白雪姫と不確定性生命原理(ナックルボール)
「死ねや、白雪姫ェェェエエエエエエ!」
魔女が構えて大きく足をけり上げる。
星飛雄馬も驚く、世界を股にかけそうなI字バランス。
そのまま大きく振りかぶった魔女は、剛腕の左を鞭のようにしならせて毒リンゴを放つ。
魔女お得意のジャイロボールではない。
大きくブレながら飛んでいくそれは―――ナックルボール。
前回の撃ち返された雪辱。
それを果たすため、魔女は新たな技を磨き上げていたのであった。
無軌道を描いた毒リンゴは白雪姫の眉間に吸い込まれる。
乱数的故、彼女は避けられない。
眉間にぶつかり、砕けたリンゴの毒果汁が白雪姫の目に。
粘膜からの毒物摂取。
―――そして彼女は仮死状態となった。
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目覚めると、全てがあった。
前後左右は色とりどりの雷鳴のようなものが迸っていて、しかし音は無い。
浮いているようで、落ちているようでもある。
分からないようでいて、分かっていたようでもある。
「ここは…」
呟く彼女の脳裏に、情報が入ってくる。
白雪姫は所謂普通のお姫様だ。
他の国の王子や貴族との政略結婚に備えて、政治的知識を勉強し、一般教養を身に着け、魅力的な女性になるために日々努力する。
だから、こんな場所のことは全く見たこともないし、聞いたこともない。
しかし、『今分かった』。
どうやら、これがこの場所の性質。
「ここは―――阿頼耶識」
人間の無意識、その更に深い場所は全ての人間の無意識が一つとなっている。
そこには、より人間の原初の形、世界の基本原理に近いルールが渦巻いているという。
世界の根本を成す原理ゆえ、この場所で変化があると、我々が認識し、生きている『表層』にも事象という形で現れる。
それがここ、阿頼耶識。
そして、世界の根本という性質から、そこには全てがあり、たどり着いたものは世界のそのものを知ることが可能となる。
「こんにちは。初めてのお客さんだね」
白雪姫が振り向くと、そこには何かがいた。
人のような何かだと分かるが、意識してその何かを明朗にしようとすると、意識自体が『逸らされる』。
それは異様。
全てがあり、望めば全能を得られる根源。
しかし、彼に対しては何も得られない。
白雪姫は、問い、という当たり前の行動をすることになった。
「貴方は?」
「ボクに名前はない。あえて言うなら、守護者、とでも呼んでくれ。君が今理解したであろう阿頼耶識を管轄する、いわば人類の端末だ」
「分かりました。私は白雪姫、と申しますわ」
スカートの端をつまみ、広げて一礼する。
見惚れるような動作だった。
「本当に珍しい、今後あるかないかのケースだ。人間の意識がその形を保ったままこの場所に来ることは不可能だ。この場所は、キミたち人間が生まれる前に居た場所、そして還ってくる場所。魂というものの材料が存在する混沌の渦だからね。恐らくは、仮死状態という人間の在り方としては本来あり得ない状態の形が、第一回路の動きを誤認させ、キミの意識を阿頼耶識へと導いた。一体、どうやったんだい?」
「私にもよくわかりません。毒リンゴを目から摂取したからでしょうか……」
「毒リンゴ…?」
「ところで、アレは何でしょうか?」
「ああ、アレかい」
白雪姫が指さした先には、砂時計があった。
上に残っている砂は余り無いように見える。
「…ん?阿頼耶識に接続しているのだから知識を得ればいいだろうに、何故そうしないんだい?」
「知る楽しさがなくなってしまうでしょう?私は人生おける一番大事なことは楽しいかどうかだと思ってますのよ」
「なるほど、ならしょうがないか」
納得したらしい守護者が説明する。
「あれは世界の余命だ。中の砂は資源を表し、人類によって資源が消費されると砂が下に落ちる。全てのものは有限だからね。その管理を、人類の意識は砂時計という形で管理することを決めたんだ」
「上の砂は大分減っていますが……つまり、世界の余命は残り少ない?」
「その通りだ」
「不味いじゃないですか!どうすればいいのでしょう?あの砂時計をひっくり返せば良いのですか?」
「いい考えだね。ここでの変更は世界のルールの変更。砂時計をひっくり返せば、消費された資源は循環という形で世界に戻る。ただ、やり方は違うな」
守護者が砂時計の少し横を指し示す。
そこには宙に浮かび、こちらに頭を向けているボタンがあった。
ボタンの上には看板が浮かび、「上下反転」と書いてある。
「阿頼耶識もシステム化が進んでいてね。アレを押せば、砂時計はひっくり返る」
「じゃあ私がボタンを……」
白雪姫は砂時計をひっくり返そうとボタンへ近づく。
しかし―――近づけない。
「どうして近づけないんですの?」
「あれは君たちがたどり着く未来の結末そのものだ。今を生きる存在でしかない君にはたどり着くことはできない」
「じゃあどうすれば?」
「未来を辿るんだ。意思は人間が未来へと紡いでいく唯一のものだ。それを形にし、ボタンにぶつけて砂時計をひっくり返す」
「こうですか?」
白雪姫の手に白いボールが現れる。
淡く光る、野球ボール。
「中々飲み込みが早いじゃないか。人間の長に連なるものだけあるな。さあ、それを思いっきりぶつけるんだ。大丈夫、ボタンは壊れないから」
「わかりましたわ」
白雪姫が振りかぶる。
魔女との試合ではいつも打つ側だったが、投げ方は何度も観たから覚えている。
白球が指から放たれる。
愚直なストレート。威力は十分。しかし。
「球がボタンに吸収されましたわ!?」
「なるほど、意思は人間の歩む道。結末にたどり着く未来の道。それが描く軌跡がストレートだと、未来は確定してしまっている。今の表面に存在する才能と知識が愚直に努力しても結末は覆らない、ということか」
それを見て考察していた守護者が白雪姫のほうを見て言う。
「君の意思は十分な威力を持っているようだ。あとは、人間の可能性、不確定要素を君の投げる球に込めるだけ。フォークやカーブではダメだ。それは結局、ストレートと同じ、確定要素でしかない。回り道をする分、より滅亡は早まるだろう」
「なら、どうすれば……」
途方に暮れた白雪姫、しかし、その脳裏に閃くものがあった。
それは、この阿頼耶識に来る前に受けた球。
魔女の『ナックルボール』。
相手もどう変化するか分からない。投げた本人でも分からない、不確定性。
白雪姫の手に、毒リンゴが現れた。
これはきっと人類そのもの。
毒のような悪意があり、果汁のような善意がある。
それらが混然一体となって、世界を作り上げているのだ。
そして、その混沌こそが、世界を更に次のステージへと押し上げていく。
白雪姫が構えて大きく足をけり上げる。
星飛雄馬も驚く、世界を股にかけそうなI字バランス。
そのまま大きく振りかぶった白雪姫は、剛腕の左を鞭のようにしならせて毒リンゴを放つ。
大きくブレながら飛んでいくそれは―――ナックルボール。
その定まらない未来は、ボタンにたどり着き、砕けながら押し込んだ。
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唇に押し当てられた、柔らかい感触で目を覚ます。
重い瞼を緩慢に押し開けば、白馬を携えた王子様がこちらを見つめて微笑んでいた。
「…いい夢は見れたかい?姫」
「ええ、とっても美しい夢を」
世界はまだまだ可能性に満ちている。
混沌と未来を歌っている。
私たちがやるべきことは、歌が途切れないように意思を繋ぎ、世界を維持していくこと。
そのためには。
「資源を大切に。貴重なご飯で遊んだあの魔女は死刑ですわね」