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20.笹本登場

 静かな時間が続く中、笹本が現れた。笹本は雨宮と田端を見て目を丸くしている。


「なんでお前らがいるんだ?」


 ソファで寛ぐ二人を見て笹本はそう言った。笹本はリクの家に雨宮と田端がいるとは知らなかったのだ。


「広瀬に頼み事。でも断られた」


 と雨宮。


「俺は勉強会の差し入れ持って来た。冷凍室にアイスがあるから、休憩時に食ってくれ」


 と田端。


「そ、そうか。ありがとう田端」


 笹本はそう礼を言ったが、礼を述べている表情がどこか強張っていて、何か言いたげだ。笹本も、この炎天下に差し入れを持ってくる田端を不審に思っているのかもしれない。


「で、雨宮の頼み事って何だったんだ? 何を頼もうとして断られたんだ?」


 笹本は雨宮の方を向いて尋ねた。


「宿題の論文の代筆を、広瀬に頼もうと思って」

「論文? そんなもん雨宮なら自力でパパッと書けるだろう? 頭いいんだから」

「常識と非常識の判断基準が、俺は普通の人とずれているらしくて。指導が必要だろ? 常識ある賢い奴の!」


 雨宮は広瀬を冷めた視線で見る。『奴』が自分であるからか雨宮に顔を向けた広瀬の視線が、雨宮の視線とぶつかった。しかし広瀬の表情は変わらない。雨宮の視線を気にかける様子はない。当然ではあるが。


「それを広瀬は断ったのか?」


 笹本は広瀬を見て尋ねる。


「あんな人を不快にさせるイカれた資料を、論文にする気はない!」


 広瀬は仏頂面になると、タブレットに視線を戻して言った。


「不快? 資料?」


 笹本は雨宮を見る。


「読むか?」


 雨宮は鞄の肩掛けベルトを掴むと、鞄を自分の頭の高さにまで持ち上げて、鞄の中に入っていると笹本に教えるようにして、笹本に尋ねた。田端が読み終わったあと、雨宮は再び鞄にしまったらしい。


「笹本、相手にするな。時間が勿体ない。ここには勉強をしに来たんだろう」


 広瀬が怒りを含んだ声で言った。


「あ、う、うん」


 笹本は雨宮の方を見ながらも、リクの隣の席に座った。『不快にさせるイカれた資料』を『読むか?』と言われて、笹本もその資料が気になったのだろう。リクも雨宮に資料の紙の束を見せられて、気になって勉強を中断してまでして読んでしまった。


「笹本は来た、だから二人とも帰れ」


 広瀬は冷たい声で言った。


「え~? それはちょっと笹本がかわいそうじゃないか?」


 雨宮はそう言った。


「桜井と広瀬は読んだだろう? 田端も今さっき読んだ。で、笹本だけ読んでいない」


 雨宮はそう言って再び鞄を持ち上げた。


「不公平だよな。皆友達なのに、笹本だけ知らないって。興味あるだろ? 笹本も。この中の紙の束」


 そう言われてみればそうである。笹本は首を左右に動かし、ソファにいる雨宮と斜め前に座る広瀬を交互に見る。それから下を向くと、「うん」と小声で言った。笹本は上目遣いで申し訳なさそうに、広瀬をチラチラと見る。


「不快でイカれた内容って言われると、人間かえってどんな内容か気になるものさ。どうせ一定時間毎に休憩で、糖分補給のおやつタイムになるだろ? その時に笹本は田端が持ってきたアイス食べながら、これ読めばいいさ。さっきも言った通り、この資料はこれ一つしかないから、ここで笹本に預けて帰るわけにはいかないんだ。静かに過ごすから、それまでここにいていいだろ?」


 雨宮はそう言った。これでまた雨宮には帰らない理由ができた。広瀬は溜息をついた。

 雨宮と田端が来てからの勉強の進み具合が遅れている。エドからの家庭教師の依頼を承諾した広瀬は、使命感を持って取り組んでくれている。毎日の課題を、時間配分まできっちり決めて指導してくれている。今これでは今日中に課題が終わらないかもしれない。これから始める笹本にも、二人がいるせいでの影響が出るかもしれない。リクは広瀬に申し訳ないと、こうなってしまった責任を感じていた。

 インターホンが鳴ったあの時、もう少し用心して雨宮に対応していれば。心を鬼にして、居留守を使うか鍵を開けずに追い返していれば。


「じゃあ、田端は帰れ。用事は済んだだろう?」


 広瀬は、今度は田端を見て言った。


「え~、俺、笹本の感想聞きたいな」


 田端はそんなことを言い出した。


「おい、いい加減にしろ。二人ともさっきから帰ろうとせず、何を企んでいる?」


 広瀬がとうとうそうはっきりと聞いた時、一階でドアが開く音がし、階段を上ってくる足音がした。リクはエドが起きてきたのだろうと思った。二階の会話や玄関の人の出入りがうるさくて、寝ていられないのだろうか。リクはエドに申し訳ないと思った。


「なん人もの人の声がすると思ったら、二階に五人もいたのか」


 チャンスを持ってリビングに入って来たエドは、リビングを見渡してそう言った。少し驚いた顔をしている。雨宮と田端と笹本は「こんにちは」とか「お邪魔してます」とかエドに挨拶をした。エドも挨拶を返す。


「お父さん、起こしちゃった? うるさかった?」

「いや、よく眠れたよ。もうそろそろ起きないと、夜に寝れなくなるから起きてきたんだ」


 エドはチャンスを食卓の上に置き、キッチンへ入って行った。冷蔵庫を開け五百ミリリットルのミネラルウォーターを一本取り出す。蓋を開けて一気に半分ほど飲んだ。エドはタンクトップに短パン・裸足姿。できうる目一杯の薄着だ。


「受け取ったわ。ありがとな、チャンス」


 突然、雨宮が言った。


「いえいえ、またいつでもどうぞ」


 チャンスはそう返答した。リクはもしかしてと思った。雨宮がチャンスに礼を言う仕事とは、島村・白鳥・橋本の住所を調べ、雨宮に教えるという仕事ではないのか。


「お礼はあとでちゃんとするから」

「わかりました。期待してますよ」


 雨宮とチャンスはそんな会話もした。リクは、雨宮がチャンスから三人の住所を聞き出すために、チャンスを何らかのお礼で釣ったのだと思った。チャンスが欲しい物、チャンスの利益になること、そんな話をチラつかせてチャンスと取り引きしたのだと。

 ただそれがどの時点でなのかはわからない。雨宮が先程からずっとスマホを弄っているあれが、チャンスとのやり取りだったのか。それとも広瀬の言う通りここに来る前にすでに、チャンスから住所を手に入れていたのか。

 しかし頭のいい雨宮のここへ来てからの一連の言動から考えると、広瀬の予想が当たっていると思う。


「私の仕事も終わりました。勉強の方のお手伝いをしましょうか?」


 チャンスがそう申し出てくれた。


「そうか。それはありがたい」


 広瀬はそう答えた。エドが来る直前に雨宮と田端に追及していたことについて、広瀬はそれ以上突っ込まない。家主のエドが現れたので遠慮しているのかもしれない。

 広瀬はチャンスと笹本に勉強内容の指示を出す。エドは飲んでいたペットボトルを再び冷蔵庫に入れると、一階への階段の方へ向かった。


「充電してたスマホを寝室に置きっぱなしだった。取ってくる」


 リビングを出たエドが階段を下りていく足音が聞こえる。


「それで、何を企んでいるんだ」


 広瀬が再び二人の方を向いて言った。



読んでくださってありがとうございました。

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