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38.有無を言わさず全額返金!

 何も知らなかった。気づかなかった。項垂れ過ぎて沈み込みそうに思える頭を、リクは両腕で挟んで抱える。


「私がリビングに連れていかれた時、雨宮に届いたかと確認したのは、書き終わって送信したばかりの論文です。誰かの住所ではありません」


 あの雨宮とチャンスのやり取りを、リクはチャンスが雨宮に住所を教えたための会話だと思い込んでいた。


「でもチャンスは、笹本が雨宮の持ってきた資料を読んでその感想を聞いても、特に何も言わなかったよね。なんで? あの資料の内容をチャンスは知っているだろう?」

「知りませんし、知る必要もありません」


 チャンスはそう言った。リクは頭を抱えていた両手を下ろす。


「だってあの資料は論文用の」

「違いますよ。論文とあの資料は別物です」

「はぁ?」


 再びリクとチャンスの話が噛み合わない。


「私が雨宮から頼まれた論文タイトルは、『志望校を目指す理由』です。笹本の話から推察するに、あの資料は雨宮とその周辺の、真面な人間が読んだらイカていると判断する話が書いてあるのでしょう?」

「え? 論文は趣味や家族じゃないのか? じゃあ雨宮はなんであんな資料を……」

「決まっています。田端と川原に断られ次に広瀬に頼むという名目で、この家に上がり込むためです」

「そのためだけにこんな手の込んだ準備を? お土産の西瓜まで用意して? 雨宮どうかしてる」

「何を言っているんですか。雨宮の頭がおかしいのは今始まったことじゃないでしょう」


 チャンスはそこまで話してから、「フン」と人間が鼻を鳴らすような音を出した。


「雨宮は最近、学校がつまらないと言っていました。今年の三月までの学園内での、ピリピリした気の抜けない生活が懐かしいと。戦いも終わって、雨宮の好きな刀を振り回せる機会も、当分なさそうですし」

「なんで気の抜けない生活の方が楽しいんだろう。俺だったら今の方がいいのに」


 特に今年の一月から三月にかけての、あの学内で敵が一緒に生活しているピリピリした環境には、リクはもう戻りたくない。


「雨宮には逆にリク様の気持ちがわからないでしょう」

「だろうね」


 それもそうだろう。リクは溜息をついた。


「雨宮からは『日本の最高学府について調べて褒めたたえ、その大学に入学して、そこで何を学びたいか想像して書いてくれ』と頼まれました。日本の高校生の論文の代筆。とてもいい経験でした。雨宮からも論文の出来について『Excellent!』と送られてきて、バイト料も最初の契約よりもはずんでくれました」


 あの日の状況がほぼわかった。これだけ好き勝手して、しかも周囲を馬鹿にするように巻き込んで騙して、雨宮はきっと満足しているだろう。腹が立つが、でもこれだけかき回せば当分雨宮は、大人しくしてくれるかもしれない。


「ところでさ、チャンス。雨宮がチャンスに代筆を頼んだのは大分前だよね。どうしてバイト代が振り込まれるまで俺に黙っていたんだ?」


 リクがそう尋ねるとチャンスは急に黙った。今までスラスラと説明していたのが嘘のようだ。いつまで待ってもチャンスは黙ったままで何も言わない。ただ、目の青い光が忙しなく左右に動いたり点滅したりしていた。これは人間でいう困っている状態だなとリクは思った。


「チャンス、俺に何が話しづらいんだ?」


 リクは聞いてみた。チャンスの目が通常の状態に戻り落ち着いた。しかしリクの方に目は向いていない。


「だって雨宮が、リク様が怒るかもって言うから」


 目を逸らしたまま急に子供っぽい口調で、チャンスは答えた。


「俺が怒るって何にだ?」

「それは……だから…………」


 チャンスはゴニョゴニョと、リクには聞こえない大きさの声で何か言っている。


「聞こえない!」


 リクが少し強めに言うと、チャンスはゴニョゴニョ声をやめた。


「雨宮が言うには、宿題の代筆なんて受けたことがリク様に知れたら、きっと真面目なリク様は代筆に反対し、雨宮に断りの連絡を入れるだろうと。そうしたら高校生の論文を書いてみたいという私の願いは叶わなくなる。だから、もう全てが終わってしまってから言った方がいいと。リク様はよくないことだと多少注意をするかもしれないけど、もう論文は渡されお金も振り込まれ終わってしまっていることだからリク様もそれ以上の対処は諦め、何もできないだろうと。だからそれまでは秘密にしておけと。エド様もその話に加わって、『その方がよさそうだな』と」


 今度ははっきりとした声で言った。リクは呆れた。雨宮とチャンスとエド、全員にだ。雨宮はそんなところまで指示を出し、チャンスはそれに従い、エドは許可した。でも確かにチャンスから事前に相談されていたら、リクは間違いなくよくないことと言ってチャンスを止めただろう。


「すみません、リク様。欲望には抗えず。それに仕事の割にいい額のバイト代が入りますし、そう簡単にばれることではないですし、リク様の利益になるから、まぁいいかなっと」


 論文は書かれ、そしてそれは既に雨宮の手の中だ。その論文を提出するなと雨宮に言ったところで、雨宮がリクの言うことを聞くとは、これっぽっちも思えない。チャンスの言う通り、雨宮の策略通り、今更リクにはどうにもできない。でも一つだけしなくてはいけないことがある。チャンスには気の毒だと思うのだが。


「でもチャンス、お金は受け取れない。雨宮に返金しよう」

「どうしてですか?」


 リクは雨宮の借金についてチャンスに説明した。一日でも早く、巻き込まれた兵頭達へお金を返してあげたいのだ。

 それに雨宮は、兵頭達への返済は、母親から渡されたお金をちょろまかして工面すると言っていた。それもよくない。例えそれが親の持つ金でも、雨宮の家がその程度の額の金の使用目的を気にも留めない金持ちであっても、だ。


「雨宮が借金? そんなはずありませんが」


 チャンスがそう言った。


「雨宮にはあの程度の金額の、自由にできるお金はあります。雨宮は小遣いやお年玉から少しずつ貯めて、元からかなりの額を持っていました。最近では父親であるニックの許可をもらって雨宮個人の貯金を使い、雨宮と私で相談しながら資産運用などしてます。雨宮は見かけによらず慎重堅実タイプで、大儲けはありませんが着実に少しずつ貯蓄を増やしています。雨宮の今の経済状況で、借金なんかするはずありません」

「じゃあ、あの借金話は……」

「リク様をからかうための、作り話では?」


 それは十分にあり得るなとリクは思った。


「チャンスは雨宮から、兵頭とか子分とか、不良と友達になったとか、そんな名前や話を聞いたことは?」

「全くありません」


 それならば子分がいるという話は、リクを困らせて楽しむための雨宮の作り話だと、リクは結論づけた。兵頭達四人はきっと作り話の中の登場人物なだけで、この世には実在していないのだろう。リクは彼らに会わなくて済む。安心した。


「とにかくチャンス、宿題を手伝うくらいならいいが完全に代筆は駄目だ。これからはしないように」


 結局リクは雨宮の予想通り、チャンスに代筆はいけないことだと注意していた。


「はあ~い」


 チャンスは低めの声のつまらなそうな口調で、返事だけはした。


「それから、悪いことして手に入れたお金は全額返金」

「え~~~」


 チャンスから不満そうな声が出た。リクとて、夏休みの宿題の作文を有料で代筆する仕事があることを、以前に人から教えてもらって知っている。それで代筆料をもらって生活している人がいるのも知っている。でもやはりリクは、作文や論文は、下手でも大変でも自分で書くものだと思っている。チャンスのこんなバイトは絶対に認められない。


「じゃあせめて、せめて、それを元手に投資で増やしてから返金というのはどうでしょう。私とリク様は投資で増やした分を受け取り、雨宮にはそれから元手を丸々返金する。あ、少し利子もつけましょう。これなら雨宮に損はさせていません。むしろ増や」

「駄目」


 それは最初からリクの手元にあってはならないお金。そのお金を利用すること自体駄目だ。とにかく、そのお金はできるだけ早く本来の持ち主に返すのだ。


「リク様は真面目過ぎで頭が固い!」


 チャンスは呆れを含んだ強い口調で言った。それから少しおいて。


「わかりましたぁ。お金は明日中に雨宮の口座に戻しますぅ」


 チャンスは納得いかないと言わんばかりに、語尾をのばした、子供みたいな棒読み口調で言った。



読んでくださってありがとうございました。

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