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13.帰れ! 帰れ!

「酷かった、とは?」


 広瀬が感情のない冷たい声で尋ねる。広瀬の隣でトレーを持って立っているリクの方を見ていた雨宮は、怠そうにゆっくりと、自分の後ろに立つ広瀬を再び見上げた。


「それを読んでもらうどころか、家の中に入らせてさえ、もらえなかった」


 そう聞いた瞬間、リクは予感がした。絶対にアリス絡みの禄でもない話が始まると。

 リクはキッチンカウンターのそばまで戻ってカウンター上にトレーを置くと、その位置から雨宮の方を見る。麦茶の入ったコップはリクの分もローテーブルにあるが、あまり雨宮に近づきたくなかった。麦茶はしばらく飲めそうもない。


「うちの学校ってさ、一時間以上かけて、結構遠くから通学している奴もいるだろ?」


 雨宮は突然、学校の話を始めた。リクが聞きたいのは川原邸での話なのだが、学校の話をその前に話す必要があるのだろう。


「アリスの仲いい友達の一人が東京の真反対から通学しててさ、その子の家のそばで今晩、花火大会があるらしい。アリスは同級の友人達と夕方までにその子の家に集まって、皆で一緒に花火大会を見に行って、そのままそのお宅でお泊り会をするらしい」


 アリスの話がでた。やはりアリスが絡んでいるのだ。リクの予感は当たった。


「花火見物には浴衣で行こうって友達皆で約束してて、ポールおじさんは浴衣なんてダメだと反対したんだけど、見物は子供達だけで行くわけではなく、友達のご両親もついて行くので安心だからと言って、華おばさんがアリスの浴衣を用意した」


 リクはアリスの浴衣姿を想像した。きっと花火大会の会場内の女の子の誰よりも、かわいいだろうなと思う。


「俺が川原邸に着いた時、丁度アリスはアリスのお祖母ちゃんに、浴衣の着付けをしてもらっていたところだったらしい。インターホンを押すといきなり玄関が開いて、ポールおじさんと川原が狭い玄関から、ドア枠を壊さんばかりに押し合いへし合い、二人揃って転がるように外へ飛び出して来た。何事かと思ったら、ポールおじさんは今俺が話したことをその場で説明してくれた。それからすぐに、『浴衣姿のアリスをお前に見せるわけにはいかん。帰れ』と玄関前に仁王立ち。川原も立ちはだかって、二人で玄関を塞ぐように並び、『帰れ! 帰れ!』と大合唱。おじさん達は俺にちゃんと訪問理由の話をする時間もくれない。俺は追い払われた」


 雨宮は川原邸に入ることさえ許されなかったのだ。ポールと川原のアリスに対する過保護ぶりは真面ではない。当然だろうなと思う。


「論文の代筆なんて、それなりの頭の持ち主じゃないと頼めないだろ? で、田端バツ、川原バツだから、次は広瀬」


 さも当たり前のように雨宮は言った。


「あ、安心しろ、広瀬。バイト代ははずむぞ」


 雨宮は「Money, Money」と言いながら、鞄の中をゴソゴソ探る。


「お、あった。これこれ。こんなもんでどうだ?」


 と言って太い輪ゴムで留めた封筒の束を取り出した。一番上の封筒には銀行名が見える。一昨年の秋に見たのよりははるかに薄いが、少しよれた封筒の束ね具合がよく似ている。ということはあの各封筒に分けて入れられ束ねられているのは……。


「雨宮! まさかその金は家の金庫から」

「え? この金の出所が、俺の両親の金庫か心配しているのか?」


 焦って言いかけたリクの話を雨宮が遮った。


「それも安心してくれ。これは親の金庫から持ち出した物じゃない」


 雨宮はニッコリ笑った。親の金庫の中の物ではないと言われても、それはそれでリクは安心できない。では一体それはどうやって用意した金なのか。


「借りたんだ。こぶんから」

「借りたんだ。こぶんから?」


 リクは雨宮の言った言葉を棒読みで繰り返した。どうやら借りたものらしい。でもこぶんから? こぶん。頭の中で『こぶん』と何度か繰り返して、リクは、はたと気づいた。


「こぶんって、子分? 雨宮、子分がいるのか?」

「おう。あいつらが勝手に俺を慕ってくれてな」


 雨宮に子分なんて初耳だ。日頃の生活では、校内にそれに該当しそうな生徒がいるようには見えない。川原や田端は知っているのか。日頃の会話で話題に上ったことはないが、でももしそんな生徒がいるのなら、二人はそれが誰だか知っているだろう。


「雨宮。何があったか話せ」


 川原家の話が始まってからずっと黙っていた広瀬が、低い単調な声でそう言った。ただでさえ不穏な、広瀬が雨宮に向けて出している空気が、より一層重く澱む。リクはその空気から感じる緊張感に喉が渇き麦茶を飲みたくなった。しかし川原家で起きたアリスの話の時以上に食卓のそばから動きたくなくなったので、ローテーブル上の麦茶を飲むのを再び諦めた。


「なんで広瀬、怖い声でおっかない顔してんの?」


 雨宮が広瀬を見上げて、不思議だと言わんばかりにそう言った。リクから見えるのは広瀬の後頭部だが、雨宮からは広瀬の顔が見える。雨宮の言う通りなら、広瀬はあの空気が示す通りの表情をしているのだ。そしてあの様子から雨宮は、それを間近で見ても屁とも感じていないし、広瀬の内心も気にしていない。


「そんなに睨まなくても、聞きたけりゃ話すよ。あれは一年前くらいかな。どーでもいいことなんで、あんまりよく覚えてないんだけど」


 雨宮は数秒だけ天井を見る。それから視線を広瀬に戻した。


「部活終わって駅に向かって歩いていた時のことだ。駅前で突然、腕掴まれて路地に引きずり込まれて、沿線のDQN底辺高校の制服着た三人連れの野郎達に絡まれた。『金、出しな』って言うから、財布の中の十万円渡した」

「ちょっと待った、雨宮! 」


 リクは素通りできなかった。


「十万円って、雨宮はいつもそんな大金、持ち歩いているのか?」


 十万円って、リクの常識では高校生の財布の中に普通に入っている額ではない。


「ああ、母親がいつも入れるんだ。『もしもの際にはこれくらい、現金が入っていないと困るでしょ』って言って」

「もしもの際って、俺ら高校生にそんな大金が必要な、どんなもしもの際があるんだよ」

「知らねーよ。あ、でもあの時は役に立ちはしたよな。十万渡したら、あいつらいなくなったから」



読んでくださってありがとうございました。

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