41.森の中を行く
夕食を食べるだけ食べると雨宮は、『ごちそうさまでした』と満足そうに言って帰って行った。
その晩リクは布団に入ってから、自分の考えが甘かったと反省した。
リクは、あの騒動で雨宮は、十分満足しただろうと思っていた。これで夏休み一杯は大人しくしていてくれるのではないかと安心していた。しかし雨宮は満足していなかった。次なる騒動の種を探していた。先程は広瀬に指摘されて引っ込んだが、これで諦めているとは思えない。また何か探すのだろう。本当に恐ろしい。早く学校が始まればいいと思う。そうすれば雨宮があちこちでフラフラと、迷惑な暇潰しを探す必要もなくなるのだから。
「おやすみ、チャンス」
「おやすみなさい、リク様」
チャンスと就寝の挨拶を交わすと、リクは眠りに就いた。
リクは深い森の中にいた。どうやら夢の中のようだ。
樹木の枝葉が濃く高く茂り、視界は幹の茶色と葉の緑で埋め尽くされている。木々の間の地面は踏みつけるブーツが汚れるほど湿り、その湿った地面を下草が覆い隠す。目印も人や生き物が踏み固めたと思しき道のようなものもない。日の光は遥か上空の枝葉の隙間で散乱し、幾条もの光の筋がスポットライトのように空間を貫いて緑に射し込む。
西洋の原生林を思わせる、美しい場所だった。
今回リクは、誰かの体に入らせてもらっている、そんな感覚がした。相手の感覚や頭の中を知ろうと思えばわかる気もするが、この体自体をリクの意思で動かすのは無理そうだ。この不思議な感覚は、以前リクが体験したとある感覚に非常によく似ていた。高一の正月、あいつに体を乗っ取られた時に体験したあの感覚だ。ただあの時は自分が乗っ取られていた気がしたが、今回は自分が誰かの体にお邪魔している、という感覚の方が強かった。
その人物はその道も目印もない森の中をズンズン進んでいく。ここは庭みたいなもので、決して迷うことなどないのだと、リクはこの人物の知識のお陰で理解していた。その人物は行く手を阻むように現れた、苔むした倒木を軽々と飛び越える。その時、体の後ろに短いマントのような、たなびく何かが見えた。人物は肩に何かを引っかけて、担いでいるようだ。それがリクには短いマントに見えたのだ。そしてそれは、これからその人物が成そうとしていることのためには、とても重要な物なのだ。
「ねぇリルド、やっぱりやめようよ」
突然、後ろから若い男の声がした。その人物は足を止める。声をかけられ足を止めたということは、リクが乗り移っているこの人物はリルドという名前なのだろう。リルドは声をかけられたのを忌々しいと感じながら振り向いた。
「うるさいぞ、ルマ」
リルドはそう言った。
リクの目の前には三人の、高校生くらいに見える少年たちが横並びで立っていた。しかしその少年たちの顔を見て、リクは大声を出したくなるほど驚いた。なぜなら三人は明らかに人間ではないからだった。
おとぎ話の鬼のような角が二本、頭の上の左右に一本ずつ生えている。そして額の真ん中上部の生え際のあたりには、動物のサイの鼻についているような形の、小さい突起のような角が一本生えている。更に、目の周りの皮膚が狸やパンダを思わせるように黒く縁どられている上に眉毛がない。そしてそれらの容貌が三人の顔を、かなり間抜けに見せていた。髪は黒、瞳は薄茶色、肌は黄色人種に見える。服の下がどうなっているのかはわからないが、それ以外は人間と違う部分は見当たらない。
服は三人とも厚めの生地の深緑色のシャツとズボン。腰には背中側に、服と同じ色のウエストポーチをつけている。まるで兵士のようなその姿は森に見事に溶け込んでいたし、その効果も狙っていた。
「だってさ、やっぱりまずいよ」
先程話しかけたのと同じ声。ルマだ。リクから見て一番左端に立っている少年。肩を小刻みに前後に揺らし瞳が左右に忙しなく動き、どう見ても挙動不審だ。リクには、その原因はリルドにあり、ルマがリルドを怖がっているように見えた。
「お前らもなんか言いたいのか?」
リルドは残り二人の方を見る。
「俺は特にない。だって面白そうだし」
そう言ったのは真ん中の少年。柄と鞘に美しい模様が描かれた、西洋の剣を腰に下げている。彼の名はショウヤ。彼はリルドの双子の弟だ。一卵性の彼らは同じ顔。ということはリルドもショウヤと同じあの外見なのだろう。お陰でリクは、見えない今の自分の姿があれなのだと確認が取れた。そして、やっぱりな、と自分の角付きパンダのような間抜けな姿を思い、心の中で笑った。
「俺はこの神希棒(じんきぼう)の威力を試したい。あとはどうだっていい。反省してるっぽく謝りゃなんとかなんだろ」
一番右の少年が言った。彼はリルドとショウヤの従弟のトミイ。彼は身長と同じ長さの木の棒を持っている。見た目はただの木の棒だが、この木の棒は神希樫(じんきがし)と呼ばれる樫の幹から作られた武器で、剣を相手に戦闘ができるほどの硬さを誇っていた。一本の木から一本しか作れない貴重な武器で、この棒を武器として持ち歩く者も多く、トミイがずっと欲しがっている武器だった。欲しがっている、ということは本来ここでトミイがそれを手にしているはずないのだが、なぜかトミイはそれを持っていた。どうやってトミイがそれを手に入れたかは、リルドの頭の中にはっきりとした情報がなかった。ただこの棒がなんであるのかと、トミイが持っているはずのない物なのだという以外には、リクはリルドの頭から情報を引き出せなかった。
そういえば、とリクは思い出す。リード家との最後の戦いで田端が敵から木の棒を奪い、振り回していたことを。田端はバッタバッタと敵をなぎ倒していた。あのあと田端は、『この棒、なんか無敵で最高。いただいて帰ろ』と言って持ち帰った。もしかしてあの棒は神希樫から作られた棒ではないのか。しかし今は、それは置いといて。それは目が覚めたらエドに頼んで確認してみるしかない。
「行きたくないのはお前だけだ」
リルドはルマに向かってそう言うと、左肩に担いでいた荷物をルマの前に放り出した。
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