16.雨宮の不可解な行動
リクはすぐにチャンスに連絡しなければいけないと思った。雨宮に頼まれても三人の住所を教えては駄目だと。リクは運よく食卓のそばにいる。目の前にある、食卓上の数学の問題集の横に置いてあるスマホに手を伸ばす。スマホでチャンスに連絡を――。
「桜井、何しようとしてるかバレバレ。ウケる」
雨宮に言われてリクは、スマホに伸ばしていた手を引っ込めた。同時に急いで雨宮を見ると、雨宮は背凭れに片腕を乗せた偉そうな体勢で、ニヤニヤしながらリクを見ている。リクのやりそうなことなど雨宮にはバレている。
「話が終わったならとっとと帰れ。俺達は受験勉強に戻る。暇人のお前は邪魔だ」
数回深く呼吸をして、それで落ち着いたらしい広瀬が言った。広瀬は屈んで足元のペットボトルを拾い上げると立ち上がり、雨宮に背を向けるとリクのいる食卓のそばにやって来た。しかし雨宮は、相変わらず背凭れに片腕を乗せて寄りかかり顔だけリク達の方に向け、立ち上がろうとしない。帰る気はないのだろうか。
だが雨宮は突然、背凭れから体を離して顔をローテーブルの方へ向けると、飲みかけの二つ目のコップを手に取った。氷が大分とけて麦茶が薄まっている。しかし雨宮はそれを口元へ持っていき、グイッと傾け一気に全部飲むと振り返り、そのコップをリク達の方に突き出した。
「お代わりをくれ。それ飲んだら帰るから」
なんだそれ。
そう思ったリクは呆れて一つも言葉が出なかった。不可解。全くもって不可解。頭がおかしくなりそうだ。
先程、雨宮は一つ目のコップを飲み終えたあと、当たり前のように二つ目のコップを手に取って麦茶を飲んだ。今、雨宮の目の前には三つ目のコップがある。三つ目のコップはまだ誰も手をつけていないので、フルに麦茶が入っている。なぜそれを飲まないのか。
なぜ二つ目のコップでお代わりを要求する? 雨宮の頭の中では、あの三つのコップの所有者の位置づけはどうなっているのか。一つ目、二つ目のコップは雨宮の? 三つ目のコップは誰の?
「そこに誰も飲んでいないコップがもう一つあるだろう。それを飲んで帰ればいい」
リクが混乱している間に、広瀬がそう告げてくれた。雨宮はかったるそうに首を動かすと、三つ目のコップを見る。
「ああ、これか。じゃあ、遠慮なく」
あれだけ堂々とコップ二杯の麦茶を飲み干したのに、三杯目に関してだけは遠慮なくだと? リクには雨宮の頭の中が理解不能だ。
雨宮は持っていた二つ目のコップを一つ目のコップの横に置くと、三つ目のコップを手に取った。そして一口だけ飲むと、二つ目のコップの横に置いた。そしてソファ上の、雨宮の隣に置いた鞄の蓋を開けると、雨宮は膝の上に置いていた紙の束を太腿の上でざっと整えてから、鞄の中に入れた。次に今までどこに置かれていたのかリクからは見えなかったが――多分ソファの上のどこかと思われる――お金の入った封筒の束を手にして鞄に入れる。それから鞄の中からスマホを取り出し画面を見始めた。一通り見終わったのか、今度は猛スピードで指が動き、何か打ち込んでいる。
リクはチャンスに連絡しているのだと思った。これから向かうつもりの、島村と白鳥と橋本の住所を聞き出そうとしているのだと思った。リクは再び自分のスマホに手を伸ばす。
「桜井、もう遅い。やめておけ」
リクは広瀬に言われた。一旦は掴んだスマホを再び食卓の上に戻す。
「ここに来て、俺が代筆を断るのはすでに奴の想定内。奴がチャンスに連絡を入れているとしたら、ここに来る前だ」
「え?」
「俺が奴だったらそうする」
リクは雨宮を見る。リクの方へ後頭部を向けて少し前屈みになり、何か一心にスマホに打ち込んでいる。雨宮の座る位置なら広瀬とリクの会話の声は聞こえているはずだが、雨宮は振り向きもしない。あんなにも集中してみえる姿から、リクには雨宮がチャンスに連絡しているのだと思えてしまう。しかし広瀬の言う通りなら、雨宮が今やっている作業はチャンスとは無関係ということになる。
でもリクは心配で仕様がない。一応今からでもチャンスに連絡すべきでは。
「さっさと飲んで帰れ!」
広瀬が怒鳴った。雨宮はスマホを打つ手を止めて、顔を少しだけ広瀬に向ける。
「二人は俺の存在など気にせずに、勉強に戻ればいいだろう。俺はスマホの用事やり終えて麦茶飲んだら勝手に出て行くよ」
雨宮は顔をスマホ画面に戻した。再び指が動き出す。
「あの異常者は放っておこう。ここがつまらなくなれば帰るだろう」
広瀬はそう言い、食卓の椅子を引いて座った。
「雨宮、頼み事を受けれなかったから、あの西瓜は返すよ。あれは代筆してくれる人の所へ」
西瓜の入った袋の取っ手を握って持ち上げると、リクは雨宮にそう言いかけたが。
「いや、あれはここに土産として持って来たんだからお前らで食べてくれ。次に行く所には新たに土産を買うから」
そう遮られた。
「……安いくらい、十分、面白かったし」
「え?」
今、雨宮が何か追加で言ったように、リクの耳には聞こえた。『安い』とか『面白かった』とか聞こえた気がする。しかし雨宮は相変わらず、熱心にスマホに何かを打ち込んでいる。聞こえたのは雨宮のただの独り言で、大した意味はないのかもしれない。
リクは西瓜の袋を食卓の上に戻すと椅子の一つに座る。勉強の続きを始めようと思った。とその時、インターホンが鳴った。
「え? またお客さん? 誰だ?」
リクは不思議に思って言った。今日の午後は宅配の配達の予定もないし、午後一緒に勉強する約束の笹本が来るには少し早い。
「俺が出るよ」
広瀬が椅子から立ち上がる。
「お、あいつらが来たか?」
雨宮がスマホを見たまま明るい声で言った。雨宮があいつらということは、今日の午後この家に来る人物を、雨宮は知っているということか? 一体誰なのか。そこでリクは気づいた。まさか兵頭達では? 先程からスマホを弄っている雨宮は、彼らを呼んだのだろうか。丁度リクが在宅しているから挨拶できると。
「広瀬! 俺が出る!」
もうインターホンのモニターのそばまで行き、モニターを覗き込もうとしている広瀬にリクは声をかけた。そして急いで椅子を引いて素早く立ち上がると、モニターに駆け寄る。
もし兵頭達だったら、どう応対したらいいのか。
家の中に入ってもらう? いや、それは絶対に駄目だ。会ってはならない。
インターホン越しに雨宮の話の間違いを、丁寧に説明して納得していただきお引き取り願う? でもそれで怒って玄関前で、騒いだりされたらどうしよう。
追い払ってくれと雨宮に頼んでも、雨宮はきっと『お前達は桜井さんに嫌われたんだ』とか兵頭達に言うのだろう。それでは、ここまで雨宮に来させられた彼らが気の毒だ。
どうしたらいいかわからず困っているリクの耳に、雨宮の大きな笑い声が聞こえる。見るとソファの上で雨宮は前のめりになり、苦しそうに腹を抱えて笑っていた。
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