君の名を
言葉が話せるようになる頃になると僕らはいつも一緒にいるようになった。専業主婦同士、母親同士が互いに助け合うため、一緒に子供を育てることにしたみたいだ。毎日交互に、互いの家に行き、僕らの世話をした。あるいは子供を預け、煩雑になっていた家事をまとめて終わらせた。これを眺めていると、元々子育ては一家庭でやるのではなく村や一族全体でやるものなのだなと思えるものなった。
ほぼ毎日一緒にいると君の遠慮も一切なくなっていき、私の頬を引っ張り上げたり、私が持っているおもちゃを奪い取って僕の口にねじ込んだりしてきた。
暴力的な毎日だった。
ここまでくると母親たちもさすがに見過ごしてはおけないとばかりに君をベビーサークルの中に入れた。隔離である。隔離したら隔離したで、出せと言わんばかりにベビーサークルを揺らす。あれでは檻に入れられた囚人であった。
僕に狼藉を働いては隔離するという流れを繰り返すと、赤ん坊の頭でもさすがに学習したらしい。狼藉をしない方向ではなく、親が見ていない隙に狼藉を働く方向に学習した。
ここまでくると僕の方も堪忍袋がパンッパンに膨れ上がり、尾が切れかけていた。
それが切れたのはある日の昼食の時だった。
君が虫の居所が悪かったのかイヤイヤ言って食事に手を付けないということがあった。親を困らせる尻目に僕はいそいそと食事を続ける。それが癪に障ったみたいで、離乳食の皿を僕に投げつけた。皿が僕の頭に当たり、ヨーグルトを頭から被る結果となった。
だから僕も離乳食をぶん投げてやった。
おあいこだ。
泣き叫ぶ君、君を泣き止まそうとする僕の母、ヨーグルトだらけになった部屋に項垂れる君の母。
ちなみにこれは僕の家だった。
こうして暴虐無人を繰り返し、たまに仕返しされる関係性を築き上げた僕らであった。
そんな僕らも成長を続け、ついには言葉を得る日がやってくる。
母親たちは「ママって呼んでほしいねー」とプレッシャーをかけてくる。もっともそのプレッシャーを受け取れたのは僕だけであり、君は当時ハマっていたアンパンのアニメに夢中であった。僕としてはそのアニメの主人公の名前を呼ぶと思っていた。
でもその予想を外し、期待を裏切り、君が話した最初の言葉は「コゴロー」という僕の名前だった。
母親たちは沸き立ち、年頃にもなく黄色い声をあげて喜んだ。僕の名前を、君が最初の言葉として選んだことがとても嬉しかったらしい。
期待を超えた、ともいえた。
ならば僕としても不甲斐ないことはできない。
期待に応えなければならないと感じた。
だから、呼んだ。
「みお」
澪、君の名を。