母親からの怒声。母親が発したその声は、私の動きを急かすように誘う。
私は大急ぎで身支度をすると、先ほどとは打って変わって、素早く階段を駆け下り、玄関へ向かう。
家の玄関には、既に待ち尽くしたと言わんばかりの友人が、ぼんやりと立っていた。
少し高めの鼻に、大きめの瞳と薄桃色の唇。大人になりかけているが、まだ少女の面影を残す丸顔。大人に近づきつつある体つきに対して、私達中学生の制服が良く似合っている。
友人は私の気配に気づいたらしく、こちらを向いてにこりと単純な微笑みを作った。
そして彼女は、私よりも背が低いにもかかわらず、自らの体を斜に構える。彼女の中学生にしては豊かな胸が、前かがみになったことでより強調された。
「おはよう! もしかして今日は寝坊しちゃったのかな?」
どこか試すような、それでいて歌うような声色が流れる。鈴を転がしたような友人の声が、玄関と言う名の寂れた空間を僅かな時間支配した。
「まあちょっとね。昨日遅くまで起きていたから」
彼女の親友と言う位置を得るために、今日も私は適当に話を合わせる。
「ふふふ。あんまりお寝坊さんだと、僕、置いてっちゃうよ」
「ちょっと、さすがにそれはやめて欲しいな」
彼女が話す戯言に対し、私は少しばかり困ったような表情を生み出す。そして、茶色い革靴を素早く履き終えると、そのまま私達二人は家の玄関を出た。
◆◆◆◆
外気の寒さが、私達の露出した肌に突き刺さる。とけ残りの雪達が、私達の進むべき道を我が物顔で占拠していた。
私達の吐く息は空気中を白く漂い、霧となって散っていく。ほんの一瞬にしか、その姿を現すことのできない短き生命は、どこかたどたどしく、どこか哀れでもあった。
「はあ~。やっぱり今の季節は寒いよね! 普通に雪とか残ってるもん!」
友人はどこか嬉しそうに、それでいてどこか幼子のようにはしゃぐ。私はその有り様を、冷え切った自身の双瞳で眺めていた。
「そう言えば、雪見るの初めてだっけ?」
ごく自然に、それでいて自分の心の内は決して悟られないよう、私は友人と会話を合わせる。
友人は元々、東京方面にいたと聞いたような記憶がある。確か、母親が今の父親と再婚する時に引っ越して来たとかなんとか。勿論ちゃんと彼女の話を聞いていなかったから、ほとんどの内容は忘れてしまった。
「うん! 初めてだから、やっぱり新鮮!」
いくつもの仮面を持ち合わせている彼女は、場面場面によってころころとその仮面を被り変える。幼げな顔立ちから放たれるその動きは、どこかしら影があるようにも見えた。
「だってさ、僕が東京にいた時は――」
彼女がいつものように言葉を並べ始める。これは彼女の独白が始まる合図だ。
親友のふりをするのは簡単だ。ただただ彼女に同調するように、適当に相槌を取れば良いのだ。
場合によっては適当なタイミングで、それは凄いねとか、大変だねと話すお芝居が必要になるが、あくまでそれも一時だけだ。
「あれ? そう言えば……今日って国語の授業とかってあったっけ?」
彼女を氷のような冷ややかな視線で見ていると、突如友人が思い出したようにその言葉を紡ぐ。
「私は四限目だけど、貴方のクラスは一限目じゃなかった?」
そして私はと言うと、どこか諦めたように彼女に返答する。
「教科書忘れちゃった!」
先ほどまで活気に満ちていた彼女の表情から、すっと血の気が引くのが見て取れた。
「ごめん! 一生のお願い! 国語の教科書貸して! 前回も忘れちゃったから今回はさすがに怒られちゃうよ!」
両手を自分の胸の前で合わせ、目を潤ませながら必死に懇願するご友人。
彼女が一生のお願いをするのは、これで一体何度目だろうか。所詮彼女にとって言葉とは、きっと大した意味を持たないものなのだろう。最早責任感の欠片もない。
――負け犬。一言で言えばこれが正しい表現だろう。彼女はただ、自分の欲望のままに生きる犬なのだ。困窮すれば、ただ周りの人間に助けを要求すれば良い。そうしていれば、周囲がどうなろうと、自分だけは助かるのだから。
ふざけた話だ。自分の欲望のまま生きるなど、野生の獣と変わらないではないか。だから彼女は、人間ではなく犬のままなのだ。
「はい。ちゃんと四限目には返してね」
私は小さなため息を吐きながら、彼女に国語の教科書を渡した。
「ありがとう。やっぱり持つべきものは友達だね」
私の対応に対し、歓喜の雄叫びを上げる友人。まるで今にも私に飛びつきそうな勢いだ。
ははは、犬め。私をただの所有物としか見ていないのか。
だがお生憎様。私も貴方のことは何とも思っていないから安心して欲しい。
◆◆◆◆
「――であるからして、この公式は非常に重要だ。試験にも出るからしっかり勉強しておくように」
一限目の数学の授業。先生が黒板に書く内容に合わせ、一心不乱に生徒達がノートを取る無機的な音が教室内を浮遊する。
教室内にいる誰しもが、受験に向けてただひたすらに板書するその挙動は、与えられた指令をこなす兵隊を彷彿とさせた。
私も彼ら兵士と同様に、先生から与えられた文字を、装置の如く写し取っていく。まるで人間から教えられた手順を覚えたコピー機のようだ。人間の仕事は、将来的に人工知能に取って代わられると聞いたことがあるが、これはあながち間違いではないのかもしれない。
ただ一つ機械達と違うところと言えば、私の右手が鉛筆由来の炭素の影響で、黒色に染まってしまったところだろうか。恐らく相当な量の石鹸を使わなくては、この強い汚れは落ちそうもない。
ふとノートを取っていた鉛筆を置き、黒色に着色された自分の右手を見ていると、その黒い部分が私を闇の世界へと引きずり込むような錯覚に陥った。
どれだけ磨いても磨いても、決して取れることのない真っ黒な汚れ。拭っても拭っても、決して消えることのない絶対的な汚点。精製された綺麗な水の中で、その黒色が波紋のように静かに広がり、浸食していく。まるで白い紙を墨汁で埋め尽くされるような様子を想像した私は、軽い眩暈を覚えた。このままでは嘔吐してしまうかもしれない。
「先生。申し訳ないのですが、気持ち悪くなったので、保健室へ行っても宜しいでしょうか?」
このまま授業を受けることが難しくなった私は、授業中ではあったものの、静かに手を上げて、自らの要望を口にする。
それに対し、同級生達は授業の流れを妨害した要因として、私を物凄い形相で睨んできた。
「ん? そうか。今は大事な時期だからな。取り合えず一旦保健室で休んで来い。次の授業の先生には、俺から一言言っておいてやるから」
人生経験の長い先生は、成熟していない私達中学生とは異なり、極めて的確で冷静な判断を下す。
とてつもなく不快な気分に覆われた私は、先生に軽く一礼だけすると、その足で保健室へと直行した。
「良かった……! 授業中、急に体調悪くなったって聞いて、本当に心配したんだよ!」
友人は、ベッドに横たわる私の顔を見るなりそんなことを口にした。彼女の双眸には、小さな雫が浮かんでおり、彼女の面を彩っていた。
偽善者だ。なんと嘘が上手い偽善者だろうか。私を繋ぎとめるために涙まで見せるのか。
実際のところ、彼女は私のことなどなんとも思っていないのだ。その証拠に、彼女は授業が全て終わるまで私のところにやって来なかったではないか。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。ちょっと体調崩しただけだから」
私はへへへと自分の口角を吊り上げ、いつもの道化役を演じる。私はいつも通り、友人にとって都合の良い親友と言う存在を、彼女に提供するだけなのだ。
「そうなんだ。それじゃあ大丈夫みたいだね。じゃあまだ授業残ってるから、僕は授業に戻るよ」
彼女はそれだけ言うと、踵を返して保健室の扉の方へ向かって行った。そう。彼女は当然、そのまま保健室を出ていくのだと思った。
しかし彼女は保健室の扉に手を掛けると、ぴたりと足を止めた。
「ねえ。僕達……親友だよね?」
彼女が足を止めたまま、私の方へと振り返った。普段笑顔しか見せない彼女の瞳に、強い意志が宿っているのを感じた。
「そんなの当たり前でしょ。一体何聞いてるのよ」
普段とは異なる彼女の不思議な雰囲気に、私は一瞬たじろいだものの、必死に親友と言う仮面を被り続けた。
「そうだよ……ね。うん! ありがとう! また明日会おうね!」
先ほどの雰囲気が嘘のように、再び彼女はいつも通りの笑顔を作り、保健室を去って行った。
しかし彼女の後ろ姿は、どこか消えてしまいそうであり、儚げでもあった。
彼女のそんな様相が私の瞼に焼き付き、もう二度と会えないかもしれないと言う考えが、私の頭を過った――。
◆◆◆◆
次の日、友人が自殺したと言う話を聞いた。彼女は再婚した父親から、日常的に暴力を受けていたらしい。
その苦しみから逃れるよう、友人は毎日リストカットを繰り返していた。昨日は運悪く、動脈の近くを切りつけてしまったため、病院に運ばれた時には、既に手の施しようがなかったとのことだった。
私はその話を聞いても泣かなかった。いや――正確には泣けなかったのだ。
私が演じていたように、友人もまた、私達に悟られぬように道化役を演じていたのだ。それも私よりも遥かに上手く、巧みな技術で演じきった。なんと賢い愚者なのだろう。
そして友人は、自分の生命活動を停止させることで、父親の暴力と言う苦痛から逃れた。これを彼女が生涯をかけて演じきった喜劇と呼ばずしてなんと呼ぼうか。
「ふふふ……」
自分でも知らず知らずのうちに、小さな笑みが口から零れ落ちる。
私のことだけは親友であると信じ、自ら死を選んだ友人。なんと儚げか、なんと残酷か。これが人間社会と言うのであれば、なんと滑稽な世界であろうか。
「――凛香ちゃん」
唐突に私の名前を呼ぶ声がして、笑気に取り憑かれていた私は我に返った。
驚いて周りを見回すと、そこには白い衣を纏った友人が宙を漂っていた。重力の鎖から解放され、悠然と佇む彼女の姿は、まるでおとぎ話に出てくる天女のようだった。
「凛香ちゃん。こんなところにいたんだ。早く行こう。遅刻しちゃうよ」
目の前にいる天使が、優しい微笑みを浮かべながら、私に向かって左手を差し出してくる。
それを見た私は、少しだけ身を乗り出し、差し出された彼女の手を取ろうとした。
そこまでして彼女の手を握ろうとした理由は、何故だか自分でも良く分からない。ただ、優雅に浮かぶ彼女の姿は本当に美しかった。とても幻想的で、おとぎ話の住人のように思えたのだ。
そして私は――。
――自分の両脚に激痛が走り、何かが潰れたような音が響き渡る。私の身体の節々が悲鳴を上げ、四肢があらぬ方向を向いている。
それら全てが、私が間違いなく屋上から落ちたのだと言うことを物語っていた。
「――凛香ちゃん」
再び私の耳に入ってくる友人の歌うような声音。
私は、体中に走る痛みを噛み殺しながら前を向く。するとつい先程まで浮揚していた彼女の身姿が、私の目と鼻の先にあった。
手を伸ばせば届く距離。それは彼女が浮世離れした偶像などではなく、紛れもない私の友人なのだと言うことを私に再認識させた。
「凛香ちゃん。私と一緒に行こう」
目の前の白き天女は、私を自分の元へと来るようにと、再びそのやせ細った手を私に向ける
ほとんど体の自由を奪われた私は、走る激痛に耐えながら、辛うじて動く左腕をのばし、差し出された彼女の右手に触れた。
今の私に、恐怖心が無かったと言えば嘘になる。しかし、それと同時に私は奇妙な安心感を得た。彼女に触れた瞬間、優しく包まれるような安堵感が私に訪れたのだ。
「は……ははは……」
私は再び自分の口が、自然と笑みを作るのを感じる。先程とはまるで異なる、実にぎこちなく、それでいて不器用な笑顔だ。
その一方で、私はどこかで感じていた。今私が作っているこの笑顔は、私が久しぶりに誰かに見せた、自分の本当の素顔だったのだと――。
◆◆◆◆
やめた。私は人としての舞台に上がることをやめた。
やめた。私は自分に与えられた役割を演じることをやめた。
やめた。私は生きることを、やめた。
私は友人と一緒に、その生命活動を停止することで、世界と言う名の舞台から永遠に退場することとなった。
そう。これが負け犬である私達、愚者が演じた喜劇の終焉。荒唐無稽な道化芝居の幕引きだった――。
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