12.バイトはご友人達に
「また何か世の中に迷惑な、イカれた計画でも立てたのか?」
広瀬はそうも尋ねたが雨宮は何も言わない。リクは広瀬がこの紙の束を不審に思い、読まずに雨宮に突き返すかと思った。しかし広瀬は麦茶のペットボトルを足元の床に置いて、紙の束の捲りやすい位置に、持つ左手を移動させると、立ったまま右手で表紙を捲って資料を読み始めた。広瀬もリク同様に興味だけはあるのかもしれない。
広瀬もリクよりも情報処理能力が高い。広瀬にとっては母国語で書かれている資料のせいか、以前ヒスイからの手紙を読んだ時のキースよりも、はるかに読むのが速かった。
紙はリクには考えられないスピードでどんどん捲られていく。読み始めから険しかった広瀬の顔は、ページが進むにつれ顔の中央に皺がより、嫌悪の表情がありありと追加されていった。
優秀な広瀬はあっという間に全ページを読み終え、紙の束の一番上は『資料』と書かれた表紙に戻った。広瀬は視線を雨宮に移す。ソファに座ったままニヤニヤ笑って広瀬を見上げる雨宮を、広瀬は立ったまま睨み下ろす。
「やっぱり用事は俺にではなく桜井にだろう。頭のおかしい奴が書いたこの紙の束を、桜井に炭にしてしてもらうために、ここに来たんだろう? あ、それともエドおじさんか? 当主直々に、灰にしてもらいたいのか?」
広瀬にそう言われると、雨宮は笑うのをやめた。
「炭? 灰? それに火を点けるのか? 折角書いたのに、なぜ燃やす? ヤバイ話なんでパソコンや外付けハードやメモリに保存してないんだ。燃やさないでくれ」
そう言う雨宮はきょとんとした表情をしている。リクは、それなら紙だって十分ヤバイだろうと思う。こんな風に持ち歩いていて落としたりしたら、他人の目に触れてしまう。知られてはまずい内容を見られてしまう。
ただ、よく考えてみればこんな異常な内容、拾って読んだ人は狂人が書いた物とでも思うだろう。ただしその人が、トーチと関係ない一般人であれば、の話だが。リクがそこまで考えた時。
「このくだらん話に、燃やす以外の何をする必要がある?」
雨宮に一歩近づいた広瀬は紙の束を右手に持ち直すとそう言って、ソファの背凭れの雨宮の顔の真横部分を数回ベシベシと叩いた。バサバサと音がして風が起き、その風に煽られた雨宮のサラサラした前髪が、天井に向かって持ち上がっては額の前に戻ってくるという動きを、叩いた回数だけ繰り返す。
「それにそれは燃やされては困る。夏休みの宿題の大事な資料なんだから」
広瀬と雨宮の間の嫌な空気に耐えられそうもないリクは、二人のそばから離れ再びキッチンに戻った。そうだ、麦茶でも用意しよう、と考えた。コップを取り出すために食器棚を開け、忙しそうなふりをした。それでも二人の会話だけは聞きたいと、耳を欹てていた。
「宿題の資料って……あの論文のか?」
広瀬は頭がいい。すぐになんの資料か言い当てた。
「そうだ。それでな」
それからあとは、先程リクが聞いたのと同じ話を広瀬も聞かされた。リクはその間も食器棚からコップを取り出したり、それをトレーに並べたり、コップに製氷室から取り出した角氷を入れたりと、二人の方を見ずにキッチン内で動き回っていた。とにかく、何か動いていたい。手や足を止めたくない。
でもやはりどうしても気になって、一通り説明を終えた雨宮の方を上目遣いでチラリと見た。見えたのは相変わらずきょとんとした雨宮の顔と、後姿の広瀬。雨宮を見下ろす広瀬の表情はリクからは見えない。広瀬はただ棒立ちで、そして何も言わない。リクは無言のその背中がなんだか怖い。怒りというか負というか、何か話しかけてはいけない、エアコンの風以上にひんやりとしたオーラを、その背中は感じさせた。
「なぜ俺の所に来た? 俺よりも仲のいい、ご親戚のご友人達には頼んでないのか?」
雨宮の説明後、数十秒の沈黙のあと、やっと広瀬が口を開いた。
「ご親戚のご友人達って田端と川原か? い~や、いやいや、ここ来る前に、まずは真っ先に田端に連絡した」
雨宮は田端へ頼みはしたのだ。田端はどんな反応をしたのだろうか。リクは冷蔵庫からペットボトルの麦茶を取り出した。蓋を開けた麦茶をコップに注ぎながら、でも耳だけは二人の会話に集中させていた。
「断られたのか?」
広瀬が冷めた声で聞いた。
「う~ん、結局はそうなんだろうけど、あ、でもちょっと違うかな」
会話を聞きながら、リクは注ぎ終わった麦茶のペットボトルを静かに冷蔵庫にしまう。
「田端から電話でこう直接返事がきた。『お前ら理系ってそんな宿題でてんの? でもさ、雨宮ならさ、そんな宿題無視しても卒業できると思うぞ。成績優秀者だから。そんな時間の無駄なもん、提出すんのやめちまえ。俺さ、十月頃から学校行くのやめようと思って。卒業に出席日数足りてると確認できた時点でもう行かねえわ。通学ってたるいだろ? お前もそのくらい適当に生きろ。じゃあな』、それで電話が切れた」
唖然。そう唖然だ。リクは雨宮と広瀬に運ぼうとしていた、コップをのせたトレーを持ち上げようとした手が止まった。急に全身の筋肉が疲れを感じて、腕から力が抜けたのだ。
「本当に田端は学校に行かない気なのか?」
リクは焦って聞く。雨宮は目だけ動かしチラリとリクを見てから、また視線を広瀬に戻した。
「無理だと思うぞ。ちゃんと朝早く起きて学校に登校せず、家でフラフラしてるなんてそんないい加減な生活を、あの真面目なジョージおじさんが絶対許すはずない。田端は口だけで終わりさ。親が許さなきゃ、学校サボるなんて強行できないからな。それとも親を説得する作戦でも考えてんのかな。『自宅学習で受験勉強に身を入れます』とか。でも田端じゃ信用されそうもねえな。ま、どうでもいいけど」
雨宮はそう言ってから、「ハハハ」と軽く笑った。
「んで、次は川原だ。田端同様に電話で断られると悲しいから、直接、川原邸を訪問した」
雨宮は、田端の次は順当に川原を選んだ。しかも断られると踏んで突撃訪問までした。しかしここへ来ているということは、川原にも断られたのだろう。リクは気を取り直してトレーを運んだ。ローテーブルの上に一応三人分の、麦茶の入ったコップ三つを置く。
「お、ありがと」
雨宮は礼を言うとコップの一つを取り、麦茶を一口飲んで、またローテーブルの上に戻した。リクはチラリと広瀬を見る。雨宮を見る広瀬の顔は、恐ろしさを感じるほどの仏頂面だ。
「川原家は酷かった」
雨宮は川原について、そう話し出した。ただ断られたわけではなさそうだ。川原家で何かあったのだ。
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