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第7話 300年の暴力と存在しない力


「決着だ」


 歴戦の勇ましき者であっても膝をつき悲観にくれる存在に、分不相応にも大層な口を利いたのは誰か、グラディオだ。

 一度プライドをへし折られ、二度も躰をぐちゃぐちゃにされてなお、そんなことを宣う。

 彼はやはり確信した。自分と聖女が揃えば何も怖くない、何者をも恐れるに足りない。

 歪で滑稽な自信は笑みとなって口からこぼれる。


 いつの間にか主の手から離れどこかに転がっていた白黒の剣は聖女によって己が手に帰ってきた。

 刃を立て柄を持ち必死に仁王立ちの構えをとる。

 そして随所に現るるは如実な変化。青白く一目で異常だと分かる腕は元の引き締まった筋肉の色合いに戻り、自身の足一本で円を形どれたボキボキの脚は屈強な骨と強靭な肉体に元通り。

 全てが、全てがこの戦いの前の健康的それでいて鍛え上げられた頑強な肉体に修復されていく。


「いやぁー聖女の力半端ね~」


 おちゃらけた言葉一つ、肩を回し、生え揃った歯を「カチカチ」鳴らす。


「完全復活」


 当初、肉体に振りかけるだけであったはずの聖女の排泄物、いやあえてここではおしっこと呼称しよう。 聖女の穢れ無き純度百パーセントおしっこは、そのうちに含む魔力そして生気を摂取したものに分け与える。直接取り入れたため外部からの吸収より何倍も効率的な成分の吸収を行い、その内に秘められた多大な力を十全にグラディオへと与えたのだ。

 魔の者につけられた傷は完全治癒し、人の領域では完全でもこの場においては不十分な肉体能力には有り余る生力と魔力を注ぎ、戦いに適した体へと変貌する。

 その効能は、突発的に真っ白なグラディオの髪を聖女特有の煌めくような艶やかな金髪に変化させるまでに至る。

 

 その光景に怪物は多大な好奇心と僅かばかりの恐れを覚えた。目の前のしつこすぎる人物はとうとう体まで変えて自分に立ち向かおうというのか。滑稽、いや滑稽ならばこその好機。 先ほどの不可思議な未知の“人間”を自分に見せてくれた人物だ。まだ何かあるかもしれない、まだ何か学びがあるかもしれない。これはチャンスだ。もう一度、そうもう一度快楽と音楽を味わえる機会がやって来たのだ。


 音楽家ではなく怪物の彼は頬が裂けるほどに、気色の悪い笑みを浮かべる。


「おい! 音楽家! こっちはもう何回もボコボコにされてるんだ! せっかくさっきも勝てそうな雰囲気だったのに邪魔しやがって、この苛立ちそっくりそのまま返してやるからな!」


 言葉の意味は知っているが言葉の意味が分からなかった怪物は百八十度首を回して傾げた。

 彼にはいつくも並んだ感情たちの違いと感覚が分からなかったのだ。 

 

「―――はっはー! 打楽器! よく吠えるな、ここで君は廃棄処分だということを忘れたかね?」


 目的外の音を鳴らす不出来なものに用はない。 さっきまでの新鮮な感情はもう消えた。

 やはり彼には音楽と殺戮が大事だ。


「んにゃろー! ぜって―――殺す」


 その瞬間、雰囲気が変わった。

 周りの埃の舞う音はより加速を速めテンポは上がっていく。 それは二人が、怪物と人間が死線を交わせたからか、それとも二人が放つ無機物でさえ震え上がらせるような緊張感ゆえか。

 きっとどちらも正解なんだろう。今はもう呼吸の音でさえ煩い。


「【浸蝕(のみこ)め】」


 この殺伐とした限りなく無音に近い空間で声を放ったのはグラディオだ。

 彼は、そのいつでも振り下ろさんとし握り掴んで離さない【白黒の剣】に命令したのだ。

 それは解放の詩。最高にしかし不完全な状態でこの剣という形に封印され押し込められている究極を開放する詩。


 白と黒、その二つの色の帯を刀身に巻いたように段々に重なり合っていた二色は今、主の命に従い混り気の一つの色になった。

 それは黒、真っ黒。

 だがその認識すらまだまだ幼稚だ。これは黒なんかじゃないその先の何もかもを侵して、壊して、染め上げる禁忌の忌み嫌われし色。

 まさかの無色。 黒に染め上げられたかと思うた瞬間その等身は忽然と姿を消し、剣の主であるグラディオの胴体が剣を透過して見えた。

 一説によると、これは究極の闇なのだという。 その究極の闇とやらはこの地下世界に少しばかりある全ての明かりを喰らい尽し、たったこれっぽっちの光だって返してはくれないのだ。

 だから、反射した光を吸収することによって視覚として情報を得ている生物には、この暗黒に染まりきってしまった刀身が見えることはない。


 スキル【戦剣開放】

 神が、あの崇高なる神が()()ために作り給うた至宝の武器。その一振りがこれだ。

 そしてその神の武器を()()()()で扱うためのスキルがこの【戦剣開放】。

 その戦剣開放によって目覚めたこの剣の名を―――【咎蔵(とがぐら)】。

 

 咎蔵の闇は辺りの温度すら徐々に食い散らかしていく。逸れ違うことのない両者の視線がグツグツとこの塔内を沸騰させていたはずなのに、咎蔵はその意識的な温度でさえ喰い散らかすように急激に冷やしていく。

 変わらず柄より先のない咎蔵。しかしその剣先は誰に見えるわけでもないが悪魔のような形を彷彿とさせるもので、自身に触れる物全てに噛みついてる。



「さぁて、準備も出来た」


 剣を数度回し―――いや、その光景は誰がどう見ても刀身のない柄だけの虚飾の剣を振り回している光景なのだが、なぜだかその見た目は喜劇のような馬鹿らしさはなく、緊張感とただ震える鋭利な冷風を覚えさせるものだった。



 手を握りしめ、子供のように愉快そうにこれから起こるであろういわば予定調和のような惨劇を待ちわびている怪物。

 それを見据え、グラディオはこれまでの惨敗に思いをはせる。

 これだけの短い間に何度も負けた。悔しいと心の中で何度思い何度嘆いたことか。 

 深呼吸ひとつ。積年の思い、いいや積分の思いを奴にお見舞いしてやる。そうじゃなきゃあの人に――ー聖女にかっこいいところを見せてやれない。

 グラディオは呼吸を整えた後、笑顔を作る。もう過去の悔しいことなど()()()。帰りのご飯は何にしようか。久しぶりに聖女のくそ不味い料理をせがんでみようか。

 

 こんなことばかり考えてみた。

 ふふっ、と鼻から息が漏れる音がする。

 気分は絶頂、戦いにこれほど適した気分はない。


「―――いくか」



―――そうグラディオが言葉を発し、先に動いたのは()()であった。

 剣士が動き始めると分かった瞬間、今すぐにひねり倒してやろうと亜音速に迫る形でコンマ一秒以下に加速し、瞬きの間に互いの距離を無きものにする。

 しかし、その光景に彼は、グラディオは感心していた。

「あぁ、こんな感じだったんだな」と、それもそのはず、怪物の目に剣士は見えているだろうが、グラディオは正確にはもうその場所にはいない。

 残像、というわけじゃない。 剣士は確かに怪物より遅くに加速したはずで、それは間違いようのない事実だった。

 でも、そんな出遅れてしまった剣士は、遅くなった怪物の鈍重な動きを怪物の横でまじまじと眺め、怪物が自身がつい先ほどまでにいたところに拳を振り上げている光景を観覧する。

 この現象はやはり残像ではない。ならばなぜ怪物は誰もいやしない空虚を殴りつけるのか。

 それは、視覚と情報に由来する。 怪物の目で見た光景が物事を考えるところに送られるわずかな間。とてつもない反射神経という武器を持つ怪物のその反射すら追いつかない速度でグラディオは回避していた。すなわち奴が今見ている情報というのは刹那前に目が送り込んできた視覚情報。

 もし世界をコマ送りで見れたなら、絶対に残像は映らない。 なぜならばそんな残像が残るような世界に今のグラディオはいないからだ。

 もうこれは一種のタイムワープといっても過言ではない。早すぎる次元はグラディオが過去へと疑似的に介入できることを意味する。

 彼と怪物の世界がずれた瞬間だ。


「!?」

 

 初めて狼狽える怪物。自分の認識では当たったようにすら見えた拳が空を切り、その本人は自らの真横にいるのだから、動揺して当たり前だ。


――― 一閃


 怪物の心の隙を、今度はグラディオが見逃さなかった。

 力は込めず、ただ自らが持つほんの少しの剣を掴む気持ちで横なぎに剣をなぞる。そこに力はない、あるのは亜光速の剣での切断のみ。


 咎蔵は悔い尽くした。主が己を振った方にあったものを全部食べた。空気も肉も液体も。切るのではなく喰らう。亜光速の剣の一振りは剣の進路全てを無かったことにしていったのだ、それは細胞の一つ一つであっても変わらない、


「あぁぁっぁ!!!??」


 初めての悲鳴。

 刀身のない…刀身が見えない咎蔵が丁寧に丁寧に一つ一つを喰らい尽した結果であった。


 慌ててこちらも下め横なぎに腕全体を振るう巨体。

 その怪物からの攻撃にも難なく対応して見せるグラディオ。振るわれた腕はその巨腕が生み出すにふさわしくとてつもない風を生みグラディオを遠く向こうに弾き飛ばそうとする。

 なれど―――遅い。攻撃のモーションに入った瞬間に怪物の巨腕は根元から根絶する。空中で万にも及ぶ斬撃によってすべてが咎蔵に喰われたからだ。


「…あーあぁ、ずるいよなー」


 生死を掛けた瞬間の戦いに似つかわしくない声を漏らすグラディオ。


「お嬢、あいつらこんなんなんだぜ?」


 そう言いながらも怪物から生えてきた無数の拳を全て塵も残さず空中で切り刻んだ。


「なんだか、お嬢がかわいそうに今さら思えてきたよ」


 七m(ミーター)の巨体を軽々と蹴り飛ばし、


「こんな力持ってたら確かにあいつらもあんな性格になるわな」


 蹴り飛ばした怪物に余裕綽々で、地面への蹴り一つで追いつき怪物の胴体を両断する。



 “あいつら”とは聖女の事。

 聖女といってもリールの事ではない。その同僚…とでも呼べばいいか、その存在の事だ。

 彼女らはいつどんな時でも横暴な態度でリールと接し、それは聖職者と敬称することすら浅ましい行為だと認識させるほど陰鬱で陰惨なものばかりだった。

 彼女が他の聖女に目をつけられる理由はただ一つ。その聖女らしからぬ体の貧弱さだ。

 彼女らは寄ってたかって不出来な聖女を貶し、卑下し、そして嗤う。

 でも、この力を味わった今なら解るんだ。この力はおかしい。それこそ笑っちゃうほど可笑しい。

 現にさっきまで勝ち筋のかの字さえ見えなかった敵との闘争も今ではまるで大人と児子のままごとのようだ。

 魔の者と対峙していないときの聖女というのはどれも年齢相応の女子だというのが通説なので、剣を極めているグラディオが聖女の力を行使している今は、彼が最強だと言える。しかしそうだったとしてもここまでの能力の飛躍があれが確かにどんな敵であっても聖女は負けないだろう。

 

 それなのにリールは出来ない。だからこそ、この溢れんばかりの力を知っているからこそ、不出来な聖女が同じ身内の者だということが堪らなく嫌なんだろう。

 なぜそれごときで聖女なのだ、なぜお前がここにいるんだと。


 本来はリールが振るうはずだった力、勤勉なリールなら剣の腕も武の才もどこまでも磨けただろう。そのあったかもしれない力の前にグラディオはひどく嫌な気持ちになった。

 聖女の力に感嘆するとともにその力の大きさによる代償を知ってしまったから。時として不遜な力は自身をも滅ぼす。誰の言葉だったかは覚えていないが全く持ってその通りだと確信するグラディオであった。


 再生する奴の腕に剣を刺しこむ。その行為に抵抗感はなくするりと見えない刀身は入り込んだ。


「気分はどうだ、音楽家」


 腕を振り上げ奴の右わき腹から肩にかけてまで刮ぎ落す。

 飛び散る体液。さっきと違ってそこには誰の喜びの感情もない。


「まぁ言っちゃあなんだが俺の本来の力でここまで出来なかったことが残念だ」


 今度は腹の中心部分に突き刺す。


「でも、どんな道であれ、俺はお嬢が守れればそれでいいんだ」


 右側に無造作に切り上げ左肩を薙ぎ飛ばす。

 「べちゃっべちゃ」と聞きたくもない肉音を奏で舞台を転がる肉塊。


「この行為にも、俺自身の感情はない、そもそも俺は何かをいたぶる趣味はないからな」


 こちらを鬼の形相で睨み、削がれたパーツを再生させ反撃に出る怪物。

 しかし―――


「だからこれは、みんなの分だ」


 再生した分だけ全て一瞬で、同時に、全て翳んで消えた。

 あまりの寸分の時間の出来事に、怪物の胴体が立ち上がった時点での位置に浮かんでいる。

 

「お前が殺した分、何度も言うけどいたぶるつもりはない」

「ただ、削って殺すだけだ」


 聖女のイカれた力をその身に受け、リールの境遇を今一度認識したグラディオは悲しそうに剣を振るう。


「関係ないよな、お前に、この俺の気持ちは」

「でも、お前、リールを悲しませただろ? その仕返しをされてるんだと思ってあきらめてくれ」


 再生してきた腕を粉微塵に切る。

 本来ならこんな芸当は出来ない。確かに咎蔵の切れ味、というより補食量は以上だ。しかしそれは咎蔵と同じ剣全般に言えることだが、使い手の腕が良くなければ剣というのはお飾りにしかならない。

 聖女の力があってこそ、肉を肉と認識できないレベルまで斬り刻めるのだ。



「―――お前、言葉分かるんだろ?」

「仲間とかいないのか?」


 今後の怪物への知識のために剣士は問うた。


 口であろう場所から体液を垂れ流し、まるで数分前とは立場が反転したように先ほどの剣士と同様、ズタボロの怪物は咽ながらこう答いた。


「―――がはっ…だ、だいろっぴゃく、きゅうじゅ、う…がはっ………きゅうかいっ…コンサート」

「こ、れに、て…閉演」

「あーっはっはっは。…hっはっはっは、くっくっくkっくっはっはっはっは…!」


 人間に害をなす天性の“悪”はその自分の役目を全うし最後まで悪であり続けた。きっとそれは意図しての事ではないだろう。少し前に聖女が死ぬ寸前まで聖女であろうとしたのと根本的な心情は同じなんだ。

 多大な快楽と、多分にあった喜び、いくつもいくつもあった感情たちを走馬灯を見るように思い返し、その人生――ーいや怪物(モンスター)としての生に最大限の喜びを表し歓喜したのだ。

 聖女のような感謝ではなく、ましてや崇高なものではない。人から見ればなんと醜く浅ましいのだろうと忌避されるような感情と記憶。

 …でも彼は楽しかった。十分に生を満喫した。最後の最後に自分から見て弱者に逆転で屠られるとは、己の最後はきっと伝説の勇者か架空の魔王か何かだろうと決めつけていた怪物には、思いもしていなかった事実だが。

 怪物は―――最後に顔を引き千切るまでに()()()


「あぁー」

「…なんとも楽しかった」


 グラディオは目を閉じ、乱雑に咎蔵を振るう。

 

「…もう――ーいい」


 暗黒がこぼした唯一の食べ残し、それは一片の光の欠片となって一瞬だけ輝いた。その光を追うようにいくつにも崩れ行く怪物の巨体。


 肉同士が擦れ合う生々しい音が耳元にへばりつき何とも不快だった。


 この演奏会、徹頭徹尾いい音楽には巡り合えなかったと冗談交じりに聖女の方に向き直ったグラディオは言う。


 それを聞き、全てが終わったと安心した聖女はせめてもの行いと、ここで死んでいった死者たちに向けて温かく身を包むような鎮魂歌を優しく歌い始める。


 怪物の死を感じこの世に縛り付ける鎖は何もなくなったと言わんばかりに崩壊していく三百年の楽器たち。

 そのどれもが灰化するように粉となり、聖女の歌に流されるように暗い闇の暗黒ではなく上へ上へと地上の方に舞っていく。

 人の形をしていない何か、苦悶の表情を歪ませた顔骨にまで表したもの、全部全部霞んで消えていく。


 聖女の歌は悲しくも、この無駄に広い舞台の上ではよく響く。

 反響した美麗な歌声とあるべき場所に還らんとする魂、その二つが折り重なることで生まれた音色は戦いの終わりを確かに告げるのだった。

 

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