36本物の聖女 (杏奈視点)
あの日からネイサンも王子も部屋に訪れなくなってしまった。
毎日稽古が終わった後、茫然と過ごす毎日。
今まで毎日といっていいほど来てくれていたのに……。
メイドや執事に二人の事を聞いてみると、城には来ているようだった。
ネイサンはあの券を王子に返したのかしら。
もしかしてそれが原因で来なくなってしまったの……。?
気になるが王子やネイサンに会いに行く勇気はない。
恋愛に構っている暇などないはずなのに……。
稽古ごとに集中しようとするが、二人の事が気になってうまくいかない。
何度も同じミスを繰り返し、ダンスの授業では壮大に転んでしまった。
そんな私の様子を見かねてか、稽古の先生が午後の稽古はお休みにしましょうと提案してくれた。
その提案に頷くと、申し訳なさと不甲斐なさに先生の顔を見られなかった。
部屋で一人落ち込んでいると、ノックの音が響いた。
そっと扉を開けると、そこにはいつもと様子が違う王子の姿。
真剣な琥珀色の瞳には私の姿が映り込む。
「入ってもいいか?」
私は慌てて頷くと、彼を招き入れる。
バタンと扉を閉めると、王子がおもむろに振り返った。
「率直に聞くんだが……聖女様は俺のことが好きなのか?」
予想だにしていなかった質問に頭の中が真っ白になった。
突拍子もなさ過ぎて、なんと答えていいのかわからない。
唖然と王子を見つめていると、彼は困った表情で笑って見せる。
「いや、すまない、勘違いだったみたいだな」
ここでそうだと頷けば、もう王子に伝えられなくなってしまうだろう。
それは嫌、私は……ッッ
「あのッッ、そっ……そうです、クリストファー様をお慕いしておりますッッ」
必死に紡いだ言葉はたどたどしく不格好。
だけど服の裾を掴み引き留め、精一杯の勇気を振り絞る。
緊張で手は震え、感じたことがないほどに頬が熱くなっていた。
王子は一瞬たじろいたが、優しく私の手に触れると、弱弱しい笑みを浮かべる。
「そうか……ありがとう。最初に話をしただろう、この世界での聖女の権限は強い。あなたが俺との結婚を望むのならそうなるだろう。だがすまない、俺には思い続けている人がいるんだ。だから出来れば他の奴を探して欲しい。俺だと……あなたを幸せにすることは出来ないんだ」
彼の言葉が胸を突き刺すと、鈍い痛みがはしる。
王子には別に好きな方がいる、わかっていたことじゃない。
ネイサンとの仲を取り持とうとしていた時点でわかっていたわ……。
私は必死に気持ちを落ち着かせ深く息を吸い込むと、王子の目を見つめた。
「思い続けている女性ですか?……それは3年前のことと関係しているのですか?噂で耳にしました。昔は……今と違っていたと……。王子を変えたのはその方なのですか?」
王子は頷くと、窓際へ近づき思いをはせるように曇天の空を見上げる。
「あぁ、そうだな。もう3年もたつのか……。あの日もこんな天気だった。俺には親に決められた婚約者が居たんだ。昔馴染みで仲が良かったってだけで、勝手に婚約をさせられた。令嬢らしさなんて微塵もなくて、俺の真似して剣を持ったりでやんちゃな奴で……。だから女として意識したことなんてなかった。向こうも同じだったが、親の決めた婚約を破棄する方法もなくてな。そんなんだから結婚するまでは、とっかえひっかえ女を捕まえて満足していた。あいつも俺が誰と寝ようと気にしてなかったからな。だけど……結納の日まで一週間と迫ったあの日、あいつが突然いなくなったんだ。聖女様が現れたあの聖堂で神隠しにあった。現場に居合わせていたリチャードからの報告では、突然目の前から消えたらしい。辺りを捜索したが見つからなかった。ずっと傍に居ると思っていた奴がいなくなって、初めて自分の気が付いた。俺にはあいつが必要だったんだってな。今更遅いとは分かっている」
話す彼の姿を見つめていると、今まで一度も見たことない幼い少年のような表情を浮かべていた。
きっとその女性の事を思い出しているのだろう。
寂しそうな笑みの中に彼女が大事なのだと伝わってくる。
その姿に胸がギュッと締め付けられた。
クリストファー王子の好きな人。
どんな方だったのかしら?
幼馴染……まさか……。
「あの、もしよろしければ、その方のお名前を……?」
王子はおもむろにこちらへ顔を向けると、そっと口を開いた。
「エリザベスだ。リサと呼んでいたがな」
低く静かなトーンで紡がれた名に、愛しさが伝わってくる。
エリザベス、やっぱり……里咲さんだわ。
衝撃的な事実に言葉を失った。
婚約者だった彼に出会ったのに、どうして黙ったままでいるの?
彼がこんなにも想っているのに、里咲さんは違うの?
わからない、わからない、どうしてなの……?




