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2.家政婦 村上

 その日、父親は会社を早退して家に帰ってきた。俺がクマを真っ二つにしたのは多分午後四時半頃。父親はそれから約一時間で戻って来た。きっと即行仕事を切り上げて、急いで帰って来たのだろう。


『これは、やらかしたなぁ』


 と父親は、惨状と化した部屋を見回して言った。

 木刀で穴が開けられ、そこから周囲に延びるように亀裂が入った床。真っ二つになったクマのぬいぐるみ。部屋中に散らばるクマの詰め物のパンヤ。


『とりあえず、できるだけ早く、部屋の修理業者を呼ぼう』


 父親はそう言って俺の部屋から出て行こうとした。しかしその左肩を、母親の右手がガッチリと掴んだ。


『この部屋の片付けは、あなたがやってね』

『え? 俺?』

『元はと言えば、あなたが書斎に鍵をかけていなかったから、こんなことになったのよね』

『いや、まさか三歳で、こんなに見事に木刀が使えるようになるなんて思わなかったから』

『それよりもあのクマどうするのよ。あれはあなたのご両親が、翔が生まれた時に誕生祝に贈ってくれた、高額一品物よ。あんな姿にして、ご両親が日本へ来た時あれ見つけて、なんて言い訳するのよ』

『え? 俺の両親? いや、この程度には慣れてると思うが? 俺もよく物は破壊したし』

『黙んなさいよ。そんなこと言って、いざ、ご両親から責められると、あなたはいつも『聞きたくない面倒臭い』って全部私に押しつけるんだから!』

『いや、そんなことないって。今回は俺、ちゃんと応対するよ』

『ふざけんな。一ミリも信用できない。今度私に押しつけて逃げ出してみなさい。あなたが家にいない間に、ニコラスを売り飛ばしてやる』

『そ、それだけは!』

 

 両親はそんな会話をしながら、俺の部屋から出て行った。

 アホな大人達だ。会話を聞いているこっちまで頭が悪くなりそうだ。

 夕暮れの部屋に一人取り残された、この惨状に興味のない俺は、お腹が空いたな早く晩ご飯が食べたいな、とだけ思った。

 そしてこの日から俺と父親の、俺に刀類を持ち出させないための戦いの日々が始まった。


 



 数十秒後、父親は掃除機を持って俺の部屋に戻って来た。やはり母親には逆らえなかったのだ。


『家政婦やベビーシッターがいなくてよかったよ。この惨状を、上手く説明できないだろう』


 父親は、壊れた床の細かい木片と、ぬいぐるみから出たあとも床の上をフワフワと舞っているパンヤを、しゃがんで探しながら掃除機で吸う。憐れなクマ本体は無造作にゴミ袋に押し込まれた。父親のことだから、祖父母に見つかり面倒なことになる前に捨てるのだ。


『翔、お母さんに叱られたか?』

 

 父親はゴミ袋の両端をきつく結びながら言う。


『うん』

 

 ゴミ袋をきつく結んではいるが、クマの右手だけは袋の結び目のわきから飛び出していた。そしてそれを気に留める様子はない。大雑把な男だ。

 やがて母親がやって来た。無表情で俺と父親を見ている。母親は開けっ放しになっている部屋のドアから、絞られた形の雑巾を投げ込んだ。更に部屋の入口に水入りのバケツがドンと置かれる。あの雑巾で、木のかすで粉っぽくなった床を拭けということか。俺は絞られた雑巾を拾い上げると父親に突きつける。


『二度とやるなよ』


 父親はそう言って雑巾を受け取った。


『うん』


 俺は素直にそう答えるしかなかった。なぜなら俺はいつも父親からこう言われていたから。


『楓子さんは常に正しい。口答えするな』


 楓子さんとは当然、俺の母親だ。父親から見れば奥さん。そして楓子さんは、俺や父親のせいでストレスフルな生活を強いられている、一般的な日本人なのだ。



 


 一階で玄関ドアの開く音がし、女性二人が話をする声が聞こえてきた。家政婦の村上さんが夕食の支度をしに家に現れたのだ。


『うわ、今日は村上さんが夕方から来る日だったんだ。忘れてた。どうしよう』


 拭き掃除を始めた父親は、手を止めて頭を抱えた。村上さんは明るい性格の、アラフィフの小柄なおばさんだ。

 階段を『トトン、トトン』のような変なリズムを取りながら、軽快に登って来る足音が聞こえた。この頭の中が空っぽそうな足音、村上さんだ。村上さんが二階に来たのだ。


『あら、まぁまぁ』


 母親は何と説明したのか、村上さんが俺の部屋へとやって来ての、第一声がそれだった。


『お坊ちゃまがお漏らしですか? ご主人様、私が掃除を代わりましょう』


 村上さんはそう言ってから、部屋の入口に置いてあるバケツを持って、父親の真横へとやって来た。母親は、父親が俺のお漏らしを片付けていると説明したのだろうか。そしてこの女はそれを信じているのだろうか。

 この女の頭は大丈夫か? その時、俺はそう思った。この部屋の惨状を見て、他に何も思わないのか。なぜ、俺のお漏らしだなどと納得できるのか。なぜ、ゴミ袋からはみ出たぬいぐるみの足や、割られた床板や、掃除機について聞くことがないのか。


『お漏らしなんてしない』


 俺はそう言った。お漏らしなんてするわけないだろうが。俺はそんじょそこらのボーっとした三歳児とはわけが違うのだ。トーチの力を使える痣を持つ特別な人間なのだ。


『はいはい』


 村上さんはそう返事をした。俺の言葉を信じていないのだろう、ムカついた。


『翔のお漏らしじゃないよ。俺がドジして水こぼして、それで滑って転んで、あちこち壊しちゃったんだ。それを片付けているんだよ』


 父親はそう説明した。


『そういうことにしておきましょう』


 村上さんがさらりと言った。あくまで、俺のお漏らしにしたいらしい村上。イラっとした。こいつの頭をクマのぬいぐるみのように、木刀でかち割ってやりたくなる。

 結局、母親が怖い父親は自分でやるからと言って、村上さんを一階へ戻らせた。


 



 片付けを終えた父親が母親に、『お前、村上さんに翔がお漏らしをしたと言ったのか?』と聞いた。


『はぁ? そんなこと言うはずないでしょ! ニックが刀振り回して、子供部屋を壊したと言ったわよ! 全部あなたが悪いんだから、あなたが異常者として見られるのが当然よ!』


 母親の説明も酷いが母親の言うことが正しいなら。警察が呼ばれそうな非常識な説明に動じずに、更に俺のお漏らしなんてぶっ飛んだ飛躍のできる、あの村上という女の思考回路はイカれている。そのイカれた言動が俺をイラつかせる。

 あの女、もうこの家に来るな。早く次の仕事を見つけて、この家の仕事を辞めればいいのに。



読んでくださってありがとうございました。

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