33.合流しました とても楽しかったです
『テメェ』
今日一日でなん度この、『テメェ』という喧嘩腰の二人称を聞いただろうか。そもそも、聞きたくない単語だ。心の平穏が奪われる。疲れる。今日はつくづく運の悪い日である。
リクの目の前には今起きたことを認識していなさそうな笹本。目を見開いて辺りをキョロキョロ見回した。
「広瀬?」
笹本の目が広瀬で止まり言った。広瀬は一階に向かう階段のそばにいる。笹本は広瀬の全身を確かめるように上から下へと見たあと、再び顔を動かした。そして視線はある一点で止まった。
「田端?」
笹本の視線の先には床に押さえつけられた田端がいた。丁度、食卓そばに立つ笹本の一メートルくらいソファ寄りだ。
「何が起きたんだ?」
笹本は答えを知りたそうにリクを見る。リクとて全てをはっきりと見ていたわけではない。しかしわかっていることだけは、笹本に説明してあげなければいけないと思っていた。この中で笹本だけ何も見えなかっただろうから。
「突然どうしたのか、田端が広瀬の背後に移動した。そのまま飛びかかろうとしたけど、広瀬が気づいて階段側に逃げた。体の向きを変えて広瀬を追いかけようとした田端は、ああしてお父さんに取り押さえられた。それが全て一瞬で起きた」
リクはこれで正しいとは思うが、確認のために雨宮を見た。帰り支度を終え、鞄を肩にかけてソファのそばに立っていた雨宮も、一部始終を見ていただろうと思ったからだった。
「あ~、その通り。これが俺らの力だよ」
雨宮はかったるそうな声で言って、ソファの背凭れに軽く腰を乗せた。背凭れは座る場所ではない。行儀が悪いぞ、とリクは思う。口には出さないが。
「エドおじさん、手を離せ! 広瀬を殴る!」
「智哉、ここで喧嘩をされて家を壊されると困る。ここは借家だから、壊れたらオーナーが気の毒だ」
エドはそう言った。片手で田端の右腕を捻り上げ、逆の手で背中を押さえ、エドは田端を見事に床の上に這いつくばらせていた。浴衣の下半身の合わせの隙間から立膝が出て、時代劇のドラマや映画のワンシーンのようなカッコいいポーズが決まっている。
「クソ! クソ!」
田端は喚きながら藻掻くが、押さえるエドはびくともしない。
「桜井のお父さんスゲーな。空手部の田端を簡単に取り押さえたぞ。しかも着物で」
笹本が感動したように言った。
「当主としては部下に対してこれくらいできないと。なんたってうちの連中は導火線が短いのとか発火点が低いのとか多くて、すぐに暴力に訴えるから。それを力づくで落ち着かせるのも大事な当主の役目の一つだ」
エドはチラリとリクを見る。リクにはエドの目が『お前もこれくらいできないと』、と言っているように見える。先程雨宮も指摘したように、エドの次の当主はこのままいけばリクだ。この乱暴な連中のボス。リクは無理だと思った。こんな荒っぽい連中を荒っぽい方法で静かにさせるなんて、リクはやりたくない。何度も思うが、関わりたくさえないのだ。
何を考えているのか雨宮は、ズボンのポケットからスマホを取り出した。そしてスマホの背面を田端とエドに向ける。
「雨宮、テメェ何してる!」
「ビデオ撮ってる。ご当主様の恐ろしさを記録するために」
「撮んな! ふざけんな!」
「写真も撮っておくか」
「雨宮! テメェ、ぶっ殺すぞ!」
本日聞いた『テメェ』という言葉の数が増えた。しかも『ぶっ殺す』って。
田端と雨宮の、周囲の気分を悪くさせるこんなやり取りを、リクは疲れるだけなので聞きたくない。一々喧嘩を吹っかけなくたっていいのに。いさかいなど起こさず、静かに過ごせばいいのに。
「翔、ビデオを撮るのはやめろ。智哉がかわいそうだろう」
「は~い」
エドに注意され、雨宮は不満だと言いたげな低いトーンで返事をして、さっとスマホを下ろした。
「それでだ、智哉。どうして裕士に飛びかかった? 裕士が何をしたんだ?」
「俺は何もしてません」
エドの質問にすかさず広瀬が答えた。広瀬はつまらなそうに、床に突っ伏す田端を見ている。
「黙れ! 広瀬! 話をするのは俺だ!」
田端は怒鳴ったあと、悔しそうに顔を歪める。
「裕士にとっては何もしてないのかもしれないが、智哉は違うのだろう?」
エドは静かな声でそう言った。田端の悔しそうな顔が少しだけ和らいだ。
「アリスから写真が送られてきたんだ。花火大会の」
田端がそう言うとすぐに、雨宮が田端のスマホを拾い上げた。田端のスマホは床に置かれた田端のバックパックの上に、無造作に置かれていた。多分、田端は広瀬に襲いかかろうとした時に、そこに放り出したのではないかと思われた。雨宮はスマホ画面を見る。
「お、丁度いい。まだ画面が消えてない。アリスの写真のままだ」
雨宮が画面を上下にスクロールしたり拡大したりしている。そして「ふ~ん、なるほど」などと呟いた。
「アリスとその友達が写っているんだと思っていた。それなのに」
そう言ってから、再び田端の悔しそうな表情が酷くなる。
「なんで、島村と白鳥と橋本がアリス達といるんだ! あいつらと仲いいのは広瀬だ! 広瀬があいつらを花火大会に向かわせたんだろう!」
笹本のそばに立っていたリクは急いで雨宮の隣に移動する。そして雨宮の持つ田端のスマホを覗き込んだ。続いて笹本もやってきて、リクの後ろから覗き込む。
雨宮が見ていたのは人が何人も写った写真だった。笑わせようとしてなのか変なポーズをとった男子が、浴衣の女の子達と並んでいる。雨宮がその男子一人一人を拡大してくれた。確かに、島村と白鳥と橋本だった。そして浴衣の女の子の一団も拡大してみる。うち一人は間違いなくアリスだった。
『バスケのお兄さんたちと合流しました。とても楽しかったです』
というメッセージも写真と一緒に送られてきている。
「本当だ。アリスと橋本達だ」
リクはなぜ三人がアリスといるのか疑問に思いながら言った。雨宮と笹本は答えを知っているであろう、階段そばの広瀬を見た。リクも広瀬を見る。それに気づいたのか、田端を見ていた広瀬が顔を上げる。広瀬はチラリと三人を見てから視線を田端に戻した。三人にじっと見られているのに、広瀬は全く表情を変えない。
「裕士は三人がアリスと一緒にいる理由を知っているのか?」
エドが田端を取り押さえたまま尋ねた。
読んでくださってありがとうございました。
ブックマーク登録ありがとうございます。




