第2話 白黒と魔法
まだ、外は暗い。
あと小一時間ほどたてば朝焼けの綺麗な景色が平野の向こう、遠くの山間から見えてくることだろう。
しかし今はまだ暗闇、明かりをつけているとはいえまだまだ数m先を見るのがやっとだ。
それでも、異様に漂う圧迫感だけは少し先の方から「ひしひし」と伝わってくる。
ここから先は人の手がかかっていない、言わば異世界のようなもの。街道も無ければ道しるべの看板だって立っちゃいない。
頃合いを見て御者を止め、怪物へ対処のしやすい開けた場所にいるように言い待機させる。
馬車での移動はここまでだ。 ここからは歩いていく。
賢明な判断としては朝が来るまで安全なところで待つというのがあるが、それはお嬢が許してはくれないだろう。あの人はどこまでも呆れた人だから。
別に楽観的な人間だったり、そこまで頭の周らない人間でもない。ただ単純な話一刻でも早く消息の絶った者たちを救出したいのだ。十分な視界が取れない中、怪物がいる無法地帯を突き抜けることがどれだけ危険か、どれだけ恐ろしいことか、分かった上で自分と……多分俺の安全を捨てて助けに行くんだ。
無駄かもしれない。もうすでに全員死んでるかもしれない。
けれども僅かしかないはずの、人命の灯が消えていない、というバカげた希望的観測に従って暗闇の平野を歩くと言っているのだ。呆れるしかない。
それに、俺達はつい数時間前まで別の依頼をこなしていたんだ。ほとんど休みなしの責務だ。
寝られたのは居心地のよろしくない馬車での移動時間くらいか。コンディションも最悪というわけ。
まぁそれでも、お嬢は全部そんなこと知ってて、感じてて、気付いてて。 それでもほら、今みたいに―――
「ディー、気を抜かずしっかりと進んでいきましょう!」
―――なんて気合ばっちりで、なんなら笑顔なんて浮かべちゃって…まったく。
グラディオは苦笑いとも呆れ笑いとも言える息を漏らしながら、数十m先の怪物を斬り殺すのであった。
。。。
「なんとか、敵と遭遇せずに入れましたね」
遺跡へと足を踏み入れることができた二人。与えられた助太刀を幸運と捉えた聖女はずいぶん嬉し気に笑った。
剣士の隠す技量がすごいのか、それとも聖女が戦闘においての勘が少々残念なのか。どちらとも言い切れないが、剣士にとってはどうでもいい。
グラディオにとって今の移動の最中、なんなら馬車での移動の最中でもやっていたことは誇ることですらない。 当たり前というわけだ。
功績を鼻にかけない謙虚なやつともとれるが…なんともひねくれた性格だ。
「…お嬢、まさか楽しんでたりしないよな?」
まるではしゃぐ寸前の子供のように暗闇の遺跡を歩く主人を見て、剣士は疑問に思った。
それを聞いた子どもは―――
「いえいえ、人命が絡んでいる以上、楽しんでなどいられません」
「でも―――どんなに急いだって卑屈な考えを頭の中でしたっていいことはありませんから、ちゃんと進みながらディーと歩いているのを喜んでいるのです」
「今の私はディーと一緒に横並びで歩けて嬉しいのですよ」
なんという、右ストレート。この女、軽々しくも男にそんな言葉を吐きおって…惚れてやる。
言葉の意味を真に理解し受け止めた、難儀な性格を持った剣士は顔を伏せ、その羞恥に火照った顔を隠してしまう。
剣士グラディオ、この世に生を受けてからの大半は生きていくことしか頭にはなかった。その過程で剣を学び何とか学を得た。
しかし、ひねくれたともキザったらしいとも称せるその性格には、女の文字はすっからかん。
最愛の人物に耳障りの良いことを言われては、屈強な剣士もただのちんけな男の子になってしまう。
「…あの、お、お嬢。 そいうのは、ちょっと俺、む、無理なんで…」
その様子を見た聖女は楽しそうに笑う。
そしてさらにそれを見たグラディオも、恥ずかしさはもうどこ吹く風、主人の心からの笑顔に安堵した。
―――そこに、
『ブゥウゥゥグゥゥゥゥゥゥ!!!!!」
奇怪な生物…怪物が現れる。
奴らの目に生者としての尊厳のかけらも感じやしない。そこにあるのは卑しさ、または醜悪さ。
人の外形とは大きく離れた、化け物に相応しい装いでこちらをニタニタと見つめてくる。
「……すみません、お嬢、集中を切らしていました」
「敵の接近に気が付きませんでした」
「大丈夫よディー私も悪かったわ、少しからかってしまったもの」
「それに大物を倒す前に肩慣らしも必要よ、ちょうどいいとさえ感じているわ」
「…お嬢、俺の邪魔しないでくださいよ…?」
「あら、ディーも言うじゃない」
「これでも魔法学院卒業しているのよ? 私、負けませんから」
「はいはい、首席ですね」
「…なんだか含んだような言い回しね」
「もう、一人で寝られなくなっても一緒に寝てあげませんから」
「ちょ、そ、れは…困ります……」
聖女に痛いところを突かれた剣士は、急に威勢をなくして声がしぼんでいく。
「まだまだディーも子どもね―――って! ディー!」
―――かのように見えていたグラディオであったが、主人には口論で敵わない見て、豪快に先陣を切って敵を早々に斬り倒し始めていた。
「もう…そういう抜け駆け私少しずるいと思っちゃうわ……」
「はぁ―――でも、お仕事はしっかりしなくちゃっ!」
「『双玉の翡翠よ』―『停止した震えの中で』―『慥かに』―『己の指の先へと尖り伐れ』」
「『双氷雪棍ッ!』」
―――第四詩律
【双氷雪棍】
この世に何千何万の種類が存在する不思議な力【スキル】、それは後天的にも先天的にも人に発生する言わば人の才能の具現化。
聖女という【スキル】はもちろん先天的なもの、さてそれでは魔法とは―――後天的に知識を蓄え努力することで得られる、攻撃の方法のことである。
生まれた時に何のスキルを持っていない者でも、それなりの努力さえすればこの【魔法スキル】を手に入れられ、自分の意のままに操ることが出来るだろう。
【スキル】は様々な種類が存在しその効果も千差万別だが、魔法スキルとスキルの違いを極端に簡単に説明すれば詠唱というのを介して、攻撃を手段から現象へと昇華させる段階を踏まねばならないのが【魔法スキル】、感覚と体力だけで具現化させるのが【スキル】。
一応、魔法スキルは【スキル】という広すぎる意義の中の一角ではあるのだが、なにぶんこの怪物が蔓延る物騒な世界では攻撃の手段というのは重宝され、意識的な【スキル】と【魔法】の差別化がされることはしばしばあるのだ。
そして、詩律。
魔法には詠唱という段階が存在するが、その多さや詩によって発現する魔法は大きく異なる。
詩律とは多さや範囲強度を表し、よってこの詩律が多ければ多い程詠唱はより困難を極め、詠唱者の負担は跳ね上がる。最後の名前が、発現する魔法の内容ということだ。
そして、聖女が放った【双氷雪棍】は第四詩律四つの詩からなり、顕現した氷の多節棍が十分な速さと確かな質量を併せ持って敵を薙ぎ払う。
返り血が嫌いな聖女が好んで使う、氷打撃系のゴリゴリ物理技。
「…お嬢、大丈夫ですか」
グラディオの容赦ない敵への剣劇、聖女の魔法による超常現象の攻撃。この二つによって怪物たちの群れは速攻で退場させられる。
そして近接戦闘が主であるグラディオは聖女の前に戻ってきて言った。
魔法の行使には体力とは別の独自の概念、魔力を消費する。体力との違いはそれほどないが、使い過ぎれば疲れるし、無理をすればぶっ倒れる。理論的には魔法の行使後にも走ったり運動したりは別の概念だから出来るはずだが、疲れるということは同じなので、魔力消費後に筋肉を使って動くということができる人物はそう多くはない。
しかし―――
「心配ありがとう、ディー」
「でも私は大丈夫よ、先に進みましょう」
そこは聖女、ただ者ではなかった。
魔法学院を首席で卒業し、聖女というスキルを持つ彼女は、並みの魔法使いではなし得ないことを容易く行う。
第四詩律、中堅以上の冒険者や腕前の良い魔法使いが最後の切り札として持っておく云わばとっておきの魔法である。
彼女は歩き出す、前に向かって。
その額には、一滴の汗すらなかった。