#失敗世界のやり直し 長串望の場合
ある朝、ネタになりそうだけれどあとから思い出せそうにないねじ曲がった夢から目覚めた長串望は、自分が真っ白な闇に漂っていることに気づいた。
なんて、ホント長串さんの人はそのフレーズ好きね。
そろそろカフカの子孫から訴えられてもおかしくないんじゃなかろうか。何度目だ。
だが好きなものは仕方がないし、便利なのでなおさら仕方がない。
芸に幅がないという批判は二階の窓口までどうぞ。そんなものはないが。
なんていう現実逃避としての戯言めいた思考が浮かんでくるまで、私は呆然と漂っていた。
まだ夢の中なのだろうかと思うくらいに、現実感のないただひたすらに真っ白な世界。
奥行きもわからず、上下の感覚さえなく、自分の体の重みさえ感じられず、あるいは盲目とはこのような恐ろしい世界なのだろうかと恐ろしくなる。
なんだこりゃ、と呟く声さえ聞こえない。
そもそも声を出せない。声を出すという動作ができない。唇がない。喉がない。肺はどこだ。手足は落としたのか。いま見ている世界は目で見ているのではないのか。
そもそも、この思考さえ脳のもとにあるのか。
仏教の言う無というものがこの境地であるというならば、どうか悟ってから寄越してほしい。
私がかろうじて発狂せずに済んだのは、単に時間の問題でしかなかった。
まだ書籍化してないのに!
という切実ながら空虚な悲鳴を上げる前に、白い世界に声が響いた。
「聞こえますか……聞こえますか……」
聞こえる! 聞こえます!
私は咄嗟に叫ぼうとしていたが、もちろんいまだ響かない。
この声さえ、どうやって私に聞こえているのか。
私がもどかしさに苛立つ中、声は何度か繰り返した。
「聞こえ……接続ミスかな。ログインはしてるんだけど……あ、これ私がインしないと駄目なやつか!」
ちょっとまってポンコツ系はお呼びではない。
しかしお呼びでないポンコツ系はフットワークが軽いらしい。
白い闇にぽつんと点が浮かんだかと思うと、それは急速に広がり、人のカタチを成していき、さらに広がり、もっと広がり、より広がウェイトウェイトウェイトスタァーップ!
広がり過ぎてんだよ。サイズが。でかいでかいでかい。
腹しか見えないんですけど。顔と爪先がはるか上と下にフェードアウトしちゃってんですけど。
もはや、この、なんだ、腹か。腹なのかこれは。腹か胸か分からんですけど。法面だよもはや。山とか、がけとかコンクリで固めたやつ。あれにしか見えないサイズ比なんですけど。
「えーっと、あれ。なんでだろ。はみ出ちゃうなあ。あ、画像サイズ大きすぎるんだ」
早戻しのようにその巨大な多分ヒト型は縮んでいき、おおよそ人らしいサイズで止まった。
それは一応人間のカタチに見えた。一応というのは、特徴がほとんど隠されていたからだ。
ベール付きの頭巾で顔も髪も見えないし、手元も手袋で隠れてる。体つきを隠すようなゆったりとした服装で、体系からは性別もわかりゃしない。
聞こえてきた声だってボイスチェンジャーでも通したみたいな声で、いよいよもって胡散臭い。
「いや、特定の人種とか性別に寄せると政治的にまずいらしいんで」
あ、お気遣いどうも。
胡散臭い謎の人物、そも人物かどうかも怪しい存在にポリティカル・コレクトネスを気にかけていただいてしまった。
私の喉は相変わらず存在を感じ取れないけれど、声は通じているようだ。
「ああ、アバターないと不便ですよね。はい」
「はいじゃないが」
軽い指の一振りで、私には体が与えられていた。くまのぬいぐるみの。
いや、私のボディに関しては政治的圧力かかってないんですけど。
「Twitter上にだけ存在するAIくまさんと聞いたのでてっきり」
「悪いインターネットに毒されない! というかこれアイコンか!」
フォローありがとうございます。
まあ生身の肉体などいいことはあまりない。くまさんボディの方が私としても気が楽ではある。
お互いにどうやらアバターとかいう、本体ではない体らしいけれど、相手の姿が見えるというのは会話がしやすい。できればチャット画面とかだともっと落ち着いたんだが。音声なし、文字オンリーで。
謎の存在はよっこいしょと足を下ろした。そこにフローリングの床が広がった。
パントマイムでもするように、片手をあげて何かをつまんで下ろす動作をすると、紐を引かれた電灯がともった。木目もきれいな天井が広がった。
こうして真っ白な闇だけの世界に天と地ができた。
無限に広がるフローリングと天井を見渡して、存在Xは軽く空をノックした。そこには壁ができた。クリーム色の壁紙が広がり、程よい広さの一室が仕上がった。
四方の壁の一面に歩み寄り、左右に腕を広げるとそこに窓が開けた。窓の先はただ白い闇が続くばかりであったので、不明存在は続けてページをめくるように手を払う。
一度払うと窓の向こうに森が広がり、鳥が鳴いた。二度払うと海が広がり、さざなみの歌が聞こえる。三度払うとどことも知れぬ街並みに変わった。
謎存在はそれで良しとして、部屋の中ほどで腰を下ろした。すなわちそこにイスとテーブルができた。
「どうぞおかけになってくださいな」
「はあ、まあ、どうも」
もふもふとしたくまのぬいぐるみボディがイスの上に乗っかる。
政治的に正しい外見の存在がテーブルの上で手を傾けると、カップとポットが現れ、お茶が注がれた。紅茶の見た目と香りをした、多分紅茶ではない液体だった。
「情報としては紅茶そのものなんですけど」
ありがたくいただくけど、自分の口元を想像したくない。紅茶を飲むぬいぐるみってどうなんだ。
一息ついて、ようやく混乱する余裕ができた私が思うさま混乱するのをじっくりと待って、そして混乱が尽きたころにお茶のおかわりが注がれた。
「長串先生にお願いがありまして」
「私が先生呼ばわりされるのいまだに意味わかってないんですけどね私」
「お嫌でしたか?」
「持ち上げられるのは大好きです」
「よっ大先生!」
「ご用件をお伺いします」
「塩対応……」
そいつは仕切り直すように私に名乗った。らしい。というのもそれは私には認識できない情報量だったので一度私は死んだからだった。
というのを、ログインし直された後に聞いた。どうやら勝手に死ぬこともできないらしい。
軽く謝罪されてから、新神とかいういまつけましたみたいな適当な名前を名乗られる。実際いま付けたのだった。名乗りというか役職みたいなものだこれは。
「その神様がどういったご用件で」
「長串先生にはいくらかアドバイスを頂きたいというか、監修についていただきたいというか」
「嫌な予感が更新され続けてるんですけど、具体的なお仕事としては?」
「いっしょに世界、作りません?」
「バンドやろうぜ、みたいに言われましても」
「世界、作ろうぜ!」
イラっと来る。
「ほら、先生もファンタジー書いてるじゃないですか。その世界観とかですね、設定とかのアイディアをお貸しいただけないかなと」
「世界作りに」
「世界作りです」
なにを言っているんだろうこいつは。
まあ、顔に出るまでもなく筒抜けなのだろうが、思考までは抑えられない。
鳴かず飛ばず、一度たりとて何かになれたこともない売れないアマチュア趣味人に何を期待しているというのか。
「売れてる方はお忙しいと思いまして」
「暇してるわけじゃないんですけど?」
「失礼。創作意欲を持て余しておられるのではないかと」
「書きたいだけで書けるわけじゃねーんですよモチベーションってのは」
まず席に着くまでが大変で、そこから書き出すまでがまた困りもので、書き切るなんてのはもはや苦行だ。
「マゾなんですか?」
「あながち否定できない!」
まあいつまでもじゃれていても仕方がない。
やらにゃあいけないなら仕事の話だ。
「新神、ということは、あまり経験はないということで?」
「そうなんですよ。まだちゃんと完成したことがなくて」
「とりあえず完成させるところから始めては?」
「それが完成する前に滅んじゃったり、死に絶えちゃったり、崩れちゃったりで」
命のお話が、軽い。
どんな世界を作ったのか聞いてみると、こんな具合だった。
多少大雑把でも大丈夫なように、神様の力でちょこちょこ介入できる世界にしてみたところ、思ったより加減が難しすぎてうっかり握りつぶしてしまった世界。
やはり手抜きはいけないと思ってキッチリと法則を組んだ世界にしたところ、なんで動作してるのかわからないのに動作したり、逆になんで動作しないのかわからないけど停止してしまったりと、バグで進行不可になった世界。
その世界の住民たちが住みやすいように、彼らの願いや祈りが世界の法則を紡ぐようにしたところ、思考統制やそれに対する反乱が繰り返され、憎しみや破壊の祈りで大炎上した世界。
いよいよこれは仕方がないと思って、最低限のベースの状態だけで放置して手を出さないようにしたところ、何も起こらないまま熱的死を迎えた世界。
などなど、ろくでもない終わり方をした世界の話がうんざりするほど聞けた。
「先輩の神様にアドバイスは聞かなかったんですか?」
「どうやって作ってるんですかーって聞いたら、なんかこう感覚でとか、自然と出てくるとか、作ってるうちに出来上がってくるとか、世界の方で勝手に動き出すとか、そう言う感じで」
参考にならないやつだった。
多分何かしらの方法論は誰もが持っているのだが、それを言葉にする技術を持ち合わせていないのだ。
言葉にできる人にしても、それを相手に合わせた形で伝えるのは難しいだろう。
私も実際、どう書いてるのか分からん。
「私が知りたい」
「それみんな言うんですよね。私の方が知りたいんですけどォ!?」
そりゃそうだ。
ただ私としてはそう言う感じなので、あんまりアドバイスのしようもない。
「先輩方の世界は見れるんですよね」
「見れますよー。よく見てます。面白い世界は人気ですしね」
「じゃあそれパクりましょう」
「えっ」
言い方は悪いが、パクるのが一番早い。
「いやさすがにそれはまずいので……」
「模写。模写ですよ模写。参考にして作ってみて、どういう具合になるのか確かめるんです」
「うーん。物は言いよう」
というか、私元々二次創作の畑にいたわけで。
人様の作り上げた世界をベースにして自分のお話を書いてたわけで。
そして元とは似ても似つかぬ形に成り果てるわけで。
「えー、でもできれば個性出していきたいっていうか」
「まだ個性以前の段階ですね。結局インプット量が物言いますから。小説読んで、漫画読んで、映画観て、音楽聞いて、日常のいろんなことからインプットして、そして全部忘れたころにそれでも残ってるのが個性です。借り物の集大成を個性と呼びます」
「適当言ってません?」
「適当言ってないときがありませんね」
「納得の説得力」
実際問題として、唯一無二の個性なんてものはない。
誰かの何かの影響を受けて、生きていくのが人生だ。
そしてその積み重ねを後生大事に抱えて、振り回していくしかない。
つまらん止めろと言われたら、お前が黙ってすっこんでろと返すのが正しいアプローチだ。
そりゃあ、売れる方法論はある。
人に受けて、人々に受け入れられて、大衆に人気の出る条件ってのは確かにあるんだろう。
そう言うのをきっちり押さえて、売れる物を書くのが大衆作家としてのプロフェッショナルだろう。
でも生憎私はそうじゃあない。そうじゃあないんだ。
売れたいし、褒められたいし、ちやほやされたい。そのために書いているって言ってもいい。
でも、そこに自分がないんなら、懐に入るのは金だけだ。
まあ、その金すら入ってこない私が言うんだから負け惜しみだけど。
「自分の中にある、自分でもわかんないなんやかんやってのは、自分の外からやってきたなんやかんやで出来てて、訳わかんないなりにカタチにしたいなら、外からやってきた時のカタチを真似していくのが、手っ取り早く身につくとは思いますよ。そうして続けていくことで、はじめて見えてくると思います」
というか、私は他に方法を知らない。
馬鹿みたいに続けることしかできないしな。
これでだめだったらどうしようと思っていると、新神は、そうかもしれませんと頷いた。
「実は、いま作ってる世界も、これでいいのかな、ちゃんと出来上がるのかなって不安だったんです。でも、そうですよね。先輩の真似しながら、ちょっとずつ自分らしさって言うのを、見つけていきたいと思います」
「それがいいと思いますよ」
「五億年くらい」
「スケールがでかい」
「先生みたいなのも生まれてきたんで、もうちょいで安定はしそうなんですよね」
「えっ」
ありがとうございました、と声がしたかしないか。
ネタになりそうだけれどあとから思うにネタにすらならないような夢から目覚めた長串望は、自分がいつものベッドに横たわっていることに気づいた。
随分長い夢だったような気がするし、正味十分程度の短い夢だったような気もする。
大層なことを言ったような気もするし、大したことを言っていないような気もする。
ただひとつわかるのは、あと五億年くらいはどうやらこの世界も滅びなさそうだということだけだ。