62.もう我慢がならない
「岬……」
「姉ちゃん……」
ほぼ同時に声が出た。名前を言ったのはリク。姉と言ったのは、兵頭の手下三人の中で、最も小柄で細身の少年だった。だらしない髪型・服装や、周囲へガンを飛ばすような目つきやふてぶてしい態度がなければ、目が大きくて鼻筋も通って色白で、かわいい部類の顔立ちだった。
よってその顔は、岬には全く似ていない。
「え? 桜井?」
岬はリクと目が合うと、目を見開いて言った。それから急に、岬は目つきの鋭い怖い顔になった。
「あんたまた妙なのとつるんでるの? 桜井達からカツアゲでもしてんの?」
岬はその怖い顔のまま駐車場に入ってくると、ズンズンと響きそうな大股で威嚇するようにリク達の方へ近寄って来た。
「ね、姉ちゃん、ち、違うよ。お、お、俺達は桜井さんに……あ、挨拶に……」
岬の弟と思われる少年は岬から目を逸らして、どもりながら小声で言った。リクは先程の自己紹介を思い出す。そういえばあの少年は『ミサキカズヒロ』と名乗っていた。あの時名字をミサキと聞いても、リクは何も思わなかった。そのまま聞き流していた。一組の岬にすんなり結びつかなかった。広瀬達はどうなのだろう。嫌な予感くらいはしていたかもしれない。しかし今はそれどころではない。それについての確認は後回しだ。
「桜井に挨拶?」
岬はカズヒロの言葉の要点を言うと、怪訝そうな顔をした。それから急に何かを思いついたように目を見開いて、口を『あっ!』という形にした。
「あんたなんで、姉ちゃんの好きな人知ってるの?」
岬がそう言った瞬間リクは眩暈がした。この事態、これから面倒が起こるという臭いがプンプンする。
「じゃあ、また!」
リクはそう言うと学校へ向かって走り出した。後ろから同じように走って来る人の気配がする。誰がリクについて来ているのかは確認する気はない。とにかく急いであの場所から離れたかった。
密集して登校する生徒の間をぬって逃げ続ける。きっと雨宮はミサキカズヒロが岬花梨の弟だと知っていた。知っているのにリクにも周囲にも黙っていた。
登校日の今朝、不意打ちで兵頭達をリクに会わせた。これだけでも兵頭達の存在を疑っていたリクは十分驚いた。更に運よくミサキカズヒロの姉の岬花梨が通れば、こういうリクにとっては逃げ出したい事態になって雨宮からすれば面白い。通らなければ後日、別の方法で二人の関係をリクに告げて楽しもうとでも、雨宮は考えていたのだろう。
そしてリクは偶然にも聞いてしまった。岬はリクを『好きな人』と言った。岬からは何度も誘われたり声をかけられたりしたが、『好き』という言葉は一度も聞いたことがなかった。今日初めて岬の気持ちをはっきりと聞いてしまった。聞きたくなかった。卒業まで逃げ通したかった。だってリクが好きなのは……リクは頭を振った。頭の中に浮かんだ白石の映像を消したかった。
リクは自分がリルドのように堂々としていられたらいいのにと思う。リクが慌てふためいたりしなければ雨宮はつまらないから、こんな風に次から次へとリクを困らせる方法を考えたりしないだろう。リルドなら……仮に何かされてもリルドなら、ただでは置かないのではないか。しっかり相手をとっちめるだろう。しかしリクはそんなことにエネルギーを使いたくない。精神的にも肉体的にも平和に過ごしたいのだ。
リクがようやく下駄箱に辿り着くと、そこには笹本がいた。
「おはよう、桜井。てか、このくそ暑いのに、まだ予鈴まで時間があるのに、なんで走って来たんだ? あれ? 今朝は皆で走って来たのか? またお前らの訓練かなんかか?」
笹本に声をかけられてそこでやっと振り向いてみると、そこには広瀬・島村・白鳥・橋本の四人に加えて雨宮がいた。しっかりと雨宮もリクについて来ていた。そして雨宮はニヤニヤと笑っている。中一達はついて来ていたのだろうか。ついて来ていたのなら、中学校舎のエントランスの方へ行ったのだろう。中学生はそこに下駄箱があるから。
岬はどうしただろうと思いエントランスのドア方向を見てみたが、岬の姿は見当たらない。岬はあのままあそこで弟と話し込んでいるのかもしれない。どんな話になっているのか。リクは怖くなって考えるのをやめた。
「おはよう。笹本。ちょっとあってな」
リクはやっと挨拶をした。リク以外の五人も笹本に挨拶だけして、各々のクラスの下駄箱に移動していく。
「ちょっと? なんだ、それ」
「コンビニの駐車場で」
「コンビニの駐車場って、あ、まさかあれか? さっきなんか駐車場で屯っている奴ら見かけて……あれお前らだったんだ。ごめんごめん、なんか異様だったから、関わらないように急いで通り過ぎたんだ」
「気にしてないよ。気持ちは凄くわかるから」
やはり通りすがりの生徒達の反応通り、あの集団は異様だったのだ。笹本もチラ見してヤバさを感じて、さっさと通り過ぎたのだろう。当然の選択だ。笹本を非難する気は起きない。
「何があったのか、あとでゆっくり話すよ」
「おう、楽しみにしてる」
リクと笹本は連れ立って廊下の方へ進む。リクはもう一度エントランスのドアを見る。岬花梨はまだ来ていない。リクは今のうちにと思い、そそくさと教室へ向かった。
九月に入ってすぐの情報だ。
ミサキカズヒロは漢字で書くと岬数大。岬花梨の一学年下の弟。
ストレスに弱い数大は中学受験に失敗して公立中学へ進んだ。受験の失敗でふてくされた数大は、その公立中学で勉強が手につかず成績はガタ落ち、進学校ではない高校に進んだ。高校に進んでからは悪い仲間と行動するようになり、問題行動で親が度々教師から呼び出されていた。どこで喧嘩したのか鼻の骨を折って帰ってきたこともあり、両親は心配していた。
しかしその後、数大は『とある人のお陰』と言って大人しくなり、真面目に学校やバイトに行くようになったそうだ。
そんな情報を広瀬達一組メンバーが、一組の噂好きの女子達から集めてきてくれた。ここで言う『とある人』とは当然雨宮だろう。
更にその数日後。岬が学食に現れた。
岬花梨は弟が真面目になった切っ掛けに、同級生の雨宮が関係しているとは知らなかった。とある人は滅茶苦茶強くて兵頭でさえ喧嘩にもならず、四人を舎弟にしてくれて、行動を諭されたとだけ数大は言った。相手の名前や素性は家族には言わなかったらしい。家族としては真面目になってくれるのはありがたい。その時それ以上突っ込んでは聞かなかった。
岬花梨と雨宮は同じ高校でしかも同じ学年だから、顔見知りでなくても名前くらいは知っている可能性が高い。数大もとある人の正体を、言いづらかったのかもしれない。
そして岬花梨は数大から改めて、全てを聞いたらしい。雨宮が異常に強いこと。その雨宮でさえ頭が上がらないボスがリクだということ。そしてあの日はリクに挨拶に来ていたのだということ。
「そういえばさ、桜井って広瀬とか、雨宮とか、田端とか、成績がよくてやたら目立つのと仲いいよね。草食系は隠れ蓑で、実は学園の影の支配者だったりして?」
ミックスフライ定食の付属の味噌汁椀に口をつけていた笹本が、その味噌汁を噴いた。広瀬は食事中とは思えない苦い物でも食べているような顔をしている。島村と、珍しく学食を利用している白鳥と橋本も、似たような表情をしていた。ご飯が不味そうな顔だ。こんな顔で食事をしてしまい、一生懸命食事を作ってくれている、学食の調理場のおじちゃん・おばちゃん達に申し訳なかった。
「ち、違う、違う、違う」
リクは首を振って同じ言葉を繰り返した。
「やっぱり、そうだよねぇ。どっから見ても、数大が言うような奴には見えないもの」
岬はそう言ってニカッと笑顔になる。
全ては兵頭達に余計なことを話した雨宮のせいだ――リクは右手でしっかりと箸を二本纏めて握りしめた。学食の入り口に雨宮の姿が見える。いつもと同じミネラルウォーターのペットボトルを持って、川原と田端と一緒にリクの方へ向かっている。
さすがのリクもここまでくると頭にきた。雨宮にはっきり迷惑だと言ってやる。訂正しろと言ってやる。その上に、エドに頼んで、しばらく家に出入り禁止にしてやる。こんなに怒りが湧いたのは久しぶりだ。リクのかたく握られた右こぶしは、珍しく震えていた。
「岬は桜井を口説いてんのかあ?」
やって来た雨宮は飄々としてそう言うと、空いている席に座った。テーブルの上にトンと軽く音を立てて、ペットボトルを置く。
「桜井、雨宮を殺したそうな顔をしてるぞ。俺と組んで雨宮を嵌める計画を立てないか?」
リクの後ろを通り過ぎる時、田端がそう耳打ちした。その瞬間、リクはどっと心の疲れを覚えたと同時に、雨宮に対するあれほどの怒りがスーッと冷めて萎んだ。
終わり
これで、リクたちの高三の夏休みを書いたお話、Showtimeはおしまいです。
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