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11.代筆のバイト依頼

 『資料』を全部読み終えたリクは疲れていた。何も考えたくない。心底、疲れた。リクもエドのように昼寝をしたくなってきた。

 高三のリクは、本当は勉強に身を入れねばならないのに。広瀬から課された課題を早くやらねばならないのに。寝ている場合ではないのに。

 雨宮から紙の束を突きつけられた時、受け取らなきゃよかった。受け取っても好奇心に負けなきゃよかった。雨宮が書いたものの内容の非常識さなど予想できるではないか。自分は馬鹿だ。読まなきゃよかったのだ。いや、そもそもその前に、インターホンのモニター越しに雨宮を見た段階で、家に入れるべきではなかったのだ。でももう後の祭りだ。


「読み終わったよ」


 リクは溜息をついてから言った。溜息でもつかなければ声を出す気にもなれない。


「お、で、どうだ?」


 雨宮が何かを期待するように目を輝かせる。


「どうだって……雨宮こそこうして書き出してみて、自分でどう思ったんだよ」


 リクは紙の束を雨宮に差し出した。雨宮はリクの返事がつまらなかったのか、がっかりした顔でその束を受け取った。そしてすぐに無造作にローテーブルの上に投げ置く。バサッと音がして空気の流れが起こり、その風がリクの顔にフワリと当たった。


「で、この読み物は一体なんなんだ? なんのために書いたんだ?」

 

 書かれているのは雨宮の人生での体験談である。しかも雨宮は何を考えているのか、書かれていることの一部は、一般の人には絶対に見せられない内容だ。しかも堂々と不法侵入って書くって……それって犯罪じゃないか?


「は? なんのため? そんなの決まってんだろう。夏休みの宿題用だ」


 雨宮はなぜわからないと言わんばかりに、不思議そうな表情でリクの顔を見詰めた。


「宿題?」

「論文の宿題だよ」

「論文って……え、あれの?」


 高三は理系も文系も、大した夏休みの宿題は出されていない。誰しも受験勉強に身を入れるのがこの夏休みの課題だし、生徒達は志望校合格への計画を立てて自主的に勉強しているはずと、学校から信用されていた。そのためか理系の現国の宿題は論文のみであった。


 論文はいくつかテーマが指定されていて、その中から自分でテーマを選ばねばならなかったが、テーマに沿ったものなら何を書いてもよかった。論文とはいえ課された文章量も少なく、原稿用紙二枚半分以上という条件だけクリアできていればいいのだ。

 そしてそのテーマというのが、『志望校を目指す理由』とか『私の趣味』とか『私の家族』とか、目の前に迫りつつある大学受験への意気込みだったり勉強の合間の息抜きで書ける内容だったりと、受験生の負担にならないようなテーマばかりだった。


「大学受験なんて俺はなんも考えてないから、趣味か家族をテーマで書こうと思ったんだけど、俺の趣味は刀だし、家族や身内は正直に書いたらこんなだし」


 雨宮はそこで、右手人差し指でローテーブルの上に放り出されている紙の束を指差した。リクは雨宮がプリントしてきた一連の話を思い出した。精神が疲弊させられる酷い話だった。


「色々と、自分自身や身内達の逸話を思い出して書いてみたんだが……どうも身内のあいつら性格異常者ばかりだ」


 雨宮がさらりと口にした『性格異常者』という表現に、さすがのリクもお前が言うかと思った。


「エッチな部分は省いて、書いちゃいけない話を削って、その上で要領よくすっきりと纏めることができない。それでだ」


 雨宮は紙の束を右手で掴んだ。そしてローテーブルの上から少し持ち上げてから傾けて、表紙をリクの方に向ける。


「広瀬に代筆のバイト、頼もうかと思って」

「はぁあああ?」


 雨宮のおかしな話にリクは素っ頓狂な声を上げた。どうしてバイトの依頼をするのに、日頃から仲の悪い広瀬を指名するのか。広瀬にお願いしようという結論を導いた彼の思考回路も、リクにはこれっぽっちも理解できない。

 それに広瀬は断るだろう。絶対に断るだろう。リクは眩暈がした。やはり雨宮を家に入れるべきではなかった。





「桜井は何を書くんだ?」


 突然雨宮はリクについて尋ねてきた。リクはこれ以上雨宮と話をしたくなくなっていた。でも話題が変わったので、疲れた心の中を切り替えるために、雨宮の話に少しだけつき合うのもいいかもしれないなんて思ってしまい、答えることにした。


「家族のテーマで、お父さんについて書こうと思っているんだ。でも俺の方も書いちゃまずいことがありそうだから、書き終えたらお父さんに内容をチェックしてもらおうと思って」


 そう言った。


「無難な線を選んだな。『離れて暮らしていたお父さんとの初めての生活』、なんていいネタになるし、エドおじさんなら日本語の指導はできなくても、内容の可否は判断できるし」


 玄関ドアが開き、誰かが階段を上って二階にやって来る足音がした。広瀬が帰って来たのだろう。予想通り数秒後にリビングに現れたのは広瀬だった。


「買い物ありがとう」


 リクはソファから立ち上がって広瀬の元へ行くと、素早く買い物袋を受け取った。中身はシャー芯とスポーツドリンク二本とカップゼリー一個と、カップに入った氷イチゴのアイス二個だった。リクはスポーツドリンクとゼリーと氷イチゴを冷蔵庫内にしまう。


「よぉ、お邪魔してます」


 ソファに座ったままの雨宮が、食卓のそばに立つ広瀬の方に首だけ回して言った。


「お前のらしきスニーカーが玄関にあると思ったら、やっぱりお前か。存在しているだけで不吉なお前が、勉強中の桜井になんの用だ」


 広瀬はぶっきらぼうに言うと、手に持っていた五百ミリリットルのペットボトルの麦茶の蓋を開けて、それをゴクゴク飲み始めた。飲みながら横目で雨宮を睨む。対して雨宮は『不吉』と言われたことを気にする言葉を返すこともなく、極普通の笑顔になる。広瀬に対して雨宮が、なんの含みもない普通の笑顔を向けるのは異様な光景で、リクから見るとその顔は不気味であった。


「用事があるのは桜井じゃない。お前だ。お前に頼みがある」

「はぁ? お前が俺に頼み?」


 広瀬は少し驚いた表情で、そんな返事をした。


「暑さで頭がおかしくなったのか? いや、元からかなりおかしいが」

「まぁ、これを読んでみてくれ」


 広瀬の、当たっているがあんまりな言い方には触れず、雨宮はローテーブルの上のあの紙の束を取り上げると、それを掴んでいる右手をソファの背凭れ越しに広瀬に向けて伸ばした。広瀬は雨宮に歩み寄ると、それを受け取る。


「資料?」


 広瀬は表紙の表題を口にした。



読んでくださってありがとうございました。

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