第4話 剣士の矜持と聖女の叫び
奴が繰り出した攻撃は…一瞬でグラディオを包んだ。
目にも止まらぬ鋭い剣技を繰り広げてきたグラディオであったが、その彼を数百の拳が厳しく抱擁する。
安っぽいコートなどすでにはち切れ、おぞましい体表から無数とも思えるほど腕が伸びてきてグラディオの持つ全面積を殴りつけたのだ。
「…ぁ…あ…っ……」
どこが痛いかも認識できない範囲で殴りつけられ、グラディオの意識は「ぽぉーん」と軽く飛ばされる。
だが、何とか耐える。グラディオ。
歯を食いしばり、地面を殴りつけ己を奮い立たせ意識だけは何とか踏みとどまらせた。
自分が意識を飛ばせばその先に何が待っているのか考え、「それは嫌だ」という叛逆心で自分の心を立て直した。
これほどまでにグラディオが追い詰められたのは久方ぶり。死の気配などとうの昔に忘れていた。
お嬢が居れば、自分は誰にだって勝てるとさえ思っていた。
剣を磨き、己を磨き、業を磨いた。
彼には驕るほどに十分な努力と結果があった。
“聖女”という国にとって貴重であり国の象徴ともいえる人物の守護者である“剣士”がなぜグラディオのような家名もない男が担っているのか。
それはただ単純に彼が強かったからである。決闘やその他の類の戦闘というものにおいて彼は無類の強さを誇った。
そして、その強さによって勝ち得た先が聖女の剣士という職だった。 本来聖女には騎士が付くものだ、しかし身分というものにおいて不自由なグラディオは騎士という名誉ある階級にはどうしても選ばれなかった。
だからこそ剣士。 聖女を傍で守る剣士。
彼が求め、彼が掴んだ。彼の夢。
今までの長き旅、剣士である彼に勝てる者はいなかった。 彼は強かった。
だが、彼もかわいそうな人間だ。 驕りたかったのではなく、驕るしかなかったのだから。
彼には敵がいなかったのだ。 彼には敗北が無かったのだ。 彼は知らず知らずのうちに上を見る努力を疎かにしていたのだ。
かわいそうに、そのせいで―――大事なものまで死ぬのだから。
「ディー!!!」
叫ぶ主人。 彼女に奴と戦う術はない。 グラディオが負けてしまった時点で終わりなのだ。
身体能力において若干どころか多大な残念さがある聖女は、奴の攻撃を見切ることすらできない。
躱すことも、避けることも、いなすことも出来なければどう攻撃しようものか。 詠唱をしている間におじゃんだ。
バイオリンに飽きた奴は色々な液体でびしょびしょになった人間を無造作に投げ捨て、こちらを向いた。
転がっていくバイオリンは最後の回復によって怪我だけは治癒される。
「はぁ…はぁ…」
グラディオへの心配もあるが何より、自分の身にも危険が迫っているのが聖女には簡単に感じられた。
連続的な詠唱と魔法によって魔力は大量に消費し息切れも起こしている。
自分の守護であり盾であり―――愛しの人の剣士は、ぼろ雑巾のように転がっている。
自身がグラディオの避けられなかった攻撃を躱すことができるなど微塵も思っていない。
まるで絵にかいたような絶体絶命。
されど、聖女は心強く屈することない。
すぐに悲観的な考えを捨てて立ち直る。
―――が、絶望はそう簡単な問題じゃなかった。
今まで「のしのし」と鈍重な動きしか見せてこなかったはずの怪物は、その巨体に似合わず機敏な動きでこちらに突進してくる。
聖女はその瞬間に悩んだ。
自分自身の身体能力であれを躱すのは不可能。ならば魔法だ。
しかし、この差し迫った状況で使えるのは第一詩律か第二詩律の詩の少ない魔法だ。
当然として詩の多い方が強力である魔法は、第一第二程度は俗に低級といわれる。その程度で奴の進撃を阻止できるのか? 当たり前の疑問は聡明な聖女の考えに当然として浮かんだ。
だがそれ以外に選択肢はなし。この絶望に自分が叛逆するには魔法しかない。
でも、まだ聖女は悩んだ。
魔法を使うとして何を使えばいい?
剣士が言ったように、魔法の事となれば聖女は一人前を超えて熟練の領域、つまりは魔法のプロフェッショナルだ。 その熟達者である聖女には積み上げてきた数々の魔法の知識がある。 俗に低級と呼ばれれる魔法であっても例外なく、努力家な聖女はその修練を欠かさずいくつもの魔法を知っている。
さぁ、困った。どれを使えばいい。
あまりにも選択肢一つ一つに使える時間が少ない。 回る思考の片隅では、奴と自分の距離が10mをきったことを警告している。
決断は―――すぐだ。
「『廻順せよ』―『不死鳥の如く』!」
「【生命の回帰】
―――賭け、というより、これはお願いだ。
彼女はこの大事な場面で生命を放棄したのだ。
怪物は厄介な客を相手にどうし返してやろうかと手を「ワキワキ」とさせながら猛スピードでこちらへと迫っている。
可憐で華奢な聖女が辿る運命は、アコーディオン、はたまたバグパイプか。
稀代の芸術家であり熱心な音楽家でもある怪物のコンサートの出演者名簿に載ることはまず間違いないだろう。
奴の口元がまた顔の半分以上裂ける。 楽しいのだろう…殺戮が。 嬉しいのだろう…演奏が。
ゲームオーバー。 ここで書き綴るのも終わりだ。 何とも味気ない結果だが。
――――<キィィィィンッッッ!!!
…まだ吐き捨てるには惜しいようだ。
剣はまだ…少しだけ輝いていたのだから。
「…お嬢、助かりました」
「いや、こっちも助けてるからお互い様か」
現れたのはもちろん剣士だ。 尊大な鼻を折られ、どの面下げて帰ってきたんだと言われんばかりに盛大に負けた剣士だ。
「間一髪、助かりました、ディー」
聖女の賭けは、救済の手として見事に当たった。
彼女が唱えた魔法は確かに、惨敗したぺちゃんこの剣士に届いていたのだ。
立ち上がれるようになったグラディオに躊躇などない、己の使命を全うするため躊躇わず先を行く怪物さえ追い抜かし主人と怪物の間に割って入った。
そしてその勢いで怪物の迫りくる多腕を撥ね退ける。
「人質がいない今のうちに態勢を整えましょう」
「私が攻撃に徹します、ディーは防御を―――」
態勢を立て直す? そんなもの。まだまだ絶望を知らないようだ。
―――1度は止められた攻撃が2度も3度も続くとは誰も言っていないではないか。
「あぁーーー!!! もうっ!! いい加減おとなしくしてはどうだね!!!」
自分の思い通りにならないことに、齢三百をとうに超える化け物は児子のように癇癪を起こす。
「あぁ! いらん!! もう、もう‼ いらん!!」
廃棄されることとなった楽器に慈悲などない。 人間の身長をはるかに超えた図体から残像が霞む速度で何度も何度も拳が飛んでくる。
「…っ!?」
「…!!!」
弾けど弾けど拳は来る。 単調な腕の軌道は武の達人であるグラディオにとって見切ることなど容易だ。 しかし、分かっていても、知っていても、予測できても。
対処できるかはまた別の問題。
一瞬で防御の姿勢は崩された。
そうなってしまった剣士は振り回していた己が剣を盾として、後は根性だけで自身も盾となることしかできない。
「ディー!?」
もはやグラディオに話す余裕はない。後ろに控える彼女に一発でも攻撃が無いように自分で守るしかない
復活してもすぐにこの様。 しかしそれはグラディオのせいではない。 奴が、奴が規格外すぎるのだ。
聖女は唱え始めたばかりの攻撃魔法を速攻で取り消し、すぐに防御の魔法へと展開する。
その間にも剣士はタコ殴り。
「…これは!? もしや打楽器か!」
「いやぁー! 愉快愉快っ! 形は少々不出来だがなかなかにきれいな音を出すじゃないか!!」
「アーハッハッハッハ!!!」
愉悦、愉快、愉楽。
もう怪物に聖女への関心は無くなった。 自分のリズムに耐える目の前の男が面白くて仕方が無くなった。
「『懺悔する』―『|天司る鳥』―『海司る生』―『地司る火』―『頭を垂れる私に抱擁を』―『廉頗負荊』」
「―――【聖域】」
聖女の精魂込めた守護の魔法。 それは素早くも正確に、そして今もなお弄ばれる剣士を助けるべく発動した。
聖女と剣士の二人を包み込む、回復の光と似た、生命に喜びを感じさせる柔らかくも暖かな光。
それは円状に広がりを見せ、あの暴走機関の具現化のような化け物でさえ押しのけた。
突如として楽器を奪われた音楽家は怒髪天を衝きヒステリックに優しい壁を何度も何度も殴り続ける。 その目にはグラディオしか映っていない。
一旦危機が去ったと感じた剣士は、力なく倒れた。
「ディーッ!?」
慌てて介抱する聖女。
消費した魔力を絞り出し回復魔法を何度もかける。
「………お嬢、、すいません」
「なにも…できませんでした」
もはやその目には生気はなく、心と体両方を見事に打ち砕かれた武人がいた。
「大丈夫よディ-、ここからまだ立て直せるわ」
まだまだあきらめてなどいない聖女は心の折れた仲間を鼓舞する。
しかし―――
「勝てる未来が…見えなかった」
「お嬢…俺こんなこと、はじめてっだった、んだ」
「あいつなんなんだよ…」
「喋る怪物…確かに初めてです…」
これまで奴と遭遇してから一切の余裕がなかった二人がようやく口に出せた疑問。
そうだ、二人は言葉を介す怪物など見たことも聞いたことも無い。
完全なる新種。 いや、それは彼ら二人から見た感想。 実際にはその何百年も前から奴は言葉を理解し音楽を奏でてきた。
「それに楽器の種類…明らかに違いを認識できる知識がある」
「動きはまるで子供みたいなのにな…」
内臓をやられたグラディオが口から血を吹き出しながら、それすらも躱せない自分の非力さを自嘲しながら言う。
「お嬢、どうしよう」
「俺、初めて心ってもんが折れたよ」
「武の道の途中、挫折してったやつは何人も見てきたけど、みんなこんな気持ちだったんだな…」
彼の手から白黒の剣が力なく滑り落ちる。
「今まで大層な口を叩いてて悪かった、お嬢」
「俺は………勝てない」
らしくもない発言を連発する剣士。
その表情と声音にいつもの面影は残念ながら…ない。
「―――剣士グラディオっ!!」
塔内を揺らす大音声。
突然呼ばれたことに、グラディオは動揺を隠せない。
聖女の一喝だ。 彼女はまだまだ諦めていない。
彼女の声は、さっきの冒険者の絶叫より鋭くグラディオの心を確かに揺さぶった。
「立ちなさい………立って!」
「あなたの傷は十分癒えました」
「戦えるはずです」
容赦ない無慈悲な通告。
「私を、私を…守ることが、守ってくれることあなたの役目でしょう」
「逃げることはこの私が許しません」
キッパリと言い切った聖女。
普段の柔和な声のイメージとはかけ離れた芯のある声色。
それは、怪物の暴力に折られてしまった剣士の心を立て直すのに満ち足りる物だった。
「…はぁ~~~~~、とんだブラック企業だ」
「だけど…上司がこんなに可愛いからいいや」
いつもの二人の時だけに見せる、グラディオの調子が戻ってきた。
「…お嬢、どうするか、当てはあるのか?」
「言っとくがやっぱり俺は肉盾が限界だ」
立て直した心だが、そこは武人であるグラディオ。 互いの開きすぎている力量差を気合で埋められるとは言わない。
いっそ諦めたように言った。
「…私も、この状況を諦めたくはないですが、やはり気合や心だけでどうにかなる場合ではないと思います」
「かといってこの状況を打破できる策は、と言われれば…」
言葉尻を濁す聖女。 やはり彼女自身も気付いている。 絶望的状況は何一つ変わっていないことを。
「―――なら、俺に策が二つある」
グラディオは指を二つ立てて言った。
「一つ目は、この舞台から飛び降りること」
「お嬢の飛行魔法を上手く使ってなんとかあそこに見える階段まで逃げるんだ」
グラディオの視線の先にあるのは行き場を失った先のない階段。
「ディー、死ぬ気ですかっ!? 」
「あなたは飛行魔法の不安定さを知っているでしょう!」
飛行魔法…少なくとも聖女の知りえる飛行魔法は一人専用で術者である聖女単体なら制御も効くが、まだ息のある冒険者とグラディオを連れての制御というのはあまりにも無理がある。
「知っている…だから、行くのはお嬢だけだ」
「俺はここに残る、幸い奴は俺のことを―――」
「―――ダメッ!」
グラディオの案を遮るは聖女の声。
それは人としての良心ではなく、個人の思惑として、乙女の純情的なものが多大に作用した声だった
「それはダメ、みんなで帰るの」
聖女は諭すように言った。
「あなたを大事にして」という聖女の優しがあふれ出た言葉にグラディオは反論もできない。
分かった、と納得する。
「二つ目は、ある手段を用いて奴を倒し、みんなでここから出る」
それを聞いた聖女の表情はぱぁーっと明るくなる。
そんな夢のような方法があるなんて素晴らしい、と喜んでいるのだ。
期待する聖女をよそに、なんだか口ごもる剣士。
聖女の顔が期待の顔から不思議そうな顔になる。 「なぜ言わないんだろう?」と。
「…お嬢…お、お嬢の…、…を…、、、く、くださぃ」
やっと話したかと思えば蚊の鳴くような小さな声。これでは全く聞こえない。
「ディー、なんて言ったの? ごめんなさい聞こえなくて…」
つばを飲み込むグラディオ。
「…お嬢の…」
「私の…?」
「…、、、ください…」
「え? もう一度お願いっ」
「お嬢の…尿をください…」
「…へ?」
この殺伐とした雰囲気には似合わない聖女の気の抜けたような声。
剣士グラディオ。 一度言ってしまえば、息を吸い込み、胸を殴り、目を見開いて、覚悟を決めた!!!!
「…お嬢! いや…聖女リール・ルルニア・ルルラレスッ!」
「健全で…誠実に…そして邪な気持ちなど一切なしにお頼み申し上げます―――おしっこください」
「………え、えぇぇぇぇぇぇぇーーー!?!?!?!?!!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」
聖女の声がまたもや塔内を揺らすのだった。